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第1回全国学生演劇祭 観劇レポート

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2016.4.5

第1回全国学生演劇祭の全演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集し、今回は3名の方に観劇レポーターとして関わっていただきました。

 

それでは担当していただいた方のお名前、自己紹介と共に、観劇レポートを掲載します。

 

 

 

 

一息人生 さん

 一息人生(ひといきひとき)と申します。22歳ぐらいです。

 たまに脚本を書いたりもしますが、普段は主に観劇を習慣にしております。2015年はだいたい300本ぐらいでした。

 四国から関東まで、色々な地域の高校演劇をよく観に行きますが、大阪では年に二度ある中学演劇の大会も観に行ったり、大学の劇団の公演も今年からよく観に行っております。他には関東や関西の小劇場、宝塚などの商業演劇、能楽の養成所の発表会などにも足を運んでおります。

 いつもは簡単な感想をぼやぼやと書くだけなのですが、全国学生演劇祭のHPの観劇レポーター募集というのを見て、この機会にそういうものもやってみたいと思い、応募してやらせて頂くことになりました。少しでもこれからのこの学生演劇祭を盛り上げることに貢献できましたら幸いです。

 

 今回レポートを書くに当たって、自分は演劇に関してはただの素人ですから普遍的な評論など出来るわけもないので、一人の観劇者として、この演劇祭の特徴である「短編作品の連続上演」に着目するよう心がけました。

 この形式においては、「多くのお客さんが劇団の作風や背景をあまり知らない」「複数の作品を、短い間隔で観る」「45分以内という、短めの(多くの団体は、作り慣れていないであろう)作品である」というポイントが肝になってくると思います。

 ……と、どの団体もそういうことに言及しながら書くつもりでいたのですが、いざ書いてみるとあまり言及できていないものもありました。

 9団体の上演はとても楽しませて頂きました。このレポートが各団体の今後の活動にも役立てることが出来ればよいのですが。

 今年度の夏は自分も活動していたので少し忙しく、なかなか回ることが出来なかったのですが、来年度は各地の演劇祭も出来る限り回れればなと思います。

 

 

  • 劇団未踏座

 この全国学生演劇祭の一番最初の上演を飾るに相応しい、演劇祭の紹介や京都の紹介も交えた学生らしい祭りの味を感じる作品でした。

 

 転換中から大きな文字のパネルがドンと目に入り、始まる前から少しお芝居も始まっていて、ワクワクとさせられました。笑い声やうめき声が聞こえ、人々が起き上がる始まりも、グッと引き込まれ、更に期待が高まります。白、黒、赤、紫、青といった服の色合いも綺麗でした。

 何のために生きているか、主題が早い段階で提示されるのも、良かったと思います。

 

 そして自己紹介、京都や大学の紹介、演劇祭の紹介、多団体の紹介、などが始まります。これは果たして必要だったのだろうか……という疑問が残りました。

 このブロックだけを、例えば出演団体の方の友人の方などが観に来た場合、トップバッターだしこういうものなのかなと思うでしょうし、なんとなく演劇祭そのものを楽しむきっかけにもなって、これはこれで良いのかなと思います。

 ただ、この作品において、この紹介が果たしてどんな意味を持ったのかというところにはクエスチョンです。この作品が、こういう人物によって上演されているものであり、その人物はこういう町で活動しており、こういう演劇祭に参加している。少し違いますが、簡単に言えば、これがお芝居であるということは少なからず提示していることになります。そういうことを提示することによって、このお芝居全体として何か浮かび上がるものがあったかと言うと、イマイチのように思います。安直ではあるものの連想するのは「わが町」ですが、それにしては「何のために生きているか」というテーマにとってどう繋がって来ているのかが見えません。

 こういう紹介があるならば、もっと「自己紹介」「活動拠点」「演劇祭」というポイントがもっとお話とも繋がってくれば、このお芝居をそんな彼ら彼女らがやっているということに対して切なさが込み上げてきたのではないかと思います。

 とはいえ、作品の中での効果を抜きにすれば、演劇祭を盛り上げるようなこの演出は交換が持てました。

 

 また、道具の使い方もあまり効果的ではないように感じました。周りにずっしりと建てられた大きな文字のパネルは迫力があって引き付けられるのですが、お芝居自体はずっとその中で小さくやっているため、情報過多になってしまっているように思います。風でゴミが飛んでくるというのもそれ自体は面白いのですが、引っ張っているヒモが見えてしまったりすると少し気が散ってしまいます。

 先の演出の方も含め、工夫を凝らしていること自体はとても良いと思うのですが、果たしてこのお芝居で伝えたいこととその演出や道具の効果、そしてバランスを考えたときに、本当にあった方がいいのかということはもっと突き詰めたほうが良いと思いました。

 

 主題にもある程度共感は出来るものの、あまり伝わらなかったなのがもどかしい気分です。

 作風自体には好感が持てたので、またどこかで拝見出来ればなと思います。

 

  • 演劇ユニットコックピット

 演劇祭のこの短い時間の中で、ここまでしっかりしたストーリーがあって、濃密な演技で空間を満たし、じわじわと増していく切なさと愛しい余韻を残して行く作品に出会えるとは思っていませんでした。

 

 ほとんどの団体が舞台を色んな場所に見立てたり、シーンによっては違う空間として使っていたりした中、ここは縁側という具体的な空間のみでした。

 この縁側という舞台設定が非常によかったと思います。

 広くはない舞台上にずっしりと構えられた縁側の装置。客席から向かって左寄り、そして奥寄りに置かれていました。そして左の舞台袖は家の空間と繋がっており、右の舞台袖は外の空間と繋がっていました。完全にくっつけてしまうことで、家の中から立ったまま歩いてくる、という自然な出入りが出来ていました。また、奥寄りで段が上がっているということで、役者が座って喋っていても後ろの席からも見やすくなっていました。

 それだけでなく、戦争で死んだ息子が帰ってこない、かつて息子が家にいた頃は玄関からではなく縁側からこっそり帰ってきて驚かせていた、という話の内容とも密接に結びついていて、とても切なくさせる巧みな設計でした。

 

 家族が次第に息子を失ったことを受け入れて行く中、父はいつか帰って来るのではないかと縁側であしぶみしていた。母の一緒にあしぶみしていましょうという言葉も、思い出すほどにじわじわと蘇ってくる。「あしぶみ」というタイトルは、興味がそそるパンチのあるタイトルではないものの、お芝居を観終えてからその感動が浮かび上がってくる良いタイトルだと思います。

 

 演技も非常に丁寧で、特に母の演技がとても良く、個人賞を取るのも納得の逸品でした。

 音で作られる劇的な瞬間、「ただいま」という言葉が段々と突き刺さってくる感覚、選び抜かれた言葉や演出の数々が短い時間の中で光り、積み重ねられ、深い感動を呼ぶとても良い作品でした。

 

  • poco a poco

 正確な時間は計っていないので分かりませんが、名古屋学生演劇祭と同じ分量でやっていたなら20分以内ということになりますが、他の団体に比べてかなり短かったように思います。それは時間自体の短さだけでなく、テンポもよく聴きやすい会話、愛着の持てる3人の役者さんたち、退屈する間もなく終わったという印象です。

 

 終電を待っていると話しかけてくる中学生。

 時が経つと忘れていくもの、就活に負われる残り少ない大学生活、恋、中学生の頃のほうがよかったかな、大人のほうが楽しいこともあるのだろうか、中学の担任の名前も覚えているだろうか、大切な友達の名前だって、忘れてしまっているのかもしれない。

 

 誕生日。

 忘れていた友人、の声。思い出してくる。話すほどに記憶が蘇ってくる。時が経てば忘れてしまうかもしれないけれど、それでも、きっと何処かには残っていて、忙しい毎日に掻き消されてどこかに埋まってしまっているだけでだけで、何か引っ掛かりを掴んでいけばきっとまた引っ張り出すことが出来る。

 

 劇団名の意味である「少しずつ」という言葉、そしてテーマとして掲げる「前に進むこと」が、しっくりと来るお芝居でした。

 3人の役者の魅力、共感しやすいお話、聴きやすくそれでいて空気が変わる瞬間をしっかりと作られた会話、短い時間ながらも一つのお芝居としての緩急もあり、爽やかな光の見える余韻も残る。45分の作品と比べても決して見劣りすることのない充実した時間を過ごせました。

 観客賞を取ったのも納得な、マイナスポイントの付けようがない素敵なお芝居でした。

 

 とにかく素敵で、何よりも応援したいという気持ちが残りました。

 短編ももちろん、作者の方が書く長編も観てみたいです。またいつか拝見したいなと思います。

 

  • 劇団しろちゃん

 夢と白の世界、というような心地。お芝居が始まる前から、奥に置かれた脚立と、その脚から広がるようにして床に三角を描くように、そして横断歩道のように床の黒い部分と縞々になるように敷かれた白布のようなものの。まず、その絵が美しく引き込まれました。

 お芝居が始まる少し前に、ままごとの「わが星」に使われていることで有名な口ロロの「00:00:00」が流れ、なんとなく美しい世界観を予期しました。

 その期待を裏切ることのない、音と光で彩られる世界。役者のセリフのひとつひとつもどこか美しく感じ、全体として非常に心地よい空間が広がっていました。

 ただ、その世界観の作り込みが、物理的な間を作りすぎていたようにも思います。音楽が流れ、その波にとって心地よいタイミングで終わり、心地よいタイミングでシーンが変わるというのはそれはそれで素敵な空間を作るのに大切だと思います。しかし、それによって作り出された”間”が意味のあるものであった部分もありますが、そうでない、ただ物理的に存在する時間が少し多いように感じました。心地よさと同時に少なからず飽きを感じさせてしまう要因になっていたかもしれません。

 

