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企画

審査員講評 綾門優季 氏

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Aブロック

 

はりねずみのパジャマ(4)

 はじめはコメディだと思って観ていたのですが、すべて観ると言い知れない気色の悪さと後味の悪さが肌にべとっと残り、この作品の主眼は笑いにはない、と判断しました。設定だけを取り出せば「車の事故でやむを得ず奇妙な屋敷にしばらくいることになった大学生たち。しかしどうも様子がおかしい。目を放した隙に一人、また一人と消えていき、舞台中央には消えた人数ぶんの人形が意味深に置かれていくのだった…」っていう、予告を観ただけで絶対つまらない! と確信するタイプの、日本のB級(C級? D級?)ホラー映画みたいな筋なのですが、面白いのはむしろその筋を脱臼させていくようなディテールの数々です。無駄を綺麗にとり除くと15分程度で終わりそうな話ですが、無駄が笑えます。ラストシーン、消えていったはずのぐったりとした人たちにサッカーボールをパスすると、何故かだんだん楽しくなってパス回しを続けていくというのも、非常に暗示的で、簡単に作品を理解させない意地を感じさせました。ただ、バランスが難しいのですが、笑いがあったりなかったりする散発的なつくりなので、大きなうねりのようなものを予め起こさないように出来ており、途中、退屈してしまった瞬間が少なからずありました。演出でなんとかなりそうな部分も多かったですし、技術不足の感が否めませんでした。

 

 

南山大学演劇部「HI‐SECO」企画(2)

 申し訳ないのですが、この作品における独創性を見出すことが出来ませんでした。戯曲から想像していない演出をぶつけてきたなあとは思いましたが、戯曲のほうも演出のほうも、最近どこかで観た、という気持ちが最後まで続きました。先達に影響を受けることは否定しませんが、それを観客が簡単に連想するようではいけません。ギリシャ悲劇に似てる、とかならまだいいのですが、影響のもとがいま現役バリバリで活躍している劇団であるように、少なくとも私は受け取りました。特に戯曲については、この45分以内という短い制限時間のなかで、話がどんどんズレていき、しかもそれがうまく接続していかないもどかしさがあり、たとえそれが意図的だったとしても、効果は低かったと捉えられました。冒頭の恋愛っぽいくだり、効果的だったのでしょうか。掴みはOKという言葉がありますが、掴みはNG。そのくだりに限らず、どのシーンがどのエピソードと絡んでいるのか精査しきれておらず、観客の中で「結局あのエピソードは何だったの?」と疑問が芽生えてしまうのは仕方なかったと思います。これは観客の理解力の問題では決してありません。足し算ばかりして、引き算をあまりしていないのではないでしょうか。

 

 

Bブロック

 

fwtp(2)

 これで終わり? というところで何故か終わりました。制限時間もめちゃくちゃ余ってますし、どうしてこんなに短いのか謎でした。いや、短くてもその短さである必要があると納得出来ればそれでいいのですが、ややこしい設定を出してきた割にはサクッと処理した印象が拭えず、戯曲については「膨らませろよ! あと、どこかでみたことのあるような内容だと疑ってくれよ!」というツッコミを入れさせてください。古いSF感が拭えませんでした。こういうテーマであれば、今は村田沙耶香がバリバリ攻めた小説を発表している時代ですからね。演出はいろいろ見せ方を模索したあとがありましたが、いかんせん舞台美術のメインが黒い箱3つというのは、余程のことがないかぎりオリジナリティを発揮するのは難しく、実力がありそうなのにもったいない、と客席でため息をついてしまいました。

 

 

劇団ひとみしり(5)

