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レビュー

審査員講評 山崎彬 氏

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【総評】

 どんな演劇も誰かの心は打つでしょうし、演劇を作ること観ることはすべて等しく愛しいことで、勝ちも負けもないと思います。だけど作り手は、演劇には良し悪しや優劣はあることを知ってなきゃいけないと僕は思います。それは「伝わるか伝りにくいか」だったり「効果的か効果が弱まるか」だったり、そういう言葉で言い換えられるかもしれません。僕自身も皆さんと同じ立場として審査をされたりするわけでして、その審査結果に対して納得いかなかったりしたことはあります。講評会での審査員のひと言をずっと根に持ったり、評価された団体に対して「どこが!?」って思ったり、場合によってはインスタライブで審査員批判したりするわけで、そういった気持ちもわからなくはありません。

 何が言いたいかっていうと「SNS怖いね」ってことです。

 ってのは冗談で、これから総評並びに各団体への言葉を書いてゆくわけですが、それに対して「こいつは何にもわかってないなあ」と思ったっていいと思うし、それはそれで作り手として健康な状態だとも思います。

 ただ少しだけ希望を言えば、この総評が次の作品への原動力になったり、自身の作品や演劇そのものを何かしら見つめるキッカケに少しでもつながればいいなあと思って書きたい。読んだ上で、この先に生かすのか敢えて無視するのか、そここそが大事だったりするわけで。なので僕は観客に向けてではなく、今大会の参加者の皆さんに向けてを第一に、それぞれに宛てた手紙のつもりで書きたいと思ってます。よろしくお願いします。

 

 審査にあたって、僕は以下の視点をもって、観劇へと臨みました。

 

 1、表現力

・世界をどのように切り取っているか

・戯曲をどのように演出し、演劇として表現しているか

・俳優、スタッフワークにどのような工夫がみられるか

など

 2、伝達力

・素舞台60分ショーケース形式という枠を、どのように使っているか

・観客に伝えるための工夫や作品を伝える手段としてどのような方法が選ばれているか

・その方法はどれくらい作品を伝えるの適していて、実際に意図通り伝わっているか

など

 3、独創性

・その劇団(作家、俳優、スタッフ)だからこそ描けるオリジナリティを感じるか

・自分たちだからこそ表現できる形を追求しているか

 など

 

 一応大きく3つに分けましたが、それぞれはそれぞれに影響しあっているし、重なってくる部分もあると思うので、あくまで自分の中の評価基準として観劇前に決めていたものですので、これを満たしたから何点とかみたいに審査したわけじゃあありません。

 また、当然ここに多少の好みや自分の演劇経験だったり、その日のステージの出来だったり、他の審査員の方々の意見だったりも影響してきます。詳しくは各講評に書きますが、それらを総合的にみて、今大会では楽一楽座『LIVED』が頭ひとつ抜けていたと思った次第です。

 最大三劇団選べる審査員賞に、今大会は一作品しか選びませんでした。その理由は、「学生演劇レベルで考えたら」だとか、「どの大学か」「何年生中心か」「どの地域か」だとか、そういった部分での評価は一切なくし、ひとつの演劇として審査したからです。仮に大学生という部分を考慮したら、もっと選出できる可能性もありましたし、もしかしたら無理にでもどこかを選出した方がよかったかもしれません。ですが、大会全体の相対的な評価も考慮しつつ、それぞれの作品としてみて、今大会は審査員賞は一団体のみとなりました。楽一楽座の皆さん、おめでとうございました。

 すべてに通じて言えるのは、各地域を勝ち抜いてきた作品たちなのでとてもレベルが高かったし、みんなそれぞれ演劇を知っているんだなあと強く思いました。どの作品も飽きずに楽しく観れて刺激的な時間でした。同時に思ったのは、圧倒的な差がないことはとてもいいことだけど、果たしてそれでいいのだろうかってこと。また、「なんだこれは!!」とひっくり返るような、見たこともないものも欲を言えば観たかった。

