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企画

観劇レビュー 亀尾佳宏さん

shimane

島根県 亀尾佳宏さん(劇団一級河川)

 

あたらよのレビュー

 

照明によって丸く切りわけられた三つの空間。そこで繰り広げられる恋愛にまつわる会話。カメラはそのさまを定点でとらえ続けている。寄ることもなく引くこともなくただ一つの視点から見つめ続けるだけの映像になぜこうも引き付けられるのか。面白かった。ただ、面白かった。僕は「あたらよ」という劇団のことを何も知らない。演じている俳優の名も、誰が台本を書いて誰が演出をしたかも知らない。このお芝居がインターネットで配信されていなければ、僕はこの作品に出逢うこともなかっただろうし、「あたらよ」という集団を知ることもなかっただろう。偶然インターネットの画面越しにこの作品に触れ、面白かったと感じた観客の一人。前置きが長くなったけれど、これから僕は「あたらよ」の『会話劇』というお芝居をなぜ面白く感じたのかということについて思いつくままに書いていく。

まず等身大の役者がいい。大学生が大学生を演じるだけで等身大の演技ができるとは思わない。けれどもこの『会話劇』では、俳優が演技の巧拙ということを越えて舞台上に立ち、呼吸し心を動かしていた。求められた方が楽だから、好きという感情が分からぬまま女を抱く男。便利な女を演じることで男をつなぎとめるために男を求めるが、しだいに自分の思いを抑えられなくなる女。初めての恋愛に浮かれ、女はかよわく守ってやらなければならないと括ってしまう男。自分へ恋している男の想いに気づかず、恋愛相談をして傷つけてしまう女。女への想いを隠し、傷つきながらも良き友人として恋愛の助言をする男。五者五様の登場人物を観客はどのように見るのだろうか。今どこかにいる誰かのようにも感じる者もいれば、自分自身と重ね合わせる者もいるかもしれない。あるいはいつか出会った誰かのことのようにも。僕が大学生だったらどきどきしたり胸が締め付けられたり、自分の今と重ね合わせて観たことだろう。では大学生でない今の僕はと言えば、やっぱりいつかの自分と重ね合わせてどきどきしたり胸が締め付けられたり。そうやって過去を懐かしむ思いと同時に生じてくるのは、重ねた年月とともに成長したと思っていてもこと恋愛に関しては自分勝手でわがままで、結局自分はあの頃から1ミリも前に進んでいなかったのではないかという自責。へえ、今の若い人たちってこうなんだ、昔はあんなことあったね、そういった特定の世代の特定の物語と簡単に一歩引いた目で観ている観客を、いつの間にかその世界の中に引きずり込んで今を突きつける、そんな普遍的な力をもつ作品だった。

そしてもっとも驚いたのは、役者の力を存分に引き出した台本と演出。小道具が効果的だ。カード、ジェンガ、ドミノがそれぞれの関係においてなされる「選ぶ」「積み重ねる」「並べる」「崩れる」「捨てる」という行為を象徴する。演出は台本の良さを最大限に引き出している。上中下に区切られたシンプルな三つの空間。異なる三点で演じられる会話や動きが別の空間の会話や動きが補完する。セリフがいい。日常で交わされているような自然な会話。それだけではない。『会話劇』というタイトルでありながら会話ではないモノローグが随所にちりばめられている。そのモノローグがまた会話のように自然に俳優の口から流れる。観客にではなく目の前の人物に、語ってはならない秘めた心のうちを語るように発する。その言葉は詩的で美しい。叙事と叙情が、写実と抽象が見事に絡み合う。短くてシンプルな舞台。その中に存分に詰め込んだ「リアル」の衣に隠した作者の巧みな仕掛け。それが、退屈そうにも思える大学生のなんてことない日常を、明けるのが惜しまれるほど美しい夜のようにいつまでも続いてほしいと感じさせられた理由なのだろう。