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レビュー

審査員講評 西岳 氏

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総評

どの団体も自分達の表現したいこと、もしくは面白いと思っていることを親切に観客に伝えようとしていてサービス精神旺盛だと感じた。独りよがりにならないことへの感覚がそれぞれの尺度でしっかりあるのだと思う。社会で生きるためには他者との関係を作らなければならない、しかし他者との関係の作り方というのは簡単ではなく、さらに時代や場所、関わる人に対してその都度方法を更新し適切に行わなければならない。

観客と丁寧に繋がろうとするそれぞれの上演を見て、他者と丁寧に好奇心を持って繋がるための方法を、発見、再確認させられたことが幸せでした。

 

 

A-1 Route 「恐怖!奇想天外館」

脚本全体の構成がとても丁寧でよかった。

登場人物の関係性を序盤から台詞でさりげなく示唆していて、それぞれの登場人物の心境の変化や立場の変化に違和感なくついていくことができた。

ボケもただおかしなことを言うのではなく、ちゃんとフリがあってからオトしていたし、そのキャラクターに合ったおかしみを持ってボケが描かれていて、俳優それぞれが登場人物のキャラクターを奇をてらわずに実直に演じていたのもよかった。

演劇の中でボケたことに対してツッコミらしいツッコミを入れるというのはなかなか成立させるにはハードルが高いことだが、臆さずに挑戦しないことには、個性として獲得できないことだと思うのでその意気に好感をもった。

演劇とお笑いみたいなことについては色々これからも遊び続けてほしい。

 

A-2 ぽやぽやバケーション「巡り、めぐりて」

二人の登場人物のそれぞれの接し方や社会的距離の取り方に最初違和感を感じたが、登場人物の彼等の年齢を考えると、もろにコロナ禍の煽りを受けた若者たちだということで、違和感をもった理由に納得がいった。

私は想像することはできてもコロナ禍の煽りを受けた若者ではないという違いだった。

想像したつもりになってしまうことや共感したつもりになってしまうことは恐ろしいことでそれを今一度再確認させられた。

社会全体が共有するべき問題に立ち向かい真摯に上演し現実に近い想像を促すことは創作表現にしかできないことで、その創作を一人ではなく座組み全体で行おうとしたことに感銘を受けました。

どこかの彼女や彼等がまたこの上演でもいいし創作でもいいので繋がっていくといいなと願う。

 

A-3 大胆不敵ダイヤモンドダスト「we、weRE、カコウ。」 

舞台上の目に見えるものや聞こえることへのこだわりが細部に感じられて上演の強度があった。

美術、衣装、小道具、照明がそれぞれをちゃんと選択したり製作して舞台上にあげていて相乗効果を生んでいた。シーンによって見え方がちゃんと

変わっていったことがスタッフワークの良さを証明している。

タイトルを見てわかるように単語からなる言葉へのこだわりもあり、脚本の中の言葉遊びなども脚本家の明確なこだわりとなっていてよかった。音響も寄り添っていた。

それを発話し身体を駆使する俳優陣も言葉の音をしっかりと工夫して、舞台の変化に合わせてしっかりと観客に表現を伝えていた。

こういうものが好きなんです、美しいと思っていますというものをそれぞれのこだわりをもって真っ正面から見せていく上演だった。

 

B-1 劇団ちゃこーる「口紅と十五」

配役が良かったと見終わったときに感じた。

母親役と、息子役もすんなり納得できた、年齢差は俳優本人たちに実際にはないはずだが、ちゃんと母親と息子としてみれた。

母親が息子の部屋にぐいぐい入ってくるという微妙な脚本上の破綻具合がそうさせたように感じる。

その後もところどころ空間のルールを明らかに無視したり、問題処理能力の皆無以上の無が気になったが、それももしかしたら伝えたいことのための表現だと考えると、センシティブな問題が作中で取り扱われるのだが、センシティブな問題へのわかりたいけどわからないという悩みで、過去にそれで誰かを傷つけてしまったという苦しみなのかもしれない。

ただ今回の上演だとそれがあえての表現には見えなかった。

物語の破綻が持つ可能性を感じることができた。

 

B-2 ギムレットには早すぎる「今ーちゃー」

演劇は人がみたくて観ているんだと感じることができる上演だった。

自分自身の魅力に気づいているだろうに、こうすればいいだろうという驕りやイキリのようなものを一切持ち込まず、少し暑苦しくもある人情喜劇物語を、清々しくも滑稽に演じきった俳優に高揚感を覚えた。

