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レビュー

審査員講評 坂本見花 氏

 

  • 総評

 私自身、学生劇団出身ということもあり、とても興味深く拝見させていただきました。

 個々のお芝居もさることながら、授賞式や打ち上げで目にした学生さんたちの表情が印象的で、いまも瞼に浮かぶほどです。

 作品全体の総評を言えば、自分の身のまわり、自分たちが生きている「この現実」からお芝居を立ち上げている劇団が多かったことに、物足りなさを感じました。 作品が「個人的なこと」に終始してしまっている。もちろん、それが持ち味になっている作品もあったのですが、野田秀樹氏の言葉で言う「火星を踏みつぶしたり」する演劇も観たい。言葉が世界を変容させるような演劇。遠いところへ連れて行ってくれる舞台。演劇でしかできない体験がしたい。そういうことを模索している集団や作品に出会いたい。それがごく個人的な私の願いです。

 一方で(矛盾するようですが)、どんな作品にも必ず作り手の「個人的な実感」が立ち現れてくる瞬間があることを、とても面白く感じました。それは、今回、京都に集まった学生のみなさんが、それぞれの必然をもって演劇をやっていることの証のようにも思えました。

 

 演劇のことだけをひたすらに考える時間を持てることは幸福です。

 ウェブサイトに掲載していただいた応援コメントをもう一度述べて、総評の締めくくりに変えさせていただきます。

 

 「ビバ!学生演劇!!時間も頭脳も体力も惜しみなく使って、これからもどこまでも貪欲に、演劇と遊び尽くしてください!」

 

  • 劇団未踏座(3)

 全体的にちぐはくな印象でした。説明的な台詞。意志の感じられないスタッフワーク。

 「どんな音が、どんなタイミングで、どんなボリュームで」聴こえるのか、「どんな光が、どんな角度で、どんな明るさで」空間や俳優を照らし出すのか、すべてに作り手の意志があるはずなのに、「ただ音を鳴らせばいい」「ただ明かりを変化させればいい」というふうに見えました。もっと面白くて奥の深い世界がそこにある。それにふれてほしいと感じました。

 戯曲に関して言えば、ひとつひとつの要素をまとめあげ、見世物にするには至っていないというのが正直な印象です。

 ただ、「ザリガニ釣り師」という、主人公たちが囚われている社会的なルールから降りている(でも、生活のためにバイトをするなど、なんとなく現実との折り合いもつけている)人物の存在など、光る要素もありました。

 最後に、これは蛇足かもしれませんが――パンフレットに「新作で挑戦」と書かれていましたが、審査を勝ち抜いた作品を観たかったと思いました。支持された作品を練り上げる作業のなかで、見えてくるものもあるのではないでしょうか。

 

  • 演劇ユニットコックピット(4)

 たいへん誠実なお芝居でした。

 俳優、スタッフ全員が真摯にお芝居と向き合っていることを感じることができました。

 タイトルをきちんと効かせているのは、今回、このカンパニーだけだったのではないでしょうか。息子の死を認められず〈あしぶみ〉をしたままであることに後ろめたさやどうにもならなさを抱えながらも、最後には「もうちょっとだけあしぶみしていませんか。この縁側で」と〈立ち止まること〉を肯定する――舞台を流れる時間の中で、観客の内面に降り積もっていく言葉の力を信じている。そのことは、劇中で繰り返される「もう帰って来てたよ。気付かなかったの?」という印象的な台詞からも感じました。それら大切な台詞を担う母親役の演技にも信頼が置けました。

 私個人としては「帰ってくるならいよいよこの縁側からだと思わないかい」という台詞がとても好きです。この演劇祭で唯一聞くことのできた、しみじみ良いと思える台詞かもしれません。

 

  • poco a poco(5)

 質の良い、好感の持てる掌編。

 三人のキャラクターも良く、楽しく拝見しました。

 19歳の「わたし」のところに14歳の「わたし」が会いにくる、というのはこの年齢だから必然性をもって書けることなのでしょうか。魅力的な「発見」だと思いました。大人になってしまうと5年なんてそれこそあっという間で、会いに行ったり来られたり、というドラマの対象にはならないものです。10代がどれほど多感な時期であり、青春時代における1年がどれほど長いものなのか、思い出させてもらえました。もちろんそれは、彼女たちと同年代の観客にとってはよりリアリティのあることなのでしょう。

 台詞、演技ともに好感が持て、登場人物のやりとりや状況設定に無理がなく、不快さを感じるところがひとつもありませんでした。正しい長さで終わっているところも良いと思います。

 

  • 劇団しろちゃん(4)

 出場劇団の中で唯一、脚本家と演出家を別に立てているカンパニー。

 俳優の立ち位置や照明を効果的に使い、脚本家の描いた世界をきれいな「絵」として立ち上げようとする意識を感じました。月から「顔」の部分をぽん、とはずしてかぶるところなど、可愛らしく小さなリズムが生まれていました。