 このお芝居において良かったことは、まず最初に「はじめまして」を色んな人に言うものの、コミュニケーションを取ってくれなかったりする、というところから始まったことです。これは「どういう意味なんだろう」と想像させる推進力を持っていました。それと同時に、このお芝居において役者は必ずしもコミュニケーションを取るわけではないという手法が、その手法のお芝居を観るのに慣れていない方にも、すんなりと入り込める効果があったのではないかと思います。

 

 これは賛否両論が分かれるかと思いますが、途中、主人公の心情をプロジェクターで表現したことは個人的にはあまりよくないと感じました。この表現自体は巧く、面白いのですが、このシーンで急に使われたという印象が強いです。このシーンがその表現を用いて面白いということは、果たしてこのお芝居全体にとって必要だったのでしょうか。いっそ使わずに違った表現方法、例えば全てを沈黙で表現するであるとか、を目指してみてもよいのではないでしょうか。全体としての心地よさという余韻は残るものの、やはり少し薄いように感じた要因は、その辺りにあるのではないかと思います。

 

 個人的にこのお芝居の一番好きなところは、タイトルです。良いタイトルというのは大きく分けて二種類あると思います。

 一つは、そのタイトルを見て「面白そう」とか「気になる」と思わせるタイトル。

 そしてもう一つは、お芝居を観た後にタイトルを見ると、そのお芝居で感じたものが蘇るような、全体を一言で表すのに相応しいタイトル。

 この「醒めたホット牛乳」は、その両方の良さを持ち合わせていると思いました。ホット牛乳というものが「冷めた」ではなく「醒めた」というところにまず引っかかりを感じます。劇中でもホットミルクと言っている部分がありましたが、ホット牛乳という言い方もあまり耳馴染みがないように思いますし、「醒めたホットミルク」だとバランスがある威容にも見えます。

 そして、実際にお芝居を観た後に感じられるもの。まるで夢の世界であったかのような、そしてドロッとした恋愛の内容にもかかわらず、白く、そして濃厚ではあるけれど幾分かサラッとしているような。あの世界の色が鮮やかに蘇ってきます。

 気になると思わせる力があり、字面も悪くなく、観劇後のイメージにもよい、とても素敵なタイトルだと思いました。

 

 今回の上演こそ、そこまで大きな印象に残ったということはないものの、美しく心地よいこの作風はとても好きです。またどこかで拝見する機会があったら、ぜひ観たいと思える劇団です。

 

  • 劇団サラブレッド

 ディスコミュニケーションという言葉を軸に展開される家族のドラマ……と言ってしまっては、訳が分かりません。会話を途中でやめてしまうこと、急に一方的に話題を変えてしまうこと、周りの会話についていけないこと、他人がどう思ってるかを決め付けてしまうこと、伝えたいことが伝わらないこと、なんでもかんでも自分のせいにされてしまうこと、話をちゃんと聞いてくれないこと……などなど。主役である加藤くんの悩みから、周りの会話についていけず発狂する母、会社での悩みを吐露すると共に女装癖を晒す父。要約するのが馬鹿らしくなってしまうほど、内容としてはよくわからないものでした。

 

 このお芝居が面白いのは、「お客さんとのコミュニケーション」がしっかりと取れているからです。

 それは例えば、OPのダンスパフォーマンスのようなものから始まって、「照明が消えたんだからポーズやめてもいい」という台詞です。これがお芝居である、というのは加藤くんもとい作者の伊藤さんによってメタ的に語られてはいるのですが、それを更にスタッフ面まで踏み込んでバラしてしまいます。この発言があることによって、役者が真ん中にいない間もやたらと点いている真ん中の照明であるとか、照明を消して役者がやっていることを終わらせるという照明さんの存在を感じるような部分であるとか、そういうところがすんなりと受け入れられるようになっていました。

 親子の会話から突然メタの部分になる部分も、ラストの終わり方も、序盤でしっかりとそういった作風を提示しているので、あくまで一本のお芝居としての流れから脱線してしまうことなく笑えます。

 

 そして、一番の「ディスコミュニケーション」は、上記のようにしっかりとお客さんとコミュニケーションを取って笑いを取っておきながら、このお芝居でいったい何を伝えたいのかを明確にしていないところかなと思いました。現代社会の縮図とも見えるし、ただの作者の自己満足とも見えるし、ディスコミュニケーションを一段上から笑っているようにも見えるし、そんな人たちを皮肉っているかのようにも見えるし……なんて色々考えてはみるもののどれもピンと来ません。ただの思い付きから始まり、エチュードかなんかで作っていって、ただただ面白いものを作ろうと推敲していっただけなのかもしれません。もしくは漠然となにかあったものの、それが段々と薄れていってまあこれはこれで楽しんでもらえたらいいやというところに落ち着いたのかもしれません。

 

 多くの団体がかなり舞台を作り込んでくる中で、完全な素舞台でありながら、しっかりと印象を残していったと思います。個人的にとても応援したいなと思いました。

 

  • 劇団ACT

 非常に濃密な時間でした。Bブロックを最初に観たのですが、この会場でここまで舞台装置を作り込んでくる団体があるとは思わず、驚きました。一体これは何だと思わせる不思議な空間に更に驚きました。特に、一番手前に吊られている四角い木の枠や、床に一室を取り囲むように置かれたレール。お芝居が始まるその前から、気になって仕方ありませんでした。

 

 普段は観劇中メモは取らないのですが、こういった形でレポートを書かせて頂くのは初めてなので、どの団体も少しずつメモを取っていました。しかし、劇団ACTさんに関しては、取ったものを見てみても、はて一体こんな断片を散らかしたメモに一体何の意味があるのだろうかと、と言いますか、更によく分からなくなりました。

 

 細かい会話のチグハグが面白い……四角い枠は、このお芝居はあくまでも切り取られたものであることを表すのだろうか、あるいは、大田省吾の「更地」の窓枠を思い出す……普通に生きたくても生きられない人々、いっそレールの上に乗って歩めるなら、なんて思うこともあるだろうか……恋人でない相手とのセックス……大学に入っていればいい企業に就職できる……社会に組み込まれている、いわゆる歯車になっている、ということを意識した上で組み込まれている……中国人だからといって、というような、偏見……

 

 思い出していると、もわもわとして来て、頭がこんがらがってしまいます。

 

 床に敷かれているレールを走る列車は、彼ら彼女らが自分の足元を見つめなければ気づかないような夢なのかもしれませんし、そんなものは見下ろす程度の存在なのかもしれません。自分たちが語る言葉は切り取られたようなものであって、こうやって見られるようなものであって、けれど、切り取られていることも、見られていることも、分かっていながらここに在る、そんな心地がします。

 

 全団体の中で脚本と演出、そして役者の関係性が最も良かったと思います、とかうだうだと書こうとも思っていたのですが、こんな感じになってしまいました。

 

 ところで、最後にはお芝居が終わったのかどうかも分からないままに役者たちが舞台装置を片付けていきました。そして、バラバラと起こり始める拍手。

 果たして彼ら彼女らにとって、拍手は気持ちの良いものだったのでしょうか。良いか悪いかではなく、気持ちの良いものだったのかどうか、なんて考えてしまいます。

 

  • かまとと小町

 暖かくて、少し考えさせられる、素敵な30分でした。

 

 初めての恋をした相手が会社の上司で、奥さんもいた。お酒を飲んだ勢いはあったけれど、いけない恋と分かっているけれど、それでも好きな気持ちは抑えられず、彼は奥さんに嘘をついて一緒にいた。彼との子どもを授かった。離婚をするかも、と言っていたのに、彼から連絡は来なかった。そんなところから、恋は失ってしまったし、自分ひとりで育てられる自信もないし、お腹にいる赤ちゃんと一緒に死んでしまおう、と。

 でも、音がする。

 お腹を叩く音。……いや、扉を叩く音? 白い衣を纏った少女がやってきます。少女は実は赤ちゃんで、未来の自分の子どもだと。死を決意したところから、未来の生からの声が聴こえてくるのです。自分が死ぬことは未来の一つの生、いや、既にお腹の中にある一つの生を殺してしまうこと。子どもにとっては、なんの罪もなく殺されてしまうようなもの。それに、裏切られた、最低な相手だったけど、それでも本当に好きだったんだから。それは絶対に変わらないんだから。その結果として出来た命を、殺してしまっていいはずがない。

 -時を越えて 君を愛せるか- どこからか声が響く。

 

 愛、幸せ、生きること、そんなことについて、ずっしりと突き刺さるようなものではなく、あくまで小さな暖かい光を見つけるような形で魅せてくれました。

 30分という短い時間の中で、核心に至る経緯もしっかりと描きながら、伝えたいことをごまかすことなく伝えるという、短編としての作りがとても良い作品だと思いました。

 

 ただ、演出面に関して磨きがかかれば、もっと良くなる作り手だなと感じます。

 前半に多いコメディタッチな演出、後半でも少し挟まれるギャグ、が、果たして効果的かというとやや怪しいように思います。

 もしかすると回によって変わっていたのかもしれませんが、イマイチ受けていないように感じられました。もちろんコメディタッチだからといって受けることが全てだとは思いませんが、前半部分の時間が、ああいった演出をすることによって一本の芝居としてどのように活きていたのかというところが疑問なのです。例えば、笑ってもらうことによって涙腺が緩み、後半の切ないシーンで泣ける。あるいは、二人きりの時間がより幸せな時間として体感されることで、鮮やかな思い出として蘇り、切ない感情が増幅される。実際の意図は分かりませんが、どちらの方向性としても今ひとつ及んでいないように思います。それは役者のパワー、ネタそのものの面白さ、演出による緩急の付け方、などでもっと向上できるのではないでしょうか。

