レビュー
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- 第0回 – 2015年
審査員講評 松井周氏
◯総評
全体としては、とても刺激的で、期待以上のものを受け取ったように思います。どのチームも借り物じゃなく、自分たちのやりたいことを元にして作っていると明確に受け取ることができました。
ただ、方法は違っても、内容の傾向としては対人関係における繊細なコミュニケーションについての作品が多かったと思います。他者との摩擦を回避しながらも孤独を恐れている登場人物たちはまさに現代人そのものでした。もしかしたら、そのリアリティを表現するために、一人芝居や三人芝居という形を選択していたのかもしれません。方法の選択というよりも強迫観念の実体化みたいなことでしょうか。
その繊細なコミュニケーションの行方にこそ、現代演劇ならではのテーマや方法があるのかもしれないと考えたり、実際の表現に胸を打たれながらも、とはいえ、もう少しのんびり構えているような演劇や観客の想像力を利用してやろうという余裕を持った演劇はないものかと考えたことも事実です。無意識な方法の選択によって、演劇の約束や強迫観念的なギャグを詰め込んで、少し窮屈になっているように感じました。
ここからは「演劇を疑う/信じる」の話につながるのですが、演劇は虚構(ウソ)でも現実(ホント)でもある表現なので、思いっきりウソをついてファンタジーの世界を作り上げてもいいし、思いっきりホントのことを言って、ただの真っ暗な劇場でしかないことを暴いてもOKなはずです。実際の社会問題でも自らの肥大した妄想でも何を描くにしても、まずは「思いっきり」が大事です。そしてそこからグルンとウソとホントをひっくり返すぐらいのことはしても良いはずです。ある意味、詐欺師みたいに観客に仕掛ける楽しみを見つけて欲しいというか。
観客だって疑うし、信じたいし、いっそのこと騙されたいし騙されたくない。そんなふうにウソとホントの回転で感情を揺さぶられた末に「この作品はわりと現実だ」とか「あの役はウソだけど理想だ」という思いがよぎるのではないでしょうか。虚構が現実になり、現実が虚構になる、かのように思える。それが演劇の力だと思っています。
これから皆さんがどんな作品を作っていくのか、とても楽しみです。
◯ミムガム『ミ☆ツ』(東京学生演劇祭推薦)
コンビニを舞台にコミュニケーションが得意ではなさそうな3人が、それでも会話以前の淡い関係性をつくっていくような作品として観ました。家庭ゴミを捨てに来る人との問答で「そもそも家庭とは?」という疑問に突き当たったり、代入可能な関係について考えたり、「団子の転売ヤー」が出てきたりと、物語上のアイディアは色々と光るものが散見されました。
しかし、短命なアイディアにとどまり、コンビニの店内的な空間とそれほど絡むものではなかったのが惜しく、人物たちの距離感や仕草がそのまま店内のレイアウトや小道具などと関係していたら登場人物たちのぎこちなさや痛さなどの心理的な反応をもっとイメージしやすくなったかもしれません。
また、モノローグの多用で状況を描写していく時に、言葉と動きがシンクロしていることが多く、ジェスチャーのようになっていました。もちろんそれは街の描写の輪郭を太くし、わかりやすくする工夫だったとも取れますが、そうすると観ている側の想像力は止まってしまう場合がありますので、わかりやすくしない工夫も欲しかったです。モノローグを言う人は「信用できない語り手(=ウソをつく人)であってもいいので、どんどん観客を裏切って、独自の世界をつけたり消したりしていって欲しいと思いました。演劇の場合、言葉が裏切っても舞台上には動かせないホントの肉体や空間が存在しますので。逆に、同じ人に別人を演じさせたり、別の時間を挿入する時にはできるだけわかりやすく表現しても良いかと思いました。
◯劇団愉快犯『銀河紀行』(京都学生演劇祭推薦)
ほぼ何もない空間で一人だけで空間と時間を作り出そうとするチャレンジ、しかも最初にルールを説明していくような覚悟にワクワクしました。全部で40人くらいの人物をやっていたことになります。そこがまずすごい!