 観劇後、脚本を拝読しましたが、背伸びをしない、小説に近い文体ですね。目で読むコトバを俳優のカラダを通して立ちあげるときに生じる違和感のようなものに対してさらに繊細になると、また面白い世界が広がると思います。

 「月の夢は朝にあの子と眠ることでした」のリフレインは、少女の閉じた幸福感の象徴と受け取りました。

 「白く」なりたいという、ほんとうはピュアな女性の内面を、観客と夢の月だけが知っているという構造をうまく作ることができていたと思います。

 

  • 劇団サラブレッド(3)

 俳優三人の呼吸がよく合っていました。

 オープニング、期待感が高まります。

 けれども台詞が始まるとたちまち凡庸になってしまった、という印象でした。

 「ディスコミュニケーション」と連呼しながらのパフォーマンスが印象的なだけに、肩すかしを食わされました。

 主婦の悩みやサラリーマンの苦悩などの具体的なエピソードに魅力がなく、類型的でした。こういう細かなところが面白かったり、リアルだったり、ぶっとびながらも妙にうまかったりすると、それだけで惹きつけられるもの。集団創作でアイデアを出し合ってもいいのでは。

 「女装が趣味のお父さん」も単なるネタにとどまっていましたが、馬鹿馬鹿しくも悲しい、やむにやまれぬ衝動、というところに(たとえば)持っていくこともできたのではないでしょうか。

 一方で、作り手の「焦燥感」や「もどかしさ」はとてもよく伝わってきました。いまここで演じているこの舞台さえ、おれにはもどかしいんだ、というようなもどかしさ。

 作・演出の伊藤さんは力のあるかただと思います。「言葉」を手に入れれば、強いのでは――と感じました。

 

  • 劇団ACT(5)

 作・演出、役者、スタッフすべてが高い水準に達しており、見応えがありました。

 社会的な問題を短い時間の中に盛り込めるだけ盛り込んで、けれどもそれが無理やりに見えないのは、語る技術と意志とがあるからなのでしょう。

 速度と密度のある台詞を、俳優それぞれが内圧を高めた状態で発しているために、上滑りすることなく、ひりひりした感覚や空虚感を生むことに成功しています。

 誰かは常に誰かからの抑圧を受けている。唯一、抑圧の外にいるように見える青年からは土臭い生命力や生活臭が感じられず、彼は「被害者にならずにすむ場所」にいつづけようとする――劇構造というものに意識的であり、フレームやレールを使った舞台美術からは、空間にも語らせようとしていることが伝わります。

 長編をやるならばどんなものを見せてくれるのか、もしも社会問題を扱わないとしたらどんな世界を持っているのか、気になる集団です。

 

  • かまとと小町(4)

 「不倫の恋」を女どうしで演じると、可愛らしさと妙な生々しさが生まれるのですね。ひょっとするとこれはいわゆる「女子高ノリ」であり、受けつけない方もおられるかもしれませんが、私は好意をもって拝見しました。

 ストーリー自体はステロタイプなのですが、主人公を演じる女優のあたたかさ、キュートさのおかげで、ともすれば凡庸に感じられる台詞もじんと胸に響きました。

 逆を言えば、お芝居が力を持つも持たぬも、お客様に愛されるか否かにかかっています。自分たちを「好き」と言ってくれるかた、そうではないかた、どちらの意見にも耳を傾けてどうぞ真摯にお芝居を作っていってください。

 

  • 創像工房 in front of.(3)

 「神を戴く国における神の不在」と「プロレスにおけるヒーローの不在」をシンクロして描くという壮大な設定。しかし、俳優の演技の質とビジュアルワークがその構造を支えきれず、観客としてはむしろ作品世界から遠ざけられてしまうような印象を持ちました。言葉を選ばずに言えば自己完結型の演技も散見されましたし、衣装の細部がチープであることも気になりました。

 一方で、主人公が復活を果たしたところからの「これでどうだ」感や高揚感、「ありえないことを体現するのがレスラー」と言い放つ瞬間には、客席に迫ってくる力がありました。血と汗と鼻水でぐしゃぐしゃになった主人公が高々と掲げられるエンディング――あのエネルギーの発露をやるためにすべてはある。そういうある種「開き直り」のような衝動は、学生時代の特権のようにも感じます。

 

  • プリンに醤油(4)

 「不条理かつシュールなSFコメディ」だなあと拝見していたら、パンフレットにまさにそう書いてあったので、自分たちのやっていることをきちんと自覚されているんだなと感心しました。そういう集団は強いです。

 青田さんの存在を音響で処理してしまうところや、コンビニの研修のシーンなど、馬鹿馬鹿しさが秀逸でした。

 ただ、ホームセンターのシーンでは、照明のせいもあってか、いやな雰囲気を作り出すのにあまりに成功しすぎていて、不快感を抱いてしまいました。

 自分の夢を叶えるために自殺を繰り返し、その果てにたどりつく童心のような世界には、不思議と悲しささえありま した。その悲しさがとってつけたものでなく、コメディと地続きに見えるところに作り手の力を感じます。(そういう効果を狙っていたかどうかは別にして、 センスのある書き手なのだと思います)。