JSTF

レビュー

ゆとりユーティリティの観劇レビュー

20210302-_DSC6198

富山県 仲 悟志さん(劇団血パンダ)より

toyama

渾身の力で実行される力強いナンセンスの流れに身を委ねていくしかないので、息を殺して画面を凝視し、現場に居れば恐らく感じられるであろう圧力を想定しながらじっとしている。そんな体験となりました。

 

なにはともあれ、一人芝居に他者を持ち込む方法としてのパペットは、シリアスに見えようが見えなかろうが、もっと研究されてもいい形式だという認識を新たにしましたが、終わった瞬間には、作り手の意識として、敢えて可視化した人格と、ストーリーの畳み方との絡みをどの程度意識していたか、そこは伺っておきたくなりました。気になります。

 

罵声が目に見える形として透明なカップが飛んできた後、その罵声の残骸に囲まれて苦悶する絵作りが印象的だっただけに、場面が変わるのであれば、その後にも工夫が欲しかった様にも思います。

 

なにせ、逆転満塁ホームランからの「すべてを置き去りにして回れ!」というくだりは、長い時間力強さを継続できていたし、そこまでのバタバタが昇華されていると見てとれたので、足元のカップの片付かなさが、本当に片付いていないだけの様に見えてしまうのが、非常に惜いと感じたものであります。

 

舞台を埋め尽くす量を、あのパワーで景気良く蹴散らして、結果動き回った場所にうっすら道が見えれば、より爽快感がえられたのではあるまいか。過剰を超えたデストロイな物量。是非、お願いしたかったものです。

 

いきなりどこに行ってしまうんや。ケリがつくまで、そこでぐるぐるしていてくれよ。

 

と、そんな心地良いロックなカオスを提供していただきました。

 

 

神奈川県 カワノヨウタさん(劇団ScattoWright)より

kanagawa

エース野球選手と普通の会社員。まったく関係のない二つの人生。それが交錯していく様子がコミカルにそしてハートフルにが描かれていました。世界観に見事に引き込まれてしまいましたね。(笑)

 

この作品のフィクション度というか、虚構性は、相手の脳内で最後は完成させる、言い換えると見る側の想像力をマスターピースとする舞台という形式を思う存分使っていて気持ちが良かったです。映画とかでは表現しきれませんね。

 

何より演技力がすごい。半二重人格と、その他の登場人物を一人で演じきるパワー。圧巻です。僕自身一人何役というのをやることがあるのでわかるのですが、終盤になってくるとどの役をどの声色で演じてたか混ざり非常に演じづらい状況に陥ります。そうすると見る側は今誰なのかわからず、ストーリーはずっと上滑りし続けるはずです。それがなかった。これは相当な技量がないとなし得ない技だと思います。本当にすごい。

 

このお話の続きを欲してしまいます。脚本家の脳内には続きがきっとあるんでしょう。とっても覗いてみたいです。いい作品をみせていただけました。感謝です。

 

 

愛媛県 玉井江吏香さん(Unit out)より

ehime

 非常に魅力的な、破天荒な、力のある創作作品に出会えたことを嬉しく思う。

 社会人として奮闘中のヤマダの右手がサメのぬいぐるみ化してしまい、さらにそのぬいぐるみは野球選手で阪神シャークスのサメジマ(こういった、言葉の小ネタはたくさんちりばめられていて、ちょいちょいくすっと笑えた)で・・・という、割とよくある、イマジナリーフレンドとの対峙で心の声の悲喜こもごもと向き合っていく話なのかな、と思いきや(もちろんそうでない訳ではないけれど)、作品中カリカチュアとして描かれる社会の在りようや人たちが、「一人の世界」を越えたところで圧倒的な力をもって展開していること、つまり作家の外側に世界がある事をとてもクールに認識されていて、とはいえ、デストロイ、とタイトルにうたうほどの熱も込められており、その俯瞰と泣き笑いと熱さのミクスチャーが、なんとも落ち着かない気分にさせる面白い作品だった。

 主人公以外の10人以上の登場人物たちも、カリカチュアとしての身体として分かり易く描かれていて、かつ飽きさせない力技。途中、周囲のアクティングスペース外から投げかけられる声、賞賛やあるいは剥き出しの悪意、といったものも、現在、という時間軸の中で意識せざるを得ない「見えざる大きな場所」を想起させられ、ああそうだよね、としみじみ共感した。そして、同時にこの作品が団体作品であることが垣間見えて嬉しくなった。

深刻ぶった作品にしない姿勢には共感しかないが、「いつも通り負ければいいだけ」「上手に負ける」「楽しもうや」「俺がついてるやん」、心のやわらかいところへ届く台詞も多く、「どこまでも聞こえる声で叫ぶから」のシーンでは、二回見て二回とも泣いた。

9回二死満塁からの、サメジマの逆転ホームランが、何を「デストロイ」し、何に「さよなら」だったのか、余韻の中で、今も考えている。