 いろんな演劇や映画・ドラマ・テレビ・小説・漫画・アニメ・ゲームなど、今は自分で選んで好きなもだけを好きなように手に入れることができます。見たくないものからも目をそむけられる。人生さえもが、自分の好きなものだけを手に入れて嫌なものは排除できるような気だってします。でもね、世界がそこまでしかないように切り取ることができるのはとても幸せなことのようにも思えるけれど、ちょっとだけでもいいので嫌いなものや自分ではどうしようもない問題なんかを見つめてみることで、知らない自分に出会えて自分からは想像もできないような表現欲求が出てきたりもします。しないかもしれないけど、それもまたよし。

 すべてに目を向け耳向けて、謙虚さと素直さと好奇心と大胆さを持ち、それでいて自分が一番面白いって思ってこれからもやってってほしいと思いました。これからどんな風に皆さんが演劇に関わってくのかはわかんないけど、僕も僕なりにがんばるので、みなさんもがんばってほしいと思いました。

 

 以下、各作品について書いてゆきます。

 

A‐1 fooork『ユニアデス』  

 一輪車を車のハンドルだったり事故後の身体の一部だったり新しい歩みを進めるための足だったり、そういった演劇的な見立てがこの作品の面白さのひとつでした。様々な場所や時間を旅する物語も素敵だった。だからこそ、「待ってました!」とばかりに一輪車に乗るクライマックスへの持ってき方はもっとこだわるべきだったと思います。一度乗ってみて倒れちゃうシーンを入れるとか、乗って走り出すまでを丁寧に見せるだけでも違う。主人公とともに旅してきた僕らは、最後に彼女が一輪車に乗って自由に駆け回るとき彼女と一緒に感動したいんです。そこに連れてってほしかった。一輪車が一輪車になってしまい、彼女の希望として表現するには足りなかった。役者の熱演は個人的には好印象ですが、言葉を届けることはまだまだ意識した方がいいと思います。それは自分の声も含めてよく聴くってことに尽きると思います。

 

A‐2 stereotype『感染性ピエロ』

 作り手自身がどのような「笑い」が好きなのかが明確なのが、まずとてもよいです。出演者も笑わせるために必要な「媚びてない愛嬌」をみんな持っててよかったです。ひとつ演技について言うならば「おもしろく」だけでざっくりと演じてるので、フリとボケとツッコミといった台本上の展開やセリフひとつや役割なんかを、俳優の意識の中で明確に分けて観客をガイドしてあげていたら、もっと笑いは起きたと思います。笑いやすくなるとも言い換えられる。所々演技が曖昧で、面白いのに状況がわかりにくくなってしまっていました。また、最初と最後の部分がうまく伝わってない気はしました。意図はわかるけど意図ばかりが強く伝わってきてたかも。できればこのことも圧倒的なふざけの元でやってますって伝わってほしかった。ただ、あの感じさえも意図だというならそれはそれでいいと思うのだけど、果たしてその笑いにくさを敢えて作ることは、この作品にとって必要だったのでしょうか。僕が出演者なら「ひーっ」って思うかなあ。どうせなら笑わせたいですし。

 

A‐3 劇団しろちゃん『ネクタイとスイカ割り』

 わかりやすくてオードソックスな演劇で、やってることとやりたいことがとてもよく伝わりました。わかりやすい演劇って場合によってあなどって見られがちですが、わかるってことは台本が伝わってるってことで、実はとても難しいことです。それを支えていたのは俳優たち。みなしっかりと言葉を発し相手役とやりとりをしていて、そのように導いた演出も含めてとても評価できました。だからこそ「自分の気持ちを他人に伝えることは必要か」という物語のメッセージを、観てるものがもっと実感できる展開が欲しかったです。学生たちの他愛のない会話のシーンが長く感じたけど、メッセージばっかりでもうるさいってなるのもわかるので、そのへんのさじ加減は難しいですね。ただ、よくみてみると、それぞれの役の価値観が最初から最後まで大きくは変わらないので、人物の対立や成長の過程での変化があまり描ききれてなかったかもしれないです。価値観が変わることも、やっぱり変えないと選択することも、どちらも成長だと思うのです。

 