動物園に向かう小学生の遠足バスがUFOに吸い取られて宇宙を彷徨っていく話かと思いきや、そのクラスの過去の話に遡ります。
人物だけでなく、バス、窓、UFO、教室、動物、ニューロンを擬音やジェスチャーで表現していくさまはリズム感もあり、滑稽でした。ただ、そのリズムやルールにこだわるあまり、繰り返しが多く、結構早めにお腹いっぱいになってしまいました。緩急のうちの急の方が強く、観客の想像力を振り切る面白さはわかるのですが、逆にもう少しその想像力を待ってみたり、頼ったりしてもよかったのではないでしょうか。
また、内容自体もクラスメイトたちの「学校あるある」に終始していて、UFOに連れ去られるという設定を裏切っている面白さを感じつつも、それ以上の展開に至らなかったという印象です。
給水の時間が実際にあったのはとても良かったです。あのシーンは、語られるフィクション(ウソ)と生身の身体(ホント)が交差する場面であり、呼吸の音のみの時間が続いても成立する良さがありました。
◯劇団ちゃねる『さよならシャトルラン』(とうほく学生演劇祭エキシビション参加)
始まった時の熱量と堂々とした振る舞いが最後まで持続していたので、飽きずに観ることができました。内容はバラバラな強い欲望を持つ3人がズレていながらもなんとかコミュニケーションして「壁を壊す」ような繋がりを持つこともあるのでは?と思わせる青春の話でした。人がある役割を押し付けられて悶えてみたり、ある理想の役割を願ってみたり、自分をある役割であろうと強く律したりすることの一筋さを感じました。
ただ、一方で役割というものや自分にふさわしい振る舞いなどについて、自己言及したり、比較していることの自意識過剰の空回りから一歩踏み出した認識ってないものかしら?と少し物足りなさも感じました。
演技においても同様に、各キャラクターの勢いの面白さと自虐的な内省がギリギリ誰かを傷つけることなくコミュニケーションしている優しさを感じつつも、どこか一本調子のテンションと身振りはどうしても単調さを生み、全て自分で自分を説明しているような狭さに留まっているのがもったいなかったです。もちろん、実際に壁を壊した身体の勢いや音の快感はあった上でのことですが。
◯萌Co.『大草原不可避』(名古屋学生演劇祭推薦)
映像とセットと身体を駆使した始まりや、一人で物語を背負い、時間と空間を満たそうとしたチャレンジは半分成功していたように思います。熱量も余裕もあるように感じました。
また、年齢不詳の小人と出会っての会話のやり取りは落語のようで観てて飽きませんでした。ただ、ショートコントやギャグが時々挟まるのはなぜだろう?とは思いました。その軽さはもちろん観る側の緊張を解くことはできるでしょうが、逆に集中力を削ぐところがあったと思います。意図があれば良いと思うのですが、ちょっと読み取れませんでした。でも歩いて距離を取ったり、見上げたりすることで小人のおじと僕の大きさを測るところなどはギャグだとしても、世界観が明確になって面白いものでした。
物語における現実の世界と物語の世界の間の世界という設定は興味深いものでした。これはまさに「演劇」の世界というか、ウソとホントが入り混じった世界です。そこで何が起こるのかをじっくり味わいたかったのですが、「黒いモヤ」の正体を探りもせずに、広げた風呂敷を閉じようとする(終わらせようとする)もったいなさがありました。「向こうを向いた花束」や「目線という銃弾」などのイメージ豊かな言葉がどこに向かっていくのかを知りたかったです。
◯劇団あまおと『玉座』(中四国学生演劇祭推薦)
舞台の真ん中の打ち捨ててあるようなソファーに眠る男がいる。この始まり方はとても良かったです。そこに配給でもらったカミソリを売りにくる女がやってくるだけで、荒廃した社会が見えてきました。どうやらこの眠る男は訳ありで、革命後の反政府勢力に怯えることから、崩壊した独裁政権の関係者であることがわかってくる。ここまでは状況説明としてスムーズな場面展開だと思いました。
しかし、この怯えていることを表現しすぎているように思えて、どうして反政府勢力たちは気付かないのか、不自然に感じました。むしろ、反政府勢力然とした態度でいる方が自然であり、だからこそ、政権側の昔の仲間がやってきた時(この展開はとても面白かったです!)にどうするか?というスリルが生まれるのではないでしょうか?