 とはいえ、短編作品の連続上演という形式において、ややチープな印象を与える側面もなくはありませんが、お客さんがある程度好感をもって観ることが出来るという点で、効果はあったかと思います。

 そしてもう一つ、赤ちゃんがお腹を叩く音と扉を叩く音とが繋がるという部分以外で、劇的に感じられる部分があまりなかったことです。お話として、言葉として、切ないということも伝わりますし、問いかけも考えさせられます。しかし、生のお芝居として、もっとより多くのお客さんにより大きな感動を与えるには、もう少し波が必要ではないか、と。どうしても全体として、平坦とは言わないまでも、インパクトが薄いように感じてしまうのです。もしかすると30分だからと割り切って、あえてさくっと見やすい演出にしているのかもしれませんが、それにしては内容はもっと感動を与えてもいいような題材のように思います。

 

 ですが、今回の作品が好きだったかどうか、印象に残ったかどうかに関わらず、多くのお客さんがこの劇団のメンバーに少なからず好感を覚えたのではないでしょうか。

 大きな世界に生きる小さな人間のほんのひとときの幸せを大切にしようとしているような、そんな作者の想い。そしてその作者の素敵な想いに惹かれ、共に作品として伝えるためについてきた役者とスタッフのみなさん。

 ストレートに”想い”に向き合ってきたメンバーの魅力は、作品の中に満ちていて、きっと多くのお客さんに伝わったことと思います。本公演があれば観に行きたいと思った方も多いのではないでしょうか。

 自分も、そんな魅力を感じた観客の一人として、かまとと小町をこれからも応援していきます。

 

  • 創像工房 in front of.

 最初から最後までグイグイ引き込まれるエンタメ作品で、とてもカッコよかったです。

 

 まず、ドッシリと舞台上に鎮座する大きな舞台装置。主にプロレスのリングとして使われる。劇団名が書かれた幕が舞台を隠すように持たれ、芝居が始まる前から後ろで何かをやっているのが見える。転換中の音楽や、たっぷりと焚かれたスモークも含め、ただただカッコいいなという印象から始まり、その期待を更に増していくかのようなMCが聞こえる。演劇祭に参加しているということも交えたMCは開演の合図となり、照明が消えていく中、グングンと熱気が高まっていく。

 この時点だけで全体を通して100点満点中の40点を既に得てしまうぐらいの、しっかりとお客さんを舞台の世界に引き込む力がありました。それは、この劇団において歴代の先輩たちが残していったものが、脈々と受け継がれて来た証のように感じます。

 

 物語としては、若きプロレスラーはGODと呼ばれている最強プロレスラーとタッグマッチを組むことになった。その試合で負ければ引退。若きプロレスラーは神の子と呼ばれる。しかし、GODは逃げ出した。これまでも八百長をしていただけだった。でも、若きプロレスラーはそれを分かっていた。そんなことは知っていた。それでも信じたのだ。一人でリングに立たされて、殴られて、いたぶられて、それでも信じていた。いつか来る。

 そんな一人のプロレスラーのお話と、救世主のお話がリンクした二重構造。今の世の中では、少なくとも今の日本では、人々は神がいないなんてことは、ある程度そう思っている。でも、心のどこかで信じている。救ってやくれないことなんて知っている。でも、どこかで救いを求めている。

 演劇だって、そこにあるのは嘘だって知っている。作家が台本を書いて、役者がそれを演じて、別にそこで起こっている出来事では決してない。そんなことは分かっている。それでもその世界を信じたい。どこかで信じている。

 でも、ぜーんぶ嘘だ。厳しい現実だって、いっそ嘘であって欲しい。けれど、そんなことは中々言えない。向き合わなきゃならない。ならば、せめてお芝居の中で、こんなもの嘘だって叫ぶことが出来れば。

 そしてラストの圧巻のパフォーマンス。

 

 二点ほど難を言えば、一つは、ちょっと分かりにくいところです。というのは、二重構造の作り自体が分かりにくいのではなく、この作りを提示するのが少し遅かったように思います。短編作品の連続上演という形式の中では、お客さんはその劇団がどんな芝居をするのか、というのは、あまり知らないことが多いと思います。その中で、一本の芝居として時間の流れと共に観るには、もっとこの芝居をどう観ればいいのかを提示した方が、より楽しめたのではないかと思います。もちろん、プロデュースされた催しではなく、審査形式の催しなので、どんなスタイルのお芝居をするのもアリだと思います。ただ、このお芝居においては、もしエンタメに振り切って魅せるのであれば、イマイチ分かりにくいなと思わせてしまっては損だと思います。

 そしてもう一つは、神の子と相手のプロレスのシーンです。相手は、試合を始める前の段階ではかなり力強い演技をしているのに、試合が始まってしまうと、どうにも少し力が抜けてしまったように感じました。それはおそらく、力が入りすぎて本当に殴ってしまってはいけない、というところから来ているのだとは思います。もちろんだからといって本当に当ててしまう必要はないと思いますが、せっかくここまで力強い演技をしているのだから、殴らないにしても、もう一工夫して力が入っているように見えるようなフリを考えてみてもよかったのかなと思います。

 

 それにしても、アツくてカッコよくて、清々しくて、とっても気持ちよかったです。

 きっと東京の方ではファンも多いのでしょう。機会があれば、観に伺おうかと思います。

 

  • プリンに醤油

 なかなかにシュールなコメディで、笑いが止まりませんでした。

 

 一体どんな話だったのか……思い出すと訳が分からなくなります。先輩が助けてくれたと思っていたら、11年ぶりに再会したのはバイト先で先輩は店長、急に拳銃自殺、語っていたと思えばそこは家のトイレ、ホームセンターはホラー仕様、そこでもまた店長、また急に自殺、人類は間を取り続けてきた、自殺してどこへ行く……

 断片を思い出してみて浮かびあげるのは、彼女たちのどこへも行けない、どこまでも行ってしまいそうな不条理さ。

 

 序盤からなんとも気だるい、というか、華がない、というか、役者さんの姿だけで、これは笑ってもいいんだということが分かります。そして挟まれる小ネタや急な展開は、細かいことは気にしなくてもいいんだと思えます。

 Cブロックでは特に、以前の2団体が割とガッチリとした作りのお芝居だったので、このお芝居はこう見たらいい、というのがすぐに分かるのはとても良かったと思います。

 

 展開の訳の分からなさはこちらの思考回路をどんどんと壊滅させて行き、「最後までチョコたっぷり」「○○が立った」「アイムソーリーヒゲソーリー」などの鉄板のネタも巧みに使い、どこまでも笑わせてくれます。

 転換が少し雑な感じはするものの、何故かそれも「次はどうなるんだろう」という気持ちにさせてくれます。

 

 ラストのシーンを見るに、何かこれを通して伝えたいようなこともあったのかなと思うのですが、笑いすぎて脳みそが麻痺していたため、ぼんやりとは感じるものの、よく分かりませんでした。

 なんとも語りにくいお芝居でしたが、全団体の中で一番好きでした。

 

 

山下耕平(Juggling Unit ピントクル) さん

 1991年生。ジャグリングをしています。Juggling Unit ピントクル代表。ジャグリングの舞台をつくっている関係で、最近は演劇とも多少の関係を持っています。演劇経験はほぼありません。
 演劇のことをより知りたいので、観劇レポートという形で自分が演劇をどのようにみているのかを文章化してみようと思いました。

 

 

  • 劇団未踏座

 Aブロックの一番手。僕は初回に観に行ったので、全国学生演劇祭の最初の最初の最初の作品を観ることができた、ということになります。

 開演前、黒い舞台装置がたくさん持ち込まれており、少し驚きました。なんとなく、こういう演劇祭ではそんなに凝った舞台装置を使わないだろ、と思い込んでいた。準備中にはなぜかメイド服の女の子が舞台上に立っていたり。舞台転換時間も劇団のアピールタイムなんですね。そんなこんなで舞台上には中央に大きな正方形の黒い台。台の真ん中には白丸が描かれる。上手下手にも黒色の台。舞台後方には大きな脚立。

 スタッフによって開演が告げられて、舞台上は暗転。布をかぶった4人の男女が中央の女の子を囲むという、いやに儀式じみた図から開演。「あなたはどうして生きているんですか?」と女の子が演説調で周囲や観客に尋ねるくだりがあって、、、からの、なんと演者と団体の自己紹介。テンポ良いです。紹介が終わってからの本編開始。主人公の女の子の過去と現在が錯綜しながら話が進んでいきます。

 受験の直後に鉄塔から飛び降りた友人のことを忘れられず、引きこもり生活を続けている女の子=小春のお話。毛布にくるまりながら、ストレートで根本的な問いをでも曖昧に投げかけ続ける小春の幼さがつらくて痛い。チャットモンチーの「橙」という曲を思い出しました。
 元気だった頃の小春の姿と、現在の小春の姿の対比がまたよかったです。現在の小春の方の、「ポッキー下さい」の言い方がちょっと好きでした。過去の小春もまた、一匹もザニガニを釣れなくて悲しそうにしているのがせつない。

 舞台装置は抽象的なのに、たまに登場する小道具は鍋だったりポッキーだったり、妙に具体的なのは、なぜだったのかわかりませんが、小春の狭い世界認識のあり方を観るような感もあります。タイトルに「日本」と大きなものを掲げていた部分にも似たものを感じました。

 

  • 演劇ユニットコックピット『あしぶみ』

 和室です。畳。舞台下手奥側に平台で和室がつくられ、上手と客席側が縁側になります。
 前の団体の未踏座と打って変わって、とても静かな劇でした。戦地へ派遣されたまま帰ってこない息子を待つ夫婦とその息子の友人二人(男女)が、息子の不在を受け入れて生きていく。舞台上には夫婦や友人たちのほかに当の息子=誠一もまた立っています。何度「ただいま」を言っても、誰にも聞こえず、誰とも目が合わず、縁側へも上がれない。それでも思い出の縁側にいつまでも静かにとどまり続ける。この作品の静かさは誠一の静かさだと思いました。その誠一にもまた激情にかられるシーンがありましたが、それは誰も縁側にいない時間(幕間)にとどまり、そのつつましさには涙しそうになります。