 独創性という点で頭ひとつ抜けていました。物語を伝えるのではなく、観客の日常の捉え方そのものをハッキングするような大胆な演出方法でした。『リカちゃん』ではセリフがほぼ聞き取れない同時多発会話が多用され、前後の文脈もあってないようなものなので、次の展開が全く予想出来ません。しかしその混沌の連続こそが、私たちの日常の姿に限りなく近いのであって、リアリティがある、という表現はこういう演劇にこそ使うべきものです。だから、急に震災というわかりやすい落としどころに着地するラストシーンは、個人的に残念なものでもありました。そこで伝えているメッセージは、口にしなくても充分に理解可能でした。作品の構造そのものがメッセージになっていました。己の維持する世界とは関係のないものに対する、あまりにも粗雑な扱い。高速で目の前を過ぎて、選別もされずに忘れ去られていく、重要な情報やそうではない情報。ひとつひとつがSNSに毒されて、スマホを手放せない私たちへの痛烈な皮肉として機能していました。どれだけ楽しげな会話の最中にも、不意に怖くて泣き出してしまいそうになる、凶悪で野蛮な思想、現実への冷徹な視点が見え隠れしており、私はこの作品をいちばんに審査員賞に推しました。

 信じられないほど粗雑な上演で(それも味わい深かったですが)私しか推していなかったらどうしようかと思いましたが、授賞出来て良かったです。審査員賞、おめでとうございます。

 

 

睡眠時間(5)

 総合力が最も高かったのはこの団体です。特に俳優の演技力については、議論の余地もないほどに高度で、他を圧倒していました。大賞についても異論はありません。ただ、私は審査会当日になるまで、異例の「審査員賞は3団体になる」という結論に落ち着くことが予想出来ていなかったので、私の中の順位を審査会前日に決めていました。ベスト3は以下です。

1.劇団ひとみしり

2.睡眠時間

3.でいどり。

 審査会の中でも、ぎりぎり得票としては1位が睡眠時間でした。ではなぜ、睡眠時間を1位にしなかったのか、これからなるべく鮮明に述べます。

 審査の基準はいろいろありますが、劇団ひとみしりと睡眠時間が拮抗しているという判断になったとき、私は最終的に「希少性」を最優先に置くのだな、と今回の審査で思い知りました。そしてその観点においては、劇団ひとみしりが優位だと判断しました。1団体になるようなら、睡眠時間への審査員賞授賞への反対弁論も考えていたのですが、おもいのほかスムーズな流れで、劇団ひとみしりと睡眠時間への授賞が確定し、論点はでいどり。をどう考えるかに移行したので、率直に言って安堵しました。

 準備していた反対弁論はこのようなものです。「ちゃんと調べていればいいのか問題」というものが戯曲においてはある、と以前から考えています。よく調べてある、とは思いました。しかし、複数の社会的な問題の、並び替え方の妙と組み合わせ方の器用さは認めますが、それはあくまでも技術的なパズルであって、そこには魔法がかかっていなければいけない、その意味では魔法のかかり方が薄いのではないか、これでは完成度の高い研究発表ではないか(完成度が高いならいいじゃないかという向きもあります)と、戯曲を読んだときも、上演を観たときも、わずかな不満として残りました。魔法という言葉が悪ければ、個人的な感覚の押し出しが弱い、と言い換えてもいいです。ラストシーンに至るまでの流れに、魔法はかかっていましたが(タイトルの意味はいろいろ考えさせられますね)。ここからはじゃあどうしろと、って感じで恐縮ですが、魔法は各々が異なる呪術を用いているので、一般的な法則はありません。思考錯誤を重ね、続けていくうちに見つかる魔法もあるでしょう。戯曲のもつ文体の強さと重さと粘り気に、独特のものがあるとは思いました。

 すべては私自身に跳ね返ってくる言葉だと肝に銘じます。

 大賞、観客賞、審査員賞、本当におめでとうございます。

 

 

Cブロック

 

デンコラ(1)

