JSTF

ニュース

観劇レポート 新美博康さん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.3.6

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

新美 博康さん

三重県東員町。NPO法人むうの木監事。

現在はまだ本格的な活動はしていませんが、活動の一環に劇団活動もありまして

将来的に舞台製作を考えています。ここ数年、高校演劇など多数の演劇鑑賞を行い

日本の演劇活動並びに演劇の素晴らしさを伝えていきたいと思っております。

 
 

 

Cブロック 三桜OG劇団ブルーマー

「スペース.オブ.スペース」

 

アオバが本当に地球滅亡のカウントダウンと思っていたが、

舞台奥に赤黒く光る七輪を見つけた時、

僕には、これは女学生達の集団自殺なんじゃないかと思った。

 

この先どうせ死んでしまうなら、自分達で人類最期の日を面白おかしく演じてみないか、と。

 

ともかく、現実に明日が自分にとって最後の日なら、自分ならどうするかと考えた。

確かに欲望のままに自暴自棄になる自分もいたがそうでない自分もいる。

そう考えたとき、この舞台から終末の1日、世界中の1人1人がどうするのか、と。

 

来るべき最後の日まで、獣のようになるか、人としての品格を持って生きるか。

 

女学生達が明るく振る舞えば振る舞うほど、その悲哀が深く増長されていく。

広く、深く考えさせてくれた作品でした。

僕的に今回の観劇で最高の作品の一つです。

 

あ、そうそう。

スーパーカップの話でひとつ。

舞台観劇前のある日、ある人と話しているときにスーパーカップの話になって。

僕が知ってるスーパーカップはラーメンの方のスーパーカップで。

その人はアイスの方のスーパーカップと思って話していて。

なんか話が噛み合わないなと思っていたらお互いがお互いにもう片方のものを

知らなかったっていうオチでした。

おかげで僕は今回のスーパーカップがアイスのそれを指していることを学習して

観劇日当日に来ることができまして(笑)

そういう人、いますよね。

 

 

Cブロック LPOCH

「溺れる」

今回観た6作品の中で、唯一感動した作品。

教育大学さながら、場面緘黙症というものを分かりやすく知ってもらうには

どうしたらいいかという思いが伝わってきました。

 

僕も似たようなところがあったりして、

周りとのかかわりあいは苦手なほうなんですが

同じ境遇だからこそ理解できるという意味でとても共感しました。

 

滴の落ちる音から始まる、油野×ユノの「溺れる」瞬間は秀逸だったし、

エビナさんのあっけらかんとした性格は一層油野の心の輪郭をはっきりさせていた。

手首につけた手甲の色はそれぞれの性格を顕し、

またその長さは水の流れる感や心の惑いを上手く伝えていた。

シロツメクサの冠は、都会ではない田舎の広い野原を想像させた。

当初、エビナさんが油野を溺れる境界線から引き上げたと思っていたが、

エビナさんも油野に引き上げられていたこと。

最後にユノが1人の生徒になり、油野がマスクを外し大丈夫だからと

やさしく語りかけるシーンは今までの自分からの解放を想起しました。

 

LPOCHの皆さん。

頂いた封筒、しっかり読みました。

ありがとう。しっかり伝わりましたよ。

 

 

Cブロック はねるつみき

「昨日を0とした場合の明後日」

 

岐阜大かあ。ふと、そういえばと思った。

 

昨年の全国高等学校演劇大会に出場した岐阜県加納高校の

「彼の子、朝を知る」を思い出した。

というのも内容が類似している訳ではなく、

正直僕には難しく、分かりにくかったという意味で。

 

脱ぎ捨てられた服を着てまた脱ぐように、

僕たちは人類創生の頃から、同じ歴史を繰り返しているんだろうか。

 

変わらない現実を理解した今日という日を踏まえ、明日を描こうとする行為。

意味のある答えを求めても所詮はその繰り返し。

漠然とではあるけどそんな今日という日の無力感から、

明日貴方はどう生きるかと問われている気がした。

 

アーチピローを頭につけたかみ。

18階をボルダリングでよじ登ってくる女。

スクリーンに映される「爆」の文字。

首を絞めると感度が良くなるからと勝手な理由をつけ、女を殺そうとする男。

ねえ、おかしいと思わない?