 息子をいつまでも待ち続ける夫婦ですが、中盤に転換点があります。父親が息子を待つことを諦めてしまいそうになるのを母親が押しとどめて、二人で一緒に待ちましょう、と説得し涙ながらに抱擁しあう場面。誠一が完全に蚊帳の外に置かれたこの場面では客席から啜り泣きが聞こえてきていてとても印象的でした。ここを転換点に徐々に夫婦の生活の焦点は誠一から逸れていきます。誠一の妹や友人たちの将来の話など。。。

 小道具としてビー玉が所々で使われていました。戦地から送られてきた誠一の遺骨箱の中に骨の代わりに入っていたビー玉。特に最後のシーン、一人残された誠一が縁側から部屋の中へビー玉を転がすという演出は美しかったです。含意もそうですが、単純にシーンとして美しく、好きでした。

 

  • poco a poco

 舞台装置はベンチのみのシンプルな舞台です。
 kiroroのオルゴール曲での回想シーンからの導入。斜め後ろ向きに座った二人の女の子の会話。会話のまわしが気持ち良いです。回想は短く終わり、次のシーンは中央にベンチが一台、そこにスーツの女性が一人。短大生が終電を待っているさなかに、ジャージ姿の中学生がなぜか登場、二人が会話を始めてからが本編!という感じ。やはりこれも会話のテンポがとても気持良いです。中学生の女の子のキャラクターがとてもいい。唐突に変なクイズをはじめて、答えたら「正解!ハイチュウあげる!」。まさに「道化」だし、でもしっかり中学生だなぁという気がして、笑いながらも感銘に近いものを勝手に受けていました。

 作品の方は、単に会話が面白いよね、というだけでは勿論なくて、その女の子は主人公の旧友の中学生時代の姿であることが分かったり、その旧友との思い出を主人公が忘れてしまっていることに気づいたり、とドラマが進んでいきます。「なんで忘れちゃうの?」と急にきつい言葉で詰り始める中学生女子の無邪気さと容赦なさがリアルでした。
 気が付いたら中学生はいなくなっていて、なぜかその旧友が現在の姿で登場、誕生日を祝ってくれます。中学時代と変わらぬテンションとノリで主人公を振り回しつつ、またまたテンポの良い会話。この旧友は先の中学生とは別の役者さんが演じているわけですが、この二つのキャラクターが間に時を挟んで連続しているのだということ、同じ人格の過去と現在なのだということが実感できてしまい、あとからなんだか変に混乱するほどでした。会話のテンポがそっくりに再現できていたのかなと思います。

 少し時間が短い印象がありました。もう何シーンか観たかったな、と感じたのが観終わった時の正直な感想です。前の二つが重厚だったせいもあるかと思います。

 

  • 劇団しろちゃん

 舞台奥に大きな脚立が置かれ、イルミネーションが飾られる。そこから放たれる光とでも言うように床に上下方向ではられる白い帯が三枚ほど。転換中にかかるのは星野源にクチロロ。

 女の子の自分一人だけの世界に入り込んでしまったようで、正直に言ってなかなかに居心地のよくない、そわそわさせられた時間でした。マンガなどで自分以外の登場人物が全て動物になってしまっている世界が描かれることがありますが、そんな感じでしょうか。目の前で実際に繰り広げられるとなると妙な気持ちになりますね。

 大好きな人の隣りにいるのに、彼は全く自分のことを向いてくれない。そんな女性の、夢の中と現実が入り混じった世界。夢のなかでは彼にそっくりの顔をした不思議な人があらわれて、丁寧に優しく語りかけてくる。。。途中、バンドのフロントマンになって主人公が主張をぶちかますシーンがあったり、恋敵と罵倒しあう修羅場があったり。優しく綺麗な世界の中で、ときおり現実の冷たさが見える。ものの、主人公が自分の世界にこもっている印象は最後まで一貫していました。登場人物みなが主人公のために存在しているかのような。
 ラストはイルミネーションや光るホット牛乳の瓶で彩られたなか、チャットモンチーがかかって締め。全編ミュージックビデオのような幻想的な舞台でした。

 

  • 劇団サラブレッド

 「コミュニケーション」が「ディス」な作品。あるいは「コミュニケーション」を「ディス」する作品?

 AブロックからBブロックと順に観てきて、ここまでで最も舞台上がシンプルです。というより何一つ舞台装置のない素舞台。役者は三人。音楽に合わせて「dis-dis-discommunication」などと呟きながら、叫びながら、不揃いなダンスを踊りつつ登場。父親・母親と息子という役柄と、サークルでの先輩後輩という素の役を行き来させつつ話をすすめていきます。
 父親も母親も息子も互いに打ち明けられない秘密を抱えて毎日を生きている。それを順番に大声で気持ちよく暴露していく。大声で言ってしまえ、「コミュニケーション」してしまえ、みたいな感性を馬鹿みたいに辿ることで揶揄しているようでした。「ミュージシャンになりたい!音楽経験ないけど!」の暴露でゲスの極み乙女をBGMにしていたのは笑った。

 役者が三人とも魅力的で、メタな作風であることもあり、眺めていて楽しい作品でした。「思春期ですから」を言い訳に勢いよくめちゃくちゃやっているという印象です。ラストははじめと同じくダンス。ノリこそコミュニケーション、いやディスコミュニケーションといったところでしょうか。

 

  • 劇団ACT

 舞台中央に楕円形にプラレールが引かれ、その中に机と椅子。天井からは木枠が吊るされて、机に向かって座る人は客席からは画面の中の人のように見える。プラレールの外側には五段ほどもある階段や平台、脚立などが並べられ舞台を一周する通路が形成される。そして、その所々に小道具として冷蔵庫やパソコン、ケトルなどなどまでもが持ち込まれてきます。まず舞台空間の作り方が他と比べ際立って凝っていて客席も期待が高まっていました。

 劇団ACTは今回の出演団体の中では唯一僕が今までに見たことのある団体です。二年前の京都学生演劇祭で一人静さんの演出を観たのですが、とても好きでした。今回も実はACTを一番の楽しみに観に来ています。

 複雑な舞台の転換が終わって、開演です。プロジェクタで映しだされる「  」という鍵括弧と空白。空白は何かしらの質問文であるらしく、それへ答える若者(おそらく)の文章もプロジェクタで映しだされます。そして、画面(木枠)の中での男女の会話へ。登場人物は六人。おそらく主人公であるだろう人物を要石にして他は互いに関連のない、実際最後まで舞台上でも関わることもない人物群。職場の外国人たちのことを「チャイナ」と言って罵倒するのに躊躇のない工場勤務の男や、それへ反発しまた地元の人間全般を嫌う女子大生、妻子持ちの同性愛者。。。彼らが言いつのる複数の世界観や思想の前に立ちすくんで、主人公がそれらの間に板挟みになっていく様に僕は自分を見るようで、しかしあるいはそれは僕がこの作品をそのようにしか見れなかったというだけなのかもしれません。

 人物の中で一人だけ浮いていたのは、パソコンの前に膝を組んで座った姿がはまっている男子大学生。周りを、そして自分をもどこか突き放して観察しているその姿は演出家や観客のそれを映し出しているようでした。悩みの渦中にある痛みみたいなものが多かれ少なかれ伝わってくる他の団体に比べ、悩みや苦しみが相対化されて描かれていて、その点見やすく思いました。また、複数の世界を舞台上に表現できていて、その空間の切り分け方のうまさを、同じ劇研という舞台空間を連続して使っているという事情のもとで、強烈に感じました。

 

  • かまとと小町

 AブロックBブロックと観てきて、どこの地域の団体であるのかというのは、あまり気にせずに観てきたのですが、このCブロック、特にかまとと小町さんには地域性を強く感じさせられました。それはとりあえずとても単純な理由によっていて、台詞が関西弁だったからですね。あえて関西弁でやります!みたいなものではないのがまた大阪らしい。大阪の地域としての強さを思います。こういうカラーの出方は、他の地域の団体ではありえないし、したとしても別の意味が出てきそうです。内容の方も、笑いあり、人情あり、でいかにも大阪な印象。吉本新喜劇的なものを感じてしまいました。
 舞台上には扉が三つ。三人の登場人物に対応しているよう。場所はラブホテル。上司との不倫で身籠ってしまった女性が、まだ見ぬわが子と出会う。前半は上司と主人公のやり取りです。場面の転換では有名なポップソングがかかり、それに合わせて二人が踊るというミュージカルのような演出が幾度も。上司の男性も役者は女性が演じています。後半は一転、主人公と赤ちゃんです。上司からの連絡も絶たれて、お腹の子共々死のうかと思い詰める女性のもとへ現れる、ベビー服であるらしい白いドレスをまとった、どう見ても成人女性な「赤ちゃん」。「誰なんあんた!?」というドタバタを基調に「死にたい」「生きたい」と感情のぶつけ合い。演劇において、言いづらい本音をどう切り出すか、という葛藤を観るのが個人的に好きなポイントだったりするのですが、笑いにうまく絡めていくこの感じはわりと好きでした。

 主人公の妊婦役の方がとても表情豊かで、ずっと見ていられるなぁと思ったりも。

 

  • 創像工房 in front of.