 審査員全員が同じことを問題と捉えていたため、1票も入りませんでしたし、私も最下位の評価としました。性的マイノリティについてまるで調べずにキャラクター造形することは、論外だと講評の場でも述べましたが、ここでもう一度述べさせてください。オカマキャラのセクハラシーンで笑いを取るのは、論外です。笑えません。ものすごいスピードでただただドン引きしました。異性愛者が無自覚に同性愛者を差別的に扱う構造になっていることを、そしてそれが作品にとって有益でも何でもなくただの小ネタとして扱われていることを、否定出来る材料がありませんでした。調べればいいわけでもありませんが、調べないのは論外です。知らないのはもっと論外です。これは演劇以前に生きていくうえで必要な知識です。今日までいろいろありました。演劇を観なくていいので、まずはニュースをひととおりみてください。作品そのものも恋愛を扱ったコメディとして決して出来のいいものではありませんでしたが、この問題さえなければもう少し評価もあがったでしょう。評価の前に倫理の問題で、審査の対象からは真っ先に外されました。なお、私は前回の名古屋学生演劇祭の審査を務めた際にも、異なるケースで怒りを表明して、評価をガッと下げたことがあります(保毛尾田保毛男について触れた文章がそれですので、ご参照ください)。しつこくしつこく、これからも怒っていくつもりです。また、札幌の上演ではこの問題を、観客や審査員が疑問視しなかったと伺いましたが、本当なんでしょうか。私はそちらについても疑問視しています。なぜこの部分が修正されずに来てしまったのか。これまで誰も止めなかったのか。

 

 

でいどり。(4)

 

5点評価にするか迷いに迷って、最後の最後で4点にしました。審査会前日、審査員賞を3団体に出せるとは思っていなかったので、せめて2団体には絞っておこうという判断がありました。3団体、同じ程度に推すというのは得策ではない。それで弱く推しました。人によりますが、審査会の前に予め戦略を立ててから行くタイプなので、作品をどれぐらい強く/弱く推すかというのはその場の流れに身を任せず、どちらかというと抗って話すことにしています。

戯曲、文体があって目を引き、最後まで一気に読ませる牽引力がありましたし、演出、そう来たか、という意外性があって、女性と男性で造形そのものをあからさまに違わせることで(確信犯的な差別/区別の表現でしょう)主人公の主観的な世界に観客を没入させることに成功しており、観ていていい意味で気持ちが悪くなってくる作品に仕上がっていました。なのに情景は美しい、不思議なバランスで成立していました。惜しむらくは、尺の長さに対して、展開が若干少なく、全体として観たときに画が変わっていかないので、途中、集中力が切れそうになる瞬間がありました。あともうひとつかふたつ仕掛けがあって、ラストまで引っ張ってくれれば5点にしたでしょうが、最初から最後まで飽きさせずに上演を届けてくれた、劇団ひとみしりや睡眠時間と比較して考えて、4点にしてしまいました。

 審査員賞に異論はありません。おめでとうございます。

 余談ですが、この団体は前回の全国学生演劇祭の作品ですでに、審査員賞に値するものを発表していたように思います。

 

 

遊楽頂(4)

 

戯曲自体はよくある設定だなー、記憶を忘れられる薬ねえ、どうせ使いすぎるんでしょうねえ、あーやっぱりそういうオチですか、みたいな感じで印象がぜんぜん良くなかったのですが、演出は面白かった、というこの複雑な気持ちをどうすればいいのか、率直に言って困惑しました。3点評価と迷いましたが、上演を観終わったあとの満足度は割と高かったので、それに従って4点としました。俳優3名はいずれも魅力的でした。これが審査じゃなければ、想像してたより面白かったねー、といって家に帰ればいいことなのですが、残念ながら審査員だったので、そうなると他の団体の戯曲も演出も良かった作品より、評価は下げざるを得ませんでしたし、審査員賞の対象となる候補団体からは、早いうちに外されてしまいました。賞争いには賞争いの論理が存在します。楽しく上演が出来たならそれはそれでいい気もしますが、もし本気で勝つ気でいたとしたら、ものすごくベタな設定の作品で来るのは不利に働くということを忠告しておきます。それは他の作品を観た方なら、結果も含めて体感として、納得出来るのではないでしょうか。