もちろんスタッフワークも過不足なく、自分達が面白いと思うことをシンプルに実行していた。

演劇は観客がいて初めて作品が成立するというが、興味の手綱を舞台上と観客が共に持ちお互いに引っ張ったり引っ張られながら客席にいることができた。

成立とはまさしくそういうことなのだと感じた。

 

B-3 ターリーズ「ファはファンシーのファ」

ファンシーを政府によって禁止された世界の物語。滑稽な動き、やりとりを、ファンシーという可愛らしいとされる見た目でうまく覆い隠しながら、構造によって抑圧されてしまっている現実への問題提起がされている。

一見滑稽を超えて馬鹿馬鹿しくもあるのだが、俳優たちの身体や、発声にそれぞれの勢いや、センスが乗せられていて巧妙に物語の核を隠しているように感じた。それが現実の問題も巧妙に隠されているのでは?という一つの答えになっていると感じた。一見バカバカしく何の意味もなさそうなものに、とぼけながらも意味を込めるのには笑みが溢れた。

 

B-4 劇団ダダ「悦に浸れないなら死ね」 

終始気味が悪いなと思いながら観劇できてよかった。戯曲のワードセンスも気味の悪さを際立っていた。配役もよかった。

物語の肝としては『妻の姿をした女』を青木が見るようにどれだけ観客も想像できるのか?というところにフォカースが集まると思うのだが、混乱や破綻なく、『妻の姿をした女』として認識できた、あえてどっちつかずにした時にもちゃんと認知が歪み気持ち悪かった。

謎にテンションが高いシーンが挟まった後、それが撮影だとわかった時は、今演じられているシーンが青木に現実か虚構なのか判別つかなくなった時は、想像を揺さぶられた。

物語を見せるだけではなく、舞台上で見えていることそのものに認知のずれが出るいい上演だった。

 

C-1 餓鬼の断食「或る解釈」

固有名詞をどんどん出して、物語を現実へ繋げる手法は度々演劇でみるが、現実とリンクさせたいというだけの効果になりがちだが、使う固有名詞も吟味されていて、物語の進行、おかしみ、登場人物の人物造形、そして劇全体の印象や見え方を形作る要素として駆使していたのが面白かった。

特に固有名詞の意味がわからなくとも、全体を通してなんとなく不穏なイケスカない登場人物たちをそれでも愛おしく人間味のある人物にさせていた俳優陣の舞台上での存在の仕方にも拍手を送りたい。

 

C-2 劇団ゲスワーク「革命前夜、その後」

物語の場面や核から連想して、必然性のある小道具や舞台美術になっているのが物語の進行と共にわかるのは心地よかった。

なぜ、どうして、どうなったなどの感情がしっかりと整理されていたので、ところどころのセリフが鋭く刺さる言葉となって観客席に届いてきた。

ミヤモトの独白のシーンが特に印象に残ったが、シーンの印象が残るということは、俳優全員でしっかり上演を立ち上げて、俳優をはじめとした座組み全員で全てのシーンについて共通理解をし合っているからできるのだと感じれたのがよかった。

 

C-3 劇団二進数「脇役人生の転機」 

終始音楽と俳優の声量のバランスがよく、場転もただ暗転するのではなくブリッジを挟んだり、独白もムーブや音楽のカットアウトを入れるなど、細かいところ一つ一つに気の利いた演出が入っていてとても観やすく心地よかった。

自分達の体の状態や空間に対する交通整理を客観的に判断する能力が座組み全体で非常に高いレベルで意識されているのだと感じた、例えば美術もしっかりと作り込みながらも、時間や場所を違和感なく変えることができている上に、俳優の演技も登場人物のキャラクターを高い水準で演じていて感情移入することができた。物語を演じる俳優と共に並走していける上演だった。

 

 

西 岳 氏 プロフィール 

シラカン主宰・演出家・劇作家

 

1993年、愛知県出身。シラカン主宰。2016年にシラカンを結成。

2017年2月に第2回全国学生演劇祭に『永遠とわとは』で参加し、審査員賞、観客賞、大賞を受賞。

その後横浜を拠点に活動、関東圏外での公演も積極的に行う。

特な言い回しの会話を中心に、この世に存在はするけれど目には見えないモノ・コトを過剰な見立てで可視化する手法を用いて、存在するもの全てが同価値に感じられ、価値観が翻る作品創作を行なっている。

最近では2021年8月演劇系大学共同制作公演・多摩美企画『新しい憲法のはなし3』(原作:柴幸男)の演出や 2022年8月エイベックス・アーティストアカデミー東京校シアター総合コース第一期生の卒業公演 『椎茸と雄弁』(作:岸田國士)の演出を担当するなど、10代・20代の俳優との創作をベースに活動を続ける。