 東京・慶応大学。学生の熱量とエンターテイメント性の高さで、さすが東京、というかさすが東京の私立大だな!という感をもってしまった。Cブロックではそもそも開演前から、「二番目の団体さんがスモークをたきますので、云々云々」という注意アナウンスがあって、その時点からすでに存在感を出していました。団体間の転換時間では、舞台装置が出てくる出てくる。隣に座っていた演劇系大学生らしき女性たちが「なにこれかっこいい!」と連発していて、つい頷きそうになったりなど。。。舞台中央に円形の大きなステージが持ち込まれ、その下にスモークマシンが設置されます。団体名の書かれた横断幕が登場し、客席から舞台上を隠し、その状態から、開演。
 横断幕背後からマイクを通じての客席への呼びかけ(プロレス風?)というなんとも胸が高まるオープニング。新米プロレスラーと新預言者、二つの物語が並行して進められていきます。場面転換が多用されつつも、二つの物語で役者が同一のため展開はスムーズです。憧れのヒーローたる師匠への固い信頼と、神へのゆるがない信仰。友は、先輩弟子であり、「神の加護を受けた平和な国」の王子でもある。悪辣な罠をしかけてくる興行主と、「神を超える力を手に入れた」と迫る隣国の王。主人公はそれでもあきらめず戦います。

 正義は必ず悪に勝つ、わけではない。師匠は姿を消す。ボコボコになぶられ、はりつけにされ、ボロボロになって舞台へ取り残される主人公。復活をかたる彼のもとから友も離れていき。。。暗転。終演。かと思いきや、途中登場していたプロレスレポーターの女性が再登場、そのまま役者の紹介、からの主人公の「復活」の宣言。そのまま全員で毛皮のマリーズ「ビューティフル」をバックに踊る!終演!

 とにかく勢いと説得力がすごかったです。舞台上という現実であるがゆえに存在するはずの諸々の制約を感じさせない。キャラクターのデフォルメ具合からいっても漫画かアニメをみるようでもあり、ただプロレスシーンなどなどやはり生身の体の熱量があると違うなとも感じました。「信じる」というテーマが好みであったこともあり、もっとも楽しく面白く観た作品でした。

 

  • プリンに醤油

 「プリンに醤油」の「おじゃまんが」。団体名からタイトルから独特さがものすごい。圧巻の勢いだった創像工房 in front of. の後ということで、どんな作品であれやっぱり影響は受けざるを得ないだろうと思うのですが、今回はとても良い作用をしていた気がします。なるべく完璧に虚構を成立させようとしていた創像工房に対し、プリンに醤油はメタでシュールなコント。落差がものすごく、ゆえに面白さが倍増でした。舞台装置もほぼ箱馬のみ。

 二人の女性がなにやら舞台袖に半身を隠しながら会話中。初っ端、「いいか?」の問いに間髪おかずの「いやです」、からの「いやです」連発で客席をつかんで、展開されていく不思議な世界観&空気感。池田先輩の佇まいと行動の謎具合が本当に面白い。あるカフェで、三人の女性が久しぶりに再会する(店員として)。再会早々から開始される謎シュール会話に、しかし、唐突に訪れるシャットアウト。ピストル自殺シーンで笑いが躊躇なく笑いが起こりまくるのもなんだか不思議で少し楽しいです。池田先輩のトイレでの独白シーンを挟んで、ホームセンターでの三人の再会、そしてまたもシャットアウト。どうも池田先輩が時間軸が異なった世界を渡り歩いているらしい。シャワー室でも独白からコンビニでの再会、そしてシャットアウト。たどり着いたのは、吉田と山田が変な言葉を話す、ただそれだけの世界。。。

 それぞれのシーンがコントとして面白い。次の展開が全然読めず、いや読んではいてもそれを変な方向に越え続けてくる、ひたすら前のめりになって観てしまう作品でした。意味は分かったか、といえば、どうかなーとも思うけれど、でも意味が分かるためのものでもないかなと思うし、ただとても面白かったなという感想です。ということで、Cブロックは総体で観てとても楽しめる構成でした。

 

 

渡邊夏菜 さん

 東京の大学生。 東京学生演劇祭実行委員。中高演劇、からの、大学ではフリー(ほぼ観るのみ)。
 観劇レポーターへの応募は、日頃から「学生が学生演劇を評すること」について考えており、ひとまず私がやってみよう! と思ったため。普段は、小劇場系の芝居を主に見ています。

 

 

  • 劇団未踏座

 始まりに勢いがあり、その後も持続させていた点が良い。が、過剰になってしまう部分、もしくは、ふいに失速気味になってしまう部分もあった。また、演出の上で気になる点もある(例えば、何故鍋は本物であるにも拘らず、コップには水を入れないのだろう、など)。プロジェクターでの演出は意外性があり面白い。が、役者の勢いと相まって、力技のように感じてしまった。

 だが、直観的に、学生演劇祭ぽい、と感じた。おそらく、先述したような勢い、また、全員が楽しそうに演技をしていた点である。

 

  • 演劇ユニットコックピット

 兎にも角にも、丁寧、という言葉に尽きる。全体を通して、非常に細かい点まで作りこまれていた。特に、劇中での時間の重ね方、日常動作のひとつひとつ、に自然なこだわりを感じた。また、それぞれの人物に役割があり、それらの役同士の関係性の見せ方、特に、夫婦二人の空気感が素晴らしい。

 ただただ丁寧に重ねられたものから、自然と、景色が立ち上がってくるような感覚を覚えた。あと何回でも観たい、感じたいと思えるお芝居であった。

 

  • poco a poco

 大がかりなものが舞台にないため、役者の演技に集中することが出来た。一方で、小道具は多少派手なものを使っていたため、全体としてほどよいバランスになっていた。

 なにより一番大きな点としては、彼女たちの等身大が描かれていて、過剰なセンチメンタルになってはいなかったのが、とても心地よかった。過去の自分と話す、というのはファンタジー風でもあるが、ごく自然に受け止めることが出来た。今の等身大で作った舞台だからこそ、伝わってくるものがあった。

 

  • 劇団しろちゃん

 第一に、視覚的にバランスが良い。舞台に白線(横断歩道、他)を引いたことによる遠近感と中央に立てられた脚立による高さ、また、左右の空間の使い方、色の配置の仕方もよく考えられていた。また、空間の用途の変化は多かったものの、何かしらの工夫がなされていたため、混乱することはなかった。

 また、役者各々も、その場面の空気、また、劇中の世界観に沿った演技をしていて、不思議な空間と日常の風景の行き来もすんなりと付いていくことが出来たように思う。

 

  • 劇団サラブレッド

 コミュニケーションという日常。それが「ディス」していることによるシュールな笑いと、説明しがたいアバウトな嫌悪感、それでも伝えたいという感情を独自の方法で表現していた。クセになりそうな面白さがある。

 極めてシンプルに素舞台を使っていたが、特にいえば役者の距離感で、素舞台を活かしているときと殺しているときの落差があった。役者や脚本、音響などの個々は面白かった、そのため、より総合的なバランスが取れているとより良かったように思う。

 

  • 劇団ACT

 台による上下がある立体構造、釣り下がる木枠、水面に広がってく水の輪のような小道具配置。そして、プラレールを使う場面では、その音が静かな舞台によく映えていて面白い。だが、言葉が多く、「全部喋らせるのかな?」という気持ちになる。雰囲気がある分、もったいないと感じた。また、それに伴っているのかもしれないが、言葉が生きていないときがあった。

 全体の雰囲気は、一貫して保たれていたため、観客としては劇世界に入り込み易かった。

 

  • かまとと小町

 照明変化やダンスシーンなど客を飽きさせない演出が多かった。一方で、確かにエンターテイメント的な雰囲気になるのは面白かったが、もっと、曲(の歌詞)によってでなく、自分たちの言葉で表現することも出来たように思う。

 そして、もし、だが、男役を本当に男性がやったらどのような空気になるのだろうか。逆に、ごく自然にであるが、女の世界を作り上げられていたことが、MOMMYという舞台と、かまとと小町というユニットの魅力に共通することであろう。

 

  • 創像工房 in front of.

  客に訴えかけるエンターテインメントとしての演劇の形が目指されており、他の地域のものとは違う色が出ていた。転換から見せていく、また、最後に「役者自身」が「観客自身」に強く訴えかける、といった演出があり、演劇の虚構性を見せつつも、演劇のエネルギーを感じさせたことは見事だった。

 

  • プリンに醤油

 単純なコント劇として受け止めた。まとっている空気感が面白いのだと思う。結末の意外さも良かった。役者含め、個々の要素の面白さは十分にあった。が、特に、舞台の雰囲気とストーリーがそれぞれ違った方向の良さであり、そのため、劇全体としての印象は薄くなってしまったように感じる。

第1回全国学生演劇祭 講評&得点結果

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2016.4.3

審査員からの講評をいただきましたので、こちらに掲載いたします。
観客採点の平均点と、審査員それぞれの採点共に掲載いたしますので、是非講評と合わせてご覧いただき、審査員の方々が何を評価し採点を行ったのか、またご観劇いただいた方は特に、ご自身の採点との違いもお楽しみいただきながら、この演劇祭を、今一度振り返っていただけたら幸いに思います。


今演劇祭では、お客様、審査員共に、5点満点での採点を行っていただき、その平均点の合計で大賞を決定いたしました。
ここで一つお伝えしておきたいのは、この採点は、沢山の評価の仕方がある中での一つであり、この得点が、作品・団体のすべてを表しているわけではありません。
演劇祭では、作品以外でも様々なドラマがありました。各地から多くの学生が集うことで、たくさんの出会いが生まれ、可能性の塊が、一気に膨らんで色づいていったように思います。
それぞれの劇団、個人のこれからの活躍をぜひ楽しみにしていただき、少しでも応援していただけたら、これほどの喜びはありません。

 

それでは、講評と得点結果を、どうぞ!