 

 

総評

 

私は劇作家なので、主に戯曲について感じたこと、考えたことを中心に述べます。

 

 言葉を選ばずに恐縮ですが「大学生の恋愛、本気で興味ない」というのが全体への率直な感想になります。この問題は、大学生以外の設定だったとしてもおおむね該当します。私が恋愛に興味がないわけでもありませんし、恋愛を描くフィクションが苦手なわけでもありません。恋愛が出てきた途端に、典型的なパターンへと簡単に陥ることが問題なのです。遥か昔の古典作品から恋愛は重要なテーマですが、友だちとの飲み会で言えばいいようなことを、頼むから作品に持ち込まないでください。次の展開がわかる恋愛の状況をどうしてそんなに持ち込みたがるのでしょうか。睡眠時間が大賞となったのは、その意味で唯一、恋愛ではない愛について描けていたから、という言い方も出来ると思います。

 講評の場でも議論になりましたが、SFにそんなに思い入れのないひとたちがSFをとりあえずやっている、という疑念も拭えませんでした。私がグレッグ・イーガン、別の審査員がテッド・チャンに言及していたのは、小説と比べて演劇が周回遅れであるように思えたから、あまりにも現代社会との接続が希薄なSF設定を採用し過ぎているように捉えられたからです。リスペクトのない分野に、簡単に足を突っ込まないでください。情報を得るだけなら、今はスマホがあるのですから調べるのも読むのも、何だったら映像で観るのも容易です(コロナウイルスにより無料公開の作品が溢れかえっている今がインプットのチャンスと前向きに考えましょう)。自分の周りの世界と手持ちの情報だけで作品を作り上げる前に、一度、立ち止まって検討する段階を設けたほうがいい作品は、複数見受けられました。突飛なSF設定に飛びつく前に今一度、立ち止まってその作品の背骨となるものをしげしげと眺めましょう。

 特に今回、顕著な傾向でしたが、授賞団体の作品がいずれも「大学生を描くことに主眼を置いていない」ことはもっと考えられていいです(劇団ひとみしりが描いていたのは人間というより世界の姿そのものですね)。学生演劇祭としては皮肉な結末です。たとえ大学生しか出てこない作品であったとしても、必要十分な掘り下げと見せ方の工夫、私が大学生だったときと明らかに異なる価値観の呈示などがあれば恐らく推したでしょうが、総じて大学生が出て来ると急にキャラ造形が甘くなったり、既視感しかないセリフを吐いたりしていたように思います。自分に近い設定のひとほど書きやすいのではなく、自分に近い設定のひとほどうまく距離が取れなくて書くのが難しい、ということが、あまり理解されていないのではないでしょうか。少なくとも私は戯曲のなかに「東京都在住の28歳の劇作家」を、よほどメタ設定で必然性があるものだと確信が持てないかぎり、リスクが大きすぎるので登場させません。たとえ登場させたとしても、相当慎重になるでしょう。その慎重さが感じられた団体と、そうではない団体とのクオリティの差が激しかったです。

 

 最後になりますが、コロナウイルスで大変な中、万全な対策で臨んでいた全国学生演劇祭の運営は素晴らしかったです。過去の出場団体の上演を観ることが出来る、新たに創設されたエキシビジョン枠の充実ぶりも目を瞠るほどで、この催しが続けられてきたことで世に送り出された(そしてこれまで不運にも見逃してきた)数々の眩しい才能との遭遇に痺れました。私が大学生のとき、各地の団体と触れ合う機会というのはほぼなく、東京で交流が完結していましたが、それは貧しい状況だったのだ、と今になって認識して悔しい気持ちになります。全国学生演劇祭という、かけがえのない貴重な場が、来年以降も、不運なトラブルに巻き込まれることなく、末永く続いていくことを心から祈っています。