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レビュー

審査員講評 小倉由佳子 氏

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劇団しろちゃん『スティルインパクト』

複雑な感情が交錯する、いくつかの先輩後輩の関係を通して、理想を追い続けることの苦しさや葛藤、両者のすれ違いが描かれ、なんとも言えない切なさと清々しさが残った。会話にちりばめられたメッセージ性のあるセリフ(ややストレートで多めだったかもしれない)と、突飛な設定を真摯に貫く姿勢が、作品の説得力を支えていた。馬のように、クジラとイカにも視覚的な遊びや工夫がもう少しあれば、より強い印象を残せただろう。

 

社会の居ヌ『未χのチ。』

演技スタイルなどに既視感が残る場面もあったが、俳優同士の呼吸が合い、チーム力で魅せていた。SF設定や冒険の物語を活かすなら、登場人物それぞれの背景や想いを丁寧に描く工夫も必要で、限られた上演時間を考えると、海底生活、イルカたちの登場場面から始める選択もあったかもしれない。世界観の構築に対するこだわりは感じられた。こうした方向性でいくのであれば、フィクションを支える要素の作り込みがいっそう求められるだろう。

 

劇団あしあと『だから今、走る』

何度も登場する「グルグル」から始まるフレーズには、愛らしい幼さと懐かしさ、大切な人との時間が詰まっていて胸が熱くなった。一方、「菊の花」は象徴として強く、早い段階で提示されたことで先の展開が読めてしまったのが惜しく思った。全体として、誠実な作風に好感が持てたが、その誠実さゆえに描かれる悩みや葛藤がやや均質に見える部分もあった。大人になったサムを知る第三者(サムの父)を登場させるのであれば、生前のサム自身のそれらや無念さにも触れるというやり方もあったかもしれない。

 

劇団ちゃこ『アイマイミー!』

舞台上の俳優たちのアンサンブルが絶妙で、掛け合いのテンポや空気感から、彼女たち自身が楽しんで芝居をしている様子が伝わってきた。真ん中に「動けない人」がいるという構造もユニークで、勢いある脳内会話の展開を通して、ループする思考や想像が飛躍していく様いきいきと描き出されていた。講評の場で明かされた背景設定には私は到達できず、人生の停滞期にある者の古い友人との再会に潜む躊躇や不器用さこそが印象に残った。

 

ベイビー、ラン『わたしたちの失敗』

明治の文豪を思わせる語りと抑制された身体の使い方に、明確なチャレンジがあった。余白が喪失を際立たせるなか、ラストで流れた既成の楽曲は、それまでの静かな語りとは異なる強度で、観客である自分に迫ってきた。演劇において、ラストシーン近くのポイントを他者の言葉に委ねることの是非。その問いは私自身今もまだ抱えている。ハザマの白いワンピースはやや劇的で、簡素で研ぎ澄まされた舞台世界をファンタジーに傾かせていたのが惜しかった。

 

どろぶね『宇宙船なら沈まない』

まず俳優陣が達者で、テンポの良い会話と多彩なキャラクターが、場をしっかり支えていた。ハーブ農家や山彦が入り乱れるなかに、不安や逃避、焦りといった現代的な感情が滲み、カオスな世界観に惹き込まれた。ただ、冒頭で受け取っていたふたりの距離感と、終盤で提示される関係の親密さにはズレを感じた。山彦の言葉をきっかけに流れが変わる展開はやや唐突で、困惑しているうちに、思いがけず痛快な終わりを迎えた。

 

産業医科大学演劇部『宵闇アウトサイド』

吸血鬼、ゾンビ、魔女という異形の存在を、ハロウィーンの飲み会という舞台設定を使って違和感なく登場させた構成が秀逸だった。先天性と後天性という差異も含め、それぞれ異なる形で「生きづらさ」が描かれていた。多数決ゲームやアカペラサークルならではのコードや和音使いそれらが人間関係を象徴する言葉として機能していた。ただ、劇中で語られる「秘密」がさらっと告白されたように感じ、重みがわからなくなる一方、それも特別なことではない、という見方を示していたのかもしれない。

 

劇団激男 『黄ばみかけの完熟トマト、そこにちょっとのユートピア』

嫌悪感を引き起こすことも意図されたであろうこの舞台には、挑戦する姿勢が確かにあり、それは評価したい。セッティングの段階から世界観を作り上げ、観客を異様な空間に引き込む力があった。過剰な身体性や言葉の奔流、俳優たちの身の捧げっぷりに圧倒され、そこには表現に向かう苦悩も滲んでいた。お遊戯代行サービスやボッチ飯などのモチーフは社会の歪みや孤独を鋭く風刺し、笑いの中に不気味さを漂わせた。ただ、その強烈なエネルギーを前にしても、観客としてはどこか一定の距離を保ったままでいた。

 

道徳ふあんしー 解散公演『オートファジー・コメディアン』

自分たちの境遇とも重ね合わせていたからこそ、にじみ出る切実さがあった。漫才を挿入しながら進行する構成が鮮やかだった。冗長になることなく、削ぎ落とすべき部分をきちんと省いている点にも洗練を感じた。芸人であることの業や欲望、笑いと暴力の境界に悩む姿が描かれ、3人の俳優による緻密な演じ分けが物語をしっかりと成り立たせていた。漫才という、相方と向き合い続ける表現のかたちが、劇団という創作の営みとも静かに響き合っていた。終盤の自問は、苦しいながらも、誰もいなくなっても、どんな状況になっても、創作や表現を続けていくという決意表明のように感じられた。

 

総評(というよりメッセージ)

 今回、大賞は該当なしとなりましたが、決して良い作品がなかったということではありません。全国から集まった9団体の作品を通して、まさに「演劇の最前線の今」を見せていただいたように思います。現在のみなさんのまわりにある舞台芸術や、舞台芸術以外のカルチャー(小説やアニメ、音楽など)からの影響、さらには社会状況や個人的な悩みまでが、各作品に凝縮されていると感じました。

力作揃いであればあるほど、劇場という場所で働く私は、一種の責任感が湧き起こり、身震いしていました。こんな素晴らしい表現を生み出しているみなさんに見合う、刺激的な舞台や充分な環境を今後提供できるのだろうか、と。年上の者として、若い世代がのびのびと活躍できる社会を用意できているのかという不安も感じます。しかし、それはおこがましい心配かもしれません。みなさんは私の想像を遥かに凌駕して、舞台芸術に限らず、それぞれのフィールドで、それぞれの方法で新しい道を切り開いていくことでしょう。願わくは、劇場がこれからの人生において、一助となれますように。

最後に、第10回全国学生演劇祭の運営に携わった実行委員、事務局、スタッフのみなさん、その尽力には心から感服しており、心より称えたいと思います。