また、打ち捨てられたソファー周りの小道具を隠れ蓑にしたり、生活に利用したり、何かの隠し場所にしたり、高さを利用して上下関係を作ったりすることはもう少しできたのではないかとも思いました。もちろん使わなくても良いのですが、みんながそこに集まって話すからには、何かそういう場所ならではの居心地良さがあるのかなと想像しました。環境が彼らを呼び寄せるというか。
ラストは予想がついてしまいましたが、それでも怖さのあるものでした。ただ、群衆のSEなどなくても、私たち観客を利用しての演説でも良かったかもしれません。客席を俳優のみんなで囲んでしまえば、私たちは群衆として振る舞わざるを得なかったかもしれません。もちろん、それもありがちではありますが、拍手という観客が一体化しての行動と熱狂的行動の間にはどこか通じる危うさがあると思っています。
◯ペイント・タレント『いってしまえばマリッジブルー』(大阪学生演劇祭推薦)
登場人物の感覚の鋭さを表現するためなのか、空間が鳴らす音を頼りに組み立てられていることがとても面白かったです。音と身体の動きの連動や音量やSEを鳴らすタイミングへのこだわりも強く、どんなふうに体験してもらいたいかを考え抜いている強さがありました。
具体的にはテレビの音や扉が開く音、靴音などが、主人公には強く響いてしまうことが明確であり、コロナ禍の設定も後押しして、圧のかかった空間をよく演出できていました。それとは逆に、その圧を分散させるように、主人公のパートナーが主人公に寛容で繊細な会話をする部分もリアリティがありました。また、「お風呂が沸きました」というアナウンスのみを発語する人間がじっと部屋の隅に存在しているのも、リアリティにねじれが生じているようで面白かったです。
テレビの中の旅番組のレポーターやガイドの人たちが洞窟の中で迷子になるという、同時進行のエピソードも、主人公の頭の中で起こっているのか、実際にあったのか明確でないにもかかわらず「先の見えない不安」を説得力を持ってあらわしているように思えました。ただし、旅番組側の人たちのエピソードは大味であり、もう少し内容を吟味しても良かったように思いました。
とはいえ、全体のまとまりとやりたいことは明確で、安定した面白さがありました。
大賞、おめでとうございます。
◯トロイの箱馬『どうしようもなく特別な私』(福岡学生演劇祭推薦)
出だしの俳優の勢いと同時に不安定なところや、信号っぽいライトの点滅や横断歩道っぽいラインなどのフェイク感に掴まれました。しかも作品全体の勢いも最後まで失速することなく駆け抜けたので、やりたいようにやってるなあ!と、強い印象が残りました。それに笑えました。この笑いは、俳優の過剰な動きと台詞の持つインパクトが反復していくからこそ起こるランナーズハイのようなもので、こちらにも伝わってくるものがありました。
突如、登場するスーパーで売ってる鶏肉やもやし、三輪車などのアイテムもとてもくだらなくて良かったです。この愛おしいような「くだらなさ」に囲まれて生きている私たちの現実世界を描写しているようでした。内容自体も、主人公になれない者、においを気にしている者、ゾンビを排除した世界で救われようとする宗教の勧誘をする者が出てきたりと、不安定な日本の現在を戯画化するような面白さがありました。特に、「仕事」を「ぐーるぐる。」という言葉と歯車を回す行為で、あえてベタに表現する部分の「しょうもなさ」が際立っていました。
彼らの押し合いへし合いのラストは「ぐーるぐる。」と歯車回してルーティンを生きる現実の私たちの似姿だとは思いましたが、聴き取れなかったです。もっとじっくり聴きたかった!
◯カブク『改装中』(北海道学生演劇祭推薦)
二人の会話を、相手側の台詞が欠けたまま、一人芝居でやることによって、観客にうまく相手側を想像させていたと思います。その想像力をうまく利用して、存在しない立体物?を空中に存在させるような、魔法というか遊びを手にしているような余裕もあり、飽きずに楽しみました。
あと、実際に餃子を包むシーンがあったのは面白かったです。包むふりでも良いかも?と思っていたのですが、そこに確かな現実があるというか、二人をこの部屋に留める杭のようでした。
途中で相手役にスイッチして、もう一度初めからシーンが行われていくときに、観客は想像を裏切られるのですが、その辺りの仕掛け方も上手かったです。種明かしされていくような楽しみもありました。
しかし、不思議なことにその楽しみは途中から繰り返しのまどろっこしさに変わってしまい、飽きてしまった部分もありました。例えば、前半からの答え合わせとは違う、第三の流れが始まり、観客を裏切っていくということでも良かったのではないでしょうか?もちろん、そうじゃないからこその切実な二人の関係を描けたのもよくわかります。でも答え合わせによって、観客が自由に想像した「物語」を奪ってしまう結果にもなりかねません。
また、ラスト手前の音楽が入っての盛り上がりは蛇足に思えました。最後の「餃子食べよ、ほら」の台詞で充分ではないでしょうか。餃子はどこにもいかずに待っているので。
◯劇団とかげのしっぽ『残光』(名古屋学生演劇祭推薦)
独創的であり、すでに完成されたとも思えるようなスタイルの作品でした。演劇を疑っていることは確かで、だからこそ何でも試してみようと、歩き方から発語の仕方、舞台の使い方、照明、音響、衣装、小道具、構成、戯曲、全てにこだわりが見えました。
でも内容をどう語っていいかわかりません。「決められた位置からでしか良さや輝きを表現できなくて」という台詞もあるように、「人間は決められた位置から自分に理解しやすいように物事を捉えるし、自分も誰かからそのように捉えられてしまうし、そのように捉えられたいのか?」という問いの話だと考えることもできます。
実際、舞台上のあらゆる表現が「そう捉えられることを受け入れつつ、そこから逃げる」ようなものになっていて、例えばモノローグが始まると思しきスポットライトが点いても、俳優が入る前には消えてしまうし、花屋で花言葉を受け取らなきゃならない理由はないし、部屋もほとんど照らされません。
全体的にとても心地良かったです。自由に舞台を観て、考えを巡らし、この作品の中にずっといたいと思えました。この作品が上演されている間、立ち止まって良いと言われているようで、暗闇にじっと身を潜めていられて快感でした。
演劇作品として強い刺激を受けました。
審査員賞、おめでとうございます。