 

 

得点結果

※小数点以下4桁を四捨五入

 

  • Aブロック

劇団未踏座
観客平均点 3.303
審査平均点 2
計 5.303

 

演劇ユニットコックピット
観客平均点 3.975
審査平均点 3.6
計 7.575

 

poco a poco
観客平均点 4.5
審査平均点 3.6
計 8.1

 

  • Bブロック

劇団しろちゃん
観客平均点 3.217
審査平均点 2.8
計 6.017

 

劇団サラブレッド
観客平均点 3.78
審査平均点 2.8
計 6.58

 

劇団ACT
観客平均点 4
審査平均点 4.2
計 8.2

 

  • Cブロック

かまとと小町
観客平均点 3.173
審査平均点 2
計 5.173

 

創像工房 in front of.
観客平均点 4.031
審査平均点 2.2
計 6.231

 

プリンに醤油
観客平均点 4.008
審査平均点 3.6
計 7.608

 

 

 

審査員からの講評

※各審査員毎に掲載。団体名の後ろの値がそれぞれの採点結果

(さらに…)

審査員からの講評

カテゴリ: アーカイブ 全国学生演劇祭開催後の劇評

2015.11.13

第0回全国学生演劇祭

2015年3月7日〜11日にかけて、『第0回全国学生演劇祭』と銘打って、各地の学生団体の上演とルール設定のための討論会を行いました。

 

 

—審査員からの講評—

 

あごうさとし

劇作家・演出家・俳優・アトリエ劇研ディレクター
「複製技術の演劇」を主題にデジタルデバイスや特殊メイクを使用した演劇作品を制作する。2014−2015文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として3ヶ月パリに滞在。代表作に「total eclipse」(横浜美術館・国立国際美術館 2011)、「複製技術の演劇—パサージュⅢ—」(こまばアゴラ劇場・enoco・アトリエ劇研 2013-2014)等がある。2010年度京都市芸術文化特別制度奨励者。
2013-2014公益財団セゾン文化財団ジュニア・フェロー
神戸芸術工科大学非常勤講師

 

 

総評

2010年代の学生の感覚とはどういうものかに、関心をもって見ました。劇団しろちゃん以外は男の性欲が共通していましたね。やっぱり若いんだね。それ自体は結構なことだけど、割にそのまま出てきているから、もう少し考えるなり疑うなりした方が、いいかな。ともすれば若いのに古い感じがします。舞台芸術として作品を評価せよ、と言われれば、とりあえずもっと疑いをもってほしいなと思います。現代芸術を更新するのは、やっぱり次の世代じゃないでしょうか。

 

 

  • 相羽企画

小気味よく、トントンすすんで会場も笑いがおこり、迷い無くきっちり提出されている。だけども、戯曲・演出・演技いずれもテンプレート的で、使い古されているものばかりなのが残念です。決まり事にとらわれ過ぎると、かえって不自由になります。突っ走りながらも、時に足を止めて、色々な舞台作品や他分野の作品に触れて、感性をやわらかくしつつ、知見を広げて深めて、また、突っ走ってください。

 

  • 劇団しろちゃん

肝心の「ぼく」の演技は、考えてほしいな。11才の少年にどうしても見えない。途中、女に切り替わる仕掛けで、なぜこの俳優が演技をするかというのはわかりましたが、そしてそのアイデアは面白いのですが、舞台は舞台で現におこっていることがやはり重要です。11才の少年を大学生が演じるという時に、何をもって11才の少年として提出するかは、難題ではあるが、極めて重要な作業であり、それを考え実践する所に面白さがある。戯曲は情報量が足りていないかな。きっと考えていることを反映仕切れていないと思うのですがどうでしょうか。

 

  • 劇団西一風

しっかり組み立てていると思います。息を落とさず最後までひっぱっていく着実さと力強さを感じます。俳優も魅力的で、娯楽性も高い。特にセーラー服の少女は印象的に残っている。ただ、芥川の何を否定したのでしょうか。俳優のアウラやタイトルなどに、ある毒性が香るのですが、割とそのままな性欲の発露で、そこは退屈です。力量や人気はあると思いますので、面白い主題を捕まえて欲しい。

 

  • コントユニット左京区ダバダバ

最初のレストランのシーンは、秀逸でした。不条理劇の作家性というものを鮮烈に感じることができました。
作品がずれて行きながら回収して行くという事だったが、作品の質が、知性と力技の間で揺れる。情報という事でなく、力学的な構造としてぶれる。このブレ自体は面白いが、その扱い、焦点のあて方にまだまだ考える余地がある。狙いが絞られると、演出家は俳優に対してもう一歩踏み込めると思う。解散すると書いておられますが、是非続けて欲しいです。

 

  • 劇団冷凍うさぎ

戯曲・演出・俳優・美術に基礎体力がある。年の若い俳優が、良く夫婦を演じ、美術にもセンスを感じる。演出は良くコントロールしている。
ただ、この作品の重要な登場人物である兄妹・カニの夫婦に対する俯瞰の具合に遠慮を感じる。「人間の温かさ、冷たさ」というテーマをも突き放して考えると良いと思う。決して派手ではないが、演劇に対して重要な冒険心を内包している。サービス精神にとらわれず、やばいなと思うことをもっと進めてみてはどうでしょうか。ところで、あの題材を選んだのは何故か聞いてみたい。
私はこの度の審査では、劇団冷凍うさぎを押します。今後の作品への期待と、継続の意思を持っている点で、強く推挙します。

 

  • 東北大学学友会演劇部

とてもうまい。本当に良くできている。構成もうまく、フリも無理なく回収されている。俳優は全員感じもいいし、嫌みもない。偏りというのも無く、群を抜いて、均衡のとれたチームになっている。部員60名という下地の迫力を感じつつも、こういう出会い方というのは、なかなか無いのではないでしょうか。素晴らしい事だと思います。あえて苦言を呈すなら、90年代から2000年代初頭に既に提出された若者演劇の踏襲という感じだから、刷新性・現代性・批評性を意識しているようには感じられないのが、物足りなさを覚えます。

 

 

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西史夏(にしふみか)

1975年、宝塚市生まれ。劇作家、脚本家。大阪音楽大学演劇部劇団「調」出身。伊丹想流私塾第14期及びマスターコース5期・6期卒塾。第6回富士山・河口湖映画祭シナリオコンクールグランプリ(2013)、「日本劇作家大会2014豊岡大会」において第1回こうのとり短編戯曲賞最優秀賞(2014)、第2回せんだい短編戯曲賞大賞(2014)を、それぞれ受賞。第21回OMS戯曲賞最終候補(2014)。日本劇作家協会会員。伊丹市立音楽ホール副館長。伊丹市民オペラ公演実行委員会事務局長。

 

 

総評

 審査員として6劇団の順位付けをするにあたり、完成度と作家性にどう折り合いをつけるかに悩んだ。舞台芸術であるからには、内輪に留まらず、社会に開けていなければならない。しかし、少なくはない作品において展開された性へのアプローチは、私にとって受け入れがたいものであった。直後寸評にも書かせて頂いたが、殊に若い男性が憧れの女性を射止めるという、ありふれたリビドーの散見と肯定は驚くべきものであった。ここに私は優れた作家性を発見する事がどうしても出来なかった。
 苦慮した末、“既成の価値観を覆す”作家性があるか、またはその志があるかという事に重点を置いて評価した。そこで1位を「冷凍うさぎ」とし、2位を「東北大学学友会演劇部(コメディアス)」とした。「冷凍うさぎ」は、等身大の若者ではなく、敢えて中年夫婦という自分たちにとって未知なるものを演じた事が、学生演劇の枠を超える挑戦だと感じたし、スタッフ、キャストも、その選択を真摯に掘り下げ、作品を厳粛なるものに仕上げていると思ったからだ。
 2位の「コメディアス」(と、あえて書かせて頂く)について語るには、その前に本演劇祭において私が発見した「性」とは別のもう一つの特徴について書かねばならない。6作品を通して感じたのは、“人は運命に逆らえない”という、なにか思想めいた冷めた雰囲気である。<神>や<死者>といった、この世ならざるものの存在が生きている我らをコントロールしているという確信である。その絶対性は、精神的なものではなく物質的な感覚により近い気がする。その点において「コメディアス」は確信犯であり、<人間>が<時間>に対して抗う姿を通して、劇をメタフィクションとして成立させていた点が、他の劇団とは一線を画す。私はそこに3.11以降の演劇の可能性を見出したかったが、『ファイナルカウントダウン』からはそこまで汲み取る事が出来ず、2位となった。しかし、この集団が今後も物質への闘いを続けていけば、必ず次の展開が見られるものと期待している。

 

  • 相羽企画

愛しのまおちゃんの心を掴むため、青春予備校に入学する相羽くん。ベタな笑いが連続して繰り出される濃厚コメディ。
久しぶりに読んでみようという気になり、帰宅して『井上ひさし笑劇全集』を手に取ってみた。これは「てんぷくトリオ」の三人のために書かれたコント集である。いわゆるテレビ用の笑いであるが、小気味良いオチが今読んでも新鮮だ。「相羽企画」は、コントを面白くする条件を一揃い持った、若手ながらも老舗風の劇団である。対立もあるし、オチもある、役者も上手い。何が足りないのだろうと考えた時、ふと風刺ではないかと思いついた。しかし、風刺が笑いにとって最も重要な要素の一つだと考えた場合、そのパーツが欠けているのは少なからず残念に思う。

 