B‐1 楽一楽座『LIVED』

 やりたいこと、それを伝える手段、最低限の技術やその精度など、演劇として高い水準を超えていて面白かったです。小道具の使い方やセットとの絡み方が雑だったり、音響・SE・マイクの音質・音量なども精度が低かったり、改善点を挙げりゃあたくさんあるけど、それも含めて作品的にアリに思わせられたのは、台本の中の展開や手数の多さ、選ばれた演出手段のセンスと世界観とのマッチング、そして何より演じきった俳優のキャラクターがとても大きいです。信じ続けられるまま、終演を迎えてくれました。最後のオチやオープニングは、観客席のグルーブ感をもっと作り出せたと思います。それは若さともいえるけど、観客に受け入れられたかどうかを確信してから安心して攻めても遅いんです。こういう作品こそ、「つまんないならお前のセンスがない」くらいの根拠のないでっかい態度でステージにい続けてほしい。そういてくれるから客席は受け入れなきゃいけない錯覚を起こすんです。修行をつんで、他人しか客席にいない劇場でまたいつかやればいいと思いました。非常に色気と可能性と強い意志を感じる作品でした。

 

B‐2 ゆり子。『あ、東京。』

 「東京」が迫ってくる大きな世界と、恋人や親子との間にある小さな世界が影響をしあう物語は、とても意欲的で面白く観ました。また、笑えるやりとりから始まり、ハッとさせる展開になってゆくラストへの流れのもよかったです。ただ、いくつかの箱だったりプロジェクターで全体を覆っていたりしていたわりに、空間そのものが埋まりきっていませんでした。それはこの大きな物語だからこその難しい部分でもありますが、エピソードひとつひとつはとても良いのに、エネルギーが本来辿りついてほしいレベルまで劇場に貯まりきっていかなかった要因でもあります。ひとつあげるならば、部屋が広すぎると思います。それにより主人公の愛も寂しさも、広がっちゃって薄まっちゃってました。例えば、真ん中に部屋を狭い範囲で仕切って作って、その周りに街を埋め尽くし「東京」を常に闊歩させたり、あるいは俳優にもっと鬼気迫るものを演出できていれば印象は変わってたと思います。戯曲を忠実に再現していて好感はもったんですが、再現すべき場所は実は舞台上ではなくて、やる人間と観る人間の内側にあると思うんです。自分たちの選んだ手段が観客の想像力にどう影響を与えるのか。ならばその手段は最も適しているか。「なるほどこういう設定ね」と思わせる隙を与えず、その世界そのものでしかないと信じさせるにはどうすればよかったか。非常に高いものを求められる本だったからこそ、少し物足りなく感じてしまいました。

 

C‐1ミチタ カコ『夏の続きは終わらない休み、雨の音は聞こえている』

 空間の埋め方はじめ、役者の演技体、スタッフワークなど、演出的なコンセプトが一貫しているのと同時に、作品へのこだわりや作り手の美意識がとても感じられて、そこは非常に評価できるポイントでした。ただ、そういった部分を楽しむのも舞台表現の楽しみ方のひとつだとは思いますけども、演劇としてこの作品でお客さんに何を伝えたかったのかがわかりにくく感じました。いや、伝えたいことなんてなくたっていい、なくてもいいんですけど、たとえば「観客をどうならせたいのか?」と聞かれたら何と答えるのか、仮にその答えがあったとして、それが伝わったかというと、作品の理想には足りない作品になっていたように思います。演出家の頭の中には果てしなく素敵なものが描けていても舞台上にあるものは違うという葛藤を感じて、もちろん理想が高いのはめちゃいいことなんですけど「この作品の一番好きなのはここです」みたいなことでもいい、作っててワクワクするこだわりの部分でもいい、そういったものがもっと見えたらよかったです。理想に近づけるために理想を追いつづけるのも大事なんだけど、理想を自分たちの今に強い意志で引き寄せるのも演出力だと思います。同時に、俳優ももっと疑問をもってほしい。こういった作品の場合、物語だけではなく演出意図を理解しないと、演出家は奇跡を作り出したいのに俳優は体操をしているだけになってしまったりします。俳優が圧倒的でなければいけない作品で、とても意欲的に思えたのですが、目の前の作品で評価した結果、推しきるには至りませんでした。

 