 

うーん…わからないなあ。

 

とりあえず、ウルスラルで世界リセットしてもいいですか?

僕も神の子なんだから。

 

 

 

 

Bブロック ヲサガリ

「ヲサガリの卒業制作」

 

僕が中学生の頃、今で言うところのゲームおたくやアニメおたくみたいな

小グループの集まりがあったのを記憶していて、

僕も含め、当時はちょっとキモい存在で敬遠されていたように思う。

それから30年。

マイノリティなオタクのレッテルがこうも変わるとは、予想もしなかった。

 

これはでも、今ご時世の舞台だからの面白さがあると思う。

気がつけば年も重ね、アイドルを一途に追っかけ続けた自分に、

推しメンの卒業は、社会から現実逃避をしてきた、

そんな自分の現在を振り替えさせる。

いやそんなことはない。決して今までの僕らのやってきたことは

間違いではないんだと。

 

まあアイドルの存在をロックスターに挿げ替えたとしてもやってることは

遠かれ近かれさほど変わらないのかもしれない。

そういう意味ではもともとそんな卑下されることもない。

 

携帯メール(おそらくLINE)を読み上げるシーン、笑わせてもらいました。

最後のサイリウムでのダンス?シーン、真っ正面から見させていただいたんですが、

舞台上に立つアイドルから見える光景を垣間見れた気がして面白かった。

ちょっと普段では見れない貴重な体験でした(笑)

京都で人気の舞台「GEAR」をオマージュしていたのかジャグリングやバック転も

GEARに行かなくても観れました(笑)

 

ちなみに普段の様子そのままを舞台で披露したわけではないですよね?

それはそれでリアリティのあるものが観れてよかったと思いますが(笑)

どっちにせよ、声を大にして自分が好きなものは好きだと公言できるっていいなあ。

 

 

Bブロック 喜劇のヒロイン

「べっぴんさん、1億飛ばして」

 

昼下がりの午後、お腹も満たされて眠気がピークに達したこの時間。

ウトウトしていたせいもあり、内容が十分に掴めなかった。

 

どうしても、姉の記憶が正しいという目線で見てしまい、話しが進めば進むほど

どちらが本物のダイゴロウなのかというジレンマに苦しんだ。

いつも当たり前の事が当たり前じゃない。人ってこんなに廻りの人に依存しているんだ。

 

探偵が母と結婚して父になっているのも奇想天外な話しだが、

そもそも始めから割烹着を着た男母が吉本新喜劇に出てくるような役者なんだから、

もう何でもあり。面白く見るしかない。

 

ウトウトしていた自分と掛け合わせ、「そうか全ては夢だったんだ」と言いたくなったが、

前ダイゴロウ。君が本物のダイゴロウであって欲しかった(笑)

あと、妹役の役者さん、普段もあんな感じで笑ってそう。凄くナチュラルでした。

もう一度見たい作品の一つ。

 

 

Bブロック 砂漠の黒ネコ企画

「ぼくら、また、屋根のない中庭で 」

 

脚本がそう思わせたのかもしれないが、とても学生たちが演じてるようには

見えなかった。三者三様、色を上手く表現していた。

 

始まりから、静かに淡々とした調子で進んでいった感があった。

「僕は、足が悪いから」

繰り返されるこの台詞が記憶に残った。

 

それぞれの身体に絡まる蔓が、傷んだ体の箇所を想像させた。足、目、心…。

心の役どころの意味するところがわからない。

わからないながらの帰り道、ふと思った。

これはこの3人で、1人の人間の心の動きを表してるんじゃないか、と。

 

自分に言い聞かせるように、エクスキューズを繰り返し、

見えない世界を都合の良いように自分色に塗り替える。

 

居心地の良い庭が決して良い訳じゃない。

そんな葛藤を僕らは繰り返している。

それが、人生なのか。