  • 劇団しろちゃん

 ファミリーレストラン。11歳の僕は、母の弟である22歳のおじさんと偶然出会う。秘密の性の告白が交わされる会話劇。
 6劇団中唯一の女性作家。私の中で、ある意味「しろちゃん」が際立って見えたのは、この演劇祭において青年マンガの中に1つだけ少女マンガが混じっているように思えたからだ。“姉が好きで彼女と別れてしまった弟”が、成長した姉の息子にその秘密を打ち明けてしまう。どのくらい姉が好きかというと、“姉が新婚旅行に出かける朝、パスポートを盗んで逃げた”というのだから、異常である。それを、ファミリーレストランで淡々と語るわけだ。この設定と<僕><おじさん>の関係性は、私は面白いと思う。だが、青年マンガの読者にも少女マンガを読んで欲しいのならば、今後は見せるための工夫や技術が必要だろう。

 

  • 劇団西一風

 “恋愛はただの性欲の詩的表現を受けたものである”という芥川の言葉を否定する。と、書かれていたが、作者は、“恋愛はただの性欲である”と言いたいのだろうか。それは私の誤読か。疾走する踊りと音楽と芝居に置いてけぼりをくらわないように観ながら、悶々とする。
 好きだった女の子が援助交際をしていたというトラウマのせいで主人公並木紐彦は、女性と関係を結べなくなる。紐彦がこだわるのは、女性が<処女>かどうかという点である。結果的に風俗嬢との性交で紐彦は童貞を捨てるのだが、それは<素人処女>だからという理屈である。紐彦は、天願愛咲さん演じるボロボロになったセーラー服の風俗嬢を拾い、養った。この局面は、私にとっては、色情狂女性ジョーの半生を描いた、ラース・フォン・トリアー監督の映画『ニンフォマニアック』の結末と重なる。左記の映画において主人公は、“沢山の男と寝たのだからいいじゃないか”と言って迫る童貞の老人に銃をぶっ放す。私は女性で、今年40歳になる。いま20代の前半であろう男性の作者が40歳になった時、果たして性の描き方は変わるのだろうか。

 

  • コントユニット左京区ダバダバ

 舞台には首吊り用とも思えるロープが1本。英国風のレストラン。ダムヲがイブコにプロポーズするという会話から始まる。しかし、イブコはキリンだった…
 この出だしは秀逸でした。“コントユニット”と名に冠した集団が、あたかもフランスの不条理劇を思わせるシュールな劇世界へ観客を引っ張り込む。こういう人を食った展開は好きです。しかしこの後、世界の軸はどんどん横へ横へとスライドしてゆき、あんなにこだわっていた英国は、あっさりフランスに代わってしまい、抑制された不条理劇は、よくあるドタバタ劇に居場所を譲ってしまう。様々に登場する引用はセンスを感じるが、ベクトルが散乱している印象は否めない。私は途中で、キリンが何のメタファーなのか完全に見失ってしまった。冒頭の不条理劇のまま通せば、突出した芝居になっていたのに…。
 とはいえ、キリンのイブコが“だって私、喉ばかり乾いているのだもの”という台詞の後、ロープに首を伸ばす様は実に美しく、本演劇祭の中で極めて劇的な瞬間の一つだったと言える。現代のイブであるイブコがキリンだという事実が、旧約聖書『創世記』の中でどういった障害になり、何を変容させるのか。そのヒントがあれば、この劇の見え方は変わっていたかもしれない。

 

  • 劇団冷凍うさぎ

 寂れたパーキングエリア。事故で2人の子を失った中年夫妻の会話。それを見守る、死んでしまった兄妹と、カニ。生きているものと、死んでいるもの、異なる世界の会話。
 カニが、例えばワイルダーの『わが町』における舞台監督のような語り部的役割を担っているならば、同じ死者であっても、兄妹との立場の違いを明確にする必要があっただろう。夫婦、兄妹、カニの位相をハッキリ打ち出せば、鋭い三角形が描けたのではないか。更には、夫婦には事件そのものではなく、別の題材を使って思いを語らせることも出来た筈だ。大田省吾の『更地』や、別役実の『虫たちの日』、松田正隆の『冬の旅』など、中高年夫婦を扱った戯曲を一度参考にされてみてはいかがだろう。私は、この作品はもっと長くてもいいと思っている。核心だけで話を続けようとするから、短くしなければならないのだ。別の話題を与えれば、じゅうぶん45分もたせるだけの技術と精神力を、この劇団は持っている。機会があれば、ぜひチャレンジして欲しい。
 最後に、本演劇祭にスタッフ賞があるならば、間違いなく私は『あくびの途中で』の舞台美術を推挙する。小さなテーブルと椅子2つ、溶けた窓枠。ミニマムな『あくび~』の世界を現出し、秀逸であった。
 一見地味に見えるが、演劇で人の内面に斬りこんでいこうとする「冷凍うさぎ」の取り組みは果敢である。これからに期待して、私は一位に推した。

 

  • 東北大学学友会演劇部

 真冬の男子寮。年末も近いというのに、だらだらしている6人。突如現れたカウントダウンに抗う人間たちを描く。
 脱力系の俳優達の上手さに舌を巻く。殊に、6人の男性の駆け引きが絶妙であることは、私が言うまでもないだろう。おそらく、演出家は俳優の個性を熟知していて、彼らの魅力を最大限に引き出すことで、極上のコメディに仕上げる事に成功しているのだろう。
 『ファイナルカウントダウン』で、俳優たちが闘うのは<時間>である。演劇というカイロス(時計で計れない時)を、クロノス(時計で計れる時)が支配してしまうという仕掛けがメタフィクション的で、冷めた感じがいかにも洗練されている。
 自然災害など、人間にはコントロール出来ない危機的状況に、それでも抗おうとする人々の姿は無力で悲しいけれど、可笑しい時もある。私は今回東北大学を1位にしなかったが、もしこの人たちが今後、“人間にとってどうしようも出来ない事に、それでも抗う人々”を、ある一つの社会的な視点を持って深めていけたら、ちょっとした革命が起こせるんじゃないかと思う。

 

 

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森山直人(もりやまなおと)

演劇批評家
1968年生まれ。演劇批評家。京都造形芸術大学舞台芸術学科教授、同大学舞台芸術研究センター主任研究員、機関誌『舞台芸術』編集委員。京都芸術センター主催事業「演劇計画」企画ブレーン(2004~09年)を経て、2011年より、KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)実行委員、2013年より実行委員長を務める。著書に、『舞台芸術への招待』(共著、放送大学教育振興会、2011年)。

 

 

総評

 「学生演劇祭」というイベントの意味について考えるためには、「学生」という存在が、今、日本の文化のなかで、どのような位置にあるのかを考えてみなければなりません。
 今年で70年目となる戦後日本の文化において、「大学生」は、まさしく日本の文化全体をリードする存在でした。敗戦直後の日本を牽引したのは、学徒動員のような苦い経験を間近に体験した当時の大学生たちであり、演劇というジャンルにおいては、「新劇」の隆盛と結びつきました。やがて、戦後生まれの世代は、戦前・戦中世代に反発し、全学連、全共闘運動の渦巻く風潮と共振しながら、「アングラ」のような独自の表現を切り拓きました。そして、1970年以降、大学進学率がみるみる増加し、日本が高度消費社会に突入した後は、多様化するメディア文化を身軽に統合しうる表現手段として、新しい世代の大学生が、小劇場の爆発的なブームに結びつくような学生劇団の活動に熱狂したのでした。
 こうした活動の前提となっていたのは、「大学」という場所が、良くも悪くも「社会」とは一線を画した「独立空間」、インディペンデントな場である、という感覚の共有でした。そうした感覚は、いうまでもなく、戦後民主主義のなかで醸成された「学生自治」の思想に由来しており、消費社会化の後は、良くも悪くも、若者たちの楽園のような場所としても機能していたのです。
 しかし、今日、そうした大学像は、これもまた良くも悪くもですが、大きく変わりつつあると言えます。大学が、就職=キャリアデザインの問題も含め、社会といかに開かれ、繋がりをもっているかが強調され、あるいは「学力低下問題」を背景に、「高校教育との接続」をいかに確保していくかが話題になったりする。一種の自治共和国のような体裁をもっていた「大学」は、一種の「お薬」のように、社会のさまざまな矛盾に対処するべく撹拌され、拡散しつつある。私はかつての大学がよかった、と言いたいのではありません。「開かれた存在」としては、明らかによくなっている面もたくさんあります。しかし、その一方で、「大学」のイメージは希薄化し、それゆえ「大学生の文化」というイメージも明らかに希薄化していることは事実であり、「学生劇団」というイメージもまた、そうした時代の流れにしたがって、かつてほど輪郭のはっきりしたものとして思い浮かべることが難しくなりつつあるように思います。
 問題は、まさにそのようななかで、「学生演劇祭」を組織する、あるいは参加する、ということの意味はどこにあるのか、ということではないかと思います。というより、私個人としては、この「学生演劇祭」に、まさにそのことを考える場として機能してほしい、と思っています。
 1980年代以降に話を絞ってみたとき、学生劇団と小劇場演劇は地続きのものでした。たとえば、野田秀樹は東大劇研と、鴻上尚史は早稲田劇研と、強く結びついていました。それだけ、「大学」が、演劇的な新しい表現が主張しやすい場であったということを、このことは意味したはずです。ところで、現代のアイドル文化や、お笑い文化の多くは、80年代であれば「小劇場演劇」が担っていました(小劇場のアイドル的な女優に対する熱狂は、いまのアイドルに対する熱狂と――オタ芸的な様式化(!)の存在を除いては――大差ありませんし、小劇場における「笑い」は、吉本新喜劇が学校を作る前までは、若者文化を代表しうる存在だったのです)。いいかえれば、新しい表現を生み出す場としての「大学」という場所は、もはや自明のものではなく(繰り返しますが、昔はよかったということではなく、たんにそのように変わった、ということです)、才能や野心のある若い人たちは1990年代以降はそういう新しい場を求めていくことが一般化します。「大学」が、アートやエンターテイメントの最前線であることはもはやそれほど簡単ではない。しかし、だからこそ、いま「学生」が集まり、「学生」になにができるのかを考え、主張することに、逆に意味が出てきているということもできるでしょう。
 その点で、私にはひとつだけ、「学生演劇祭」に集まる人たちに考えてほしいことがあります。一団体の上演時間(持ち時間)を、どのように考えるか、ということです。
 周知のように、「高校演劇コンクール」は、上演時間に制限があります。今回の「第0回」を見ていて感じたのは、この「学生演劇祭」の上演時間が、高校演劇の上演時間の制約と、やや似たものになりすぎていないか、ということです。私は何度か、高校演劇の審査員をやったことがあります。その経験を踏まえていうと、「高校演劇」は、「演劇」などでは決してありません。ややきつい表現にきこえるかもしれませんが、最後まで聞いてください。私は高校演劇のなかに、演劇的に優れた作品があることをよく知っています。だから私が言いたいのは、クオリティの面についてではありません。「高校演劇」に、上演時間をめぐる自主的な選択権がない、というただその一点において、あえて、「演劇ではない」と言いたいのです。というのも、本来、演劇なんて、2時間でも、5時間でも、一晩でもやっていいものだからです。そして、空間も、どんな場所を使ってもいい。演劇という表現ジャンルの本質的な「自由」は、そこにあるはずです。
 「高校演劇」の時間制限は、それを前提とした特定のドラマトゥルギー(劇的構成方法)を可能にします。つまり、ひとつかふたつ、卓抜したアイディアがあれば、時空的に成立するのです。しかし演劇は、1時間を超える時間をどのように持たせるのかが、一番大変なのです(三浦基さんの劇団地点の作品は、60~70分程度の上演時間が多いですが、あれは数時間分の情報量を凝縮した1時間なので、高校演劇の時間性とはまったく異なっています)。大学生が、ときには「高校4年生、5年生・・・」などと揶揄されることもあるこの時代において、そうした「高校演劇」の制度とどのように切断するか、は、「学生演劇祭」のひとつの具体的な課題となるのではないでしょうか。
 皆さんの「主張」を、ぜひとも聞いてみたいと思っています。