C‐2 でいどり。『夕暮れの公園、静寂を忘れて。』

 評価はとても悩みました。ヒリヒリとエネルギーは伝わってきたし、かっこいいし、好き嫌いでいうと好きでしたけど、強く推せなかった理由ははっきりしていて、演出意図をとても感じてしまって、だとしたら演出の方法がどうも僕には物足りなく感じました。例えば、この作品は、客席と舞台上の関係をしっかり守って上演する必要があったのでしょうか。開幕したらすぐに金髪の男が役のまま観客全員を丁寧に舞台上に挙げて座ってもらい、すごく近い距離で上演した方が、やりたい世界は伝わる気がしました。色々条件はあるでしょうから「んなこと言っても」ってのもわかるし、もちろん色々補完してみることはできますけど、これは他の団体にも言えることですが、補完して観たらどの作品も評価できてしまうので、僕があの日劇場で感じたことを大切にしますと、率直に感じたのはとても遠かったってことで。テーマの割にお行儀のいい芝居だなって思って、なんだかツイッターの中で叫ぶ人たちみたいでした。それはある種あの登場人物たちにリアルに感じる感情としてはいいのかもしれないとも思ったんですが、やっぱり彼らに寄り添うか突き放すことのできる当事者になりたかった。ツイッターで叫ぶ人たちの隣人だったり恋人だったり家族は、彼らの叫びをダイレクトに受けていて、スマホを通して見ている僕たちとは感じ方も違うと思うんです。劇場は事件の報道をする場所ではなく、事件現場につれていくことのできる場所でもあります。特にこの作品には、そのことを強く思いました。余談ですが、昔、自分もこうだったなあと、色々なことを思い出しました。

 

C‐3 劇団バッカスの水族館『結婚したら両目を瞑れ』

 タイトルに強く表れされる作品のメッセージもしっかり伝わるし、それを伝えるための演出もシンプルな方法が選択されていてよかったです。俳優陣もそれぞれ個性的で作品に必要な存在の仕方をしていたと思います。その中で気になる点がいくつかあり、そこが他より抜き出るにはちょっとしんどかった部分です。ひとつは、シーンとシーンの繋がりや積み上がり方がブツ切りすぎました。シーン内では必要なやりとりがなされるのですが、連続するとオムニバス的に話が積みあがってっちゃうので、もう少し戯曲の展開としての計算が欲しかった。星のエピソードと絡める部分はこの作品の魅力で、とってもとっても素敵なんですが、だからこそ全体的に星と絡めた物語のうねりを感じたかったです。各々のエピソードの連続になってました。また、キャラクターの演出が物語に従いすぎていると思います。簡単に言えば説明的。父は怒るために怒り、母は目を瞑るために瞑っている。もっと普通でいても怒りや哀しみへの想像の余地が生まれると思います。仮に、感情通りの演出をしたいとしたら、役が自ら不幸になるような行動をしていないかを大切に演出するといいと思います。どんな場合だろうが人は自分の幸せを願っているはずで、彼らの幸せを願う行動が結果的に不幸を招くようになっていればよかったんですが、登場人物は物語のために行動してしまっていました。人物たちのバラバラの行動の集合体が、結果として物語になってほしかったです。

 

 

おわりに

 極端なこというと僕、観劇してたら全部楽しめちゃう人間なので、審査員として、こうしたらやりたいことに近づけたんじゃないかなあというポイントを重点的に書かせてもらいました。よかったところももっと書きたかったんですが、こんな書き方になっちゃってごめんなさい。

 自分の審査を文章にしてみて思ったのは、「面白かったか」と同じくらい、「やりたいことが伝わっていたか」を大切に観ていたんだなあと思いました。

 確かに学生のころや劇団を旗揚げた直後は、ただやりたいことをやりたいようにやっていた。そこから、「どうすれば自分のやりたいことが伝わるのか」を考えるようになって、それが少しずつ伝わるようになっていくと、またやりたいことが増えて、もっとやりたいようにできるようになっていきました。そんなことを再確認して、僕もたくさん学ばせてもらいました。ありがとうございました。お疲れさまでした。またどっかで会いましょう。

 

以上です。