 

 

  • 相羽企画

 「笑い」は演劇にとって、とても重要な要素です。しかし同時に「笑い」は、いま日本の文化においてもっとも競争の激しい分野であって、多くの才能が次々に淘汰されていき、それにしたがってクオリティも向上しています。そういうなかで、ライブでしかできない「笑い」、劇場でしかできない「笑い」がなにかを、「演劇」は一度じっくり考えてみる必要がある時期にきていると思います。この作品についていえば、ボケとツッコミはそれなりに上手いし、テレビ的なネタの作り方もさまになっていると思います。ただ、それだけでは学生コンパの宴会芸を超えられません。わざわざ、こういう特別の場に来て表現する意味はどこにあるのか。それを考え抜くことから、新しい「笑い」の地平は生まれてくるのではないでしょうか。

 

  • 劇団しろちゃん

 複雑な人間関係を、日常的なリアリティを基調にしながら丁寧に描いていこうとするアプローチには好感を持ちました。ただ、ほんとうにこの複雑な関係性を説得的に描き出そうとすれば、この上演時間では足りないと思います。そこをスキップしていくとき、どこかで表現が要約的になり、場面と場面のつなぎ方に詰めの甘さが生じてしまいます。まさにこの点が、「高校演劇的なもの」と「演劇的なもの」を分ける分かれ目になります。タイトルも、もう一回、考え直してみてもよかったかもしれません。

 

  • 劇団西一風

 「性」は、いま、最もやりがいのあるテーマでありうると思います。過去20年間、日本におけるセクシュアリティの感覚は、文化のなかでも最も変化の大きいファクターだったと思われるからです。この作品には、もはやかつての性モラルではおさまらない女性キャラクターが多く登場しますが、それ自体は、同時代の作品として当然でしょう。そして、この作品では、そうしたキャラクターが、とてもたくましく描かれており、かつ、それが、劇団独特の演出スタイルによって、自立したフィクションとして見られるところまで仕上がっていた点は評価できると思いました。

 

  • コントユニット左京区ダバダバ

 不条理コメディとして、奇想天外な展開には、見ていて驚かされました。良し悪しはともかく、ここには、「普通のドラマ」には絶対にしたくない、という強い意志が感じられたし、それはそのまま、この劇団のひとつの主張、メッセージであったわけです。惜しむらくは、この方向であれば、もっと破壊力のあるナンセンスを立ち上げることができたのではないか、という点です。キリンが首を吊る絵で終わることは、最初から予想がつく範囲の展開なので、もう一度、そこをひっくり返す迫力があれば、もっとよかったと思います。

 

  • 劇団冷凍うさぎ

 シリアスな夫婦二人の会話と、それをメタレベルから見る死者たちのコメンタリーと、二つのレイヤーから成り立っているこの作品は、設定としては十分に劇的要素をそなえていて、見ていて興味を惹きつけられました。ただ、メタレベルの死んだ子供たち、カニの視線が、必ずしもうまく機能していなかったことは惜しまれます。たとえば、この三人は、客席に背中を向けたりしますが、観客に背中を向けるという行為は、演出上の構図として、大きな意味を持ってしまうものなので、やるならばそれがうまく「決まる」必要があるでしょう。30分という上演時間は、彼らにとってはやや短すぎたかもしれません。

 

  • 東北大学学友会演劇部

 この演劇祭における上演時間の制約を逆手にとり、カウントダウンをひとつの劇的構造として使ってしまう、という手法は、思いつきとしては誰でも考えそうなことですが、実現するためには、かなり周到な計算を必要とします。グダグダの脱力演劇から始まって、最後にはそうした全体の構造をひっくり返すまで、徹底的にこの設定で遊びきったことは、ひとつの力の証明であったと言えるでしょう。結果として、出来上がった世界は、なんともバカバカしい世界ですが、バカバカしさこそ、この劇団にとっては最大の賛辞でしょう。そしてそのバカバカしさが、「演劇」のもつ、舞台上と客席という根源的な構造と結びついていたところに、彼らのエネルギーが生まれていたことは、あらためて注目されてよいと思われます。

 

第0回の賞

カテゴリ: アーカイブ 全国学生演劇祭開催後の報告

2015.11.13

第0回全国学生演劇祭

2015年3月7日〜11日にかけて、『第0回全国学生演劇祭』と銘打って、各地の学生団体の上演とルール設定のための討論会を行いました。

 

 

—第0回の賞について—

 

「第1回全国学生演劇祭(仮称)」のルール設定を行なうため、シミュレーションとして『賞』を設定し、その結果を検証材料としました。

 

  •   賞の設定/審査方法について
  1. 審査員賞
    審査員3名によって選出されます。
    全団体観劇後、実行委員会が定めた審査基準(後述)により受賞団体を決定します。各審査員で順位付けを行い、1位10点、2位8点、3位6点、4位4点、5位2点、6位0点とし、3名の合計点が高い団体が選出されます。
  2. 観客賞
    お客様一人につき、1点から10点までの持ち点が与えられます。 作品鑑賞後にお客様に作品への点数をつけていただき、その点数の平均点を出し、各団体の得点を算出します。各団体の点数を比べ、一番高い点数を得た団体に観客賞を授与いたします。
  3. 委員会賞
    全国学生演劇祭実行委員会によって選出されます。最終ブロック終了後に審査会を設けます。審査基準の設定も含め討論を行い、受賞団体を決定します。

    ※ 第0回全国学生演劇祭は、各賞に優劣をつけません。

 

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結果

 

審査員賞:

劇団冷凍うさぎ(大阪短編学生演劇祭)
東北大学学友会演劇部(とうほく学生演劇祭)

観客賞:

1位 東北大学学友会演劇部(とうほく学生演劇祭) 平均 8.73点
2位 劇団西一風(京都学生演劇祭) 平均 8.66点
3位 コントユニット左京区ダバダバ(京都学生演劇祭) 平均 7.30点

委員会賞:

東北大学学友会演劇部(とうほく学生演劇祭)

 

 

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※審査員賞の審査基準について


○演出力、作家性、社会性
・作品が練り上げられている
・この時代、ここで発表する意義がある
・作品の発表対象が内輪に留まらず、社会にコネクトしている

○完成度
演出意図が作品全体に浸透している

○将来性
今後、日本の舞台芸術を担い立つ人材を生み出す可能性がある


以上三点を満たす、あるいは極めて秀でている点をもつ団体へ、審査員賞を授与しました。

 

 

 

※委員会賞 設立意図/選考基準

 

この賞は各地の学生演劇祭でも設けているところはないのですが、第0回ということもあり、観客賞・審査員賞の審査基準ではなく、委員会のコンセプトに見合う作品および団体を選出し、各地の学生演劇祭の今後の賞の設定を考える材料を増やしたい思いから増設しました。

3月10日夜、人間座スタジオにて行なわれた審査会は、札幌から2名、東北から1名、名古屋から1名、大阪から1名、京都から1名の全国学生演劇祭実行委員会メンバー計6名にて行い、まず選考基準を決定するところから話し合いを始めました。
全国学生演劇祭の目的である、地方文化の発展、青少年育成、そして全国的な学生演劇のネットワーク構築という観点、そして『全国』『学生』『演劇祭』のそれぞれの意味を鑑み検討していきました。
結果、「各地の学生演劇祭に招聘したい団体および作品」つまりは「各地域の演劇の土壌を肥やす団体」「観ることによって各地の同世代の演劇の作り手に影響を与えてくれるであろう作品」について、各委員より1団体を選出し、多数決を行いました。同票で2団体となりましたが、さらに話し合いにより1団体を選出しました。

ホームページをリニューアルしました

カテゴリ: 経過報告

2015.9.15

全国学生演劇祭のホームページをリニューアルしました。