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レビュー

審査員講評 河野桃子 氏

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総評

いま、わたしたちは演劇をやっているんだ。

そんな気概を感じる2日間でした。全国から集まった演劇への熱量高い方々がおたがいに意見を交わす、興奮と緊張あふれる場にいあわせてもらえて感謝です。

出場団体は個性さまざまでしたが、自分の心のうちにあるものを演劇や創作をとおしてどこまでどう見つめて向き合っていくか、を大事にしている作品が多かったように感じます。それはとても重要なプロセスで、ここを通らないと、今後作品をつくり続けることはできないのではないかとさえ思います。

また、登場人物の描かれ方や存在の仕方が「わたし」あるいは「わたしとあなた」という2者関係/平面の関係性にとどまっていた作品も多かったです。生きていくには、そして物語を動かすには、一方向の関係性だけではなりたちません。第三者(物)が存在すること、影響することで、関係性も物語も空間も立体的になります。とくに演劇は空間芸術ですから、3方向以上の関係性を意識してみるとぐっと奥行きがでるだろうなと思うことが何度かありました。

今回受賞した団体は、自分たちと向き合った先に距離をとり、「どう見せていくか・どう見えるか・どう見られるか」という観客の視点からの精度を高めていたところが選ばれたように思います。観客とどう関係をつくるか。それもまた、演劇が立体的であることのとても重要な要素だなとあらためて感じました。

 

 

A-1 劇団焚火「いけないらしい」

自分の弱さと向き合っていく一人芝居。悩み、卑しさ、過大な自信と裏腹の自信のなさ……。20歳くらいには、承認欲求やアイデンティティ、他人からの評価が欲しくて、誇大化した自尊心を持てあましてしまう苦しさって、多くの人が直面するんだろうと思います。けれども、そこで自分の薄暗い気持ちから目をそらしたまま、笑ってごまかしていく人もきっとたくさんいるでしょう。それでも向き合い、言語化しようとする眼差しに、引き込まれていきました。

それは反面、個人的な問題にどんどん潜り込んでいくことでもあります。個人的な思いをあつかった演劇に自分との距離を感じてしまう観客もいるとは思いますし、フィクションであるほどにそういう感想も起きてくるかもしれません。であれば、たとえば一例ではありますが、主人公(男)の名前を作者名(赤阪さん)にして作者自身と物語に引力を持たせて観客を引き込んでいくという方法もありそうです。というのも、それができるパワーと存在感が、赤阪さんにはあると思いました。後半の大きな変化まではテンポがあまり変わらず、ほぼ台詞だけで進行し、上下や奥行の動きが少ないのでダレそうになるにもかかわらず、テンションと熱量を保ち続けて、密度の濃い時間をつくっていました。

終盤、一気に差し込む照明が、がらりと空間の広さと方角を変化させてとても良かったです。大きく形を変える美術や、狙った場所に置かれる小道具など、やりたいことが明確で意欲的でした。一人で脚本・演出・出演をつとめることで一本太い芯を通せていたのかなと思います。一作目であるプレッシャーをものともせず、力強い舞台でした。30歳、40歳、50歳になったときに再び作品にすることがあれば、テーマのとらえ方への変化を見てみたいなと思います。

 

A-2 劇団ちゃこーる「演撃所」

いったいなにが始まるの? いったいなにが始まったの? わからないうちに出演者2人の前向きな勢いに巻き込まれていきます。会話のテンポやシーンの変化を、ほぼ2人だけでつくっていく。相手にゆだねる信頼と、自分の足で立つ責任と、両方がある2人の俳優によって立ち上がっている作品でした。動きも大きく台詞もはやいので、ときどき口や体がついていっていないところもありましたが、2人がイメージを共有しているのか相手を信頼しているのか……ブレずに進んでいくことで、客席で安心できました。

「演劇」の良いところとすこしの悪いところをたくさん詰め込んで、演劇のさまざまな表現も詰め込んで、「演劇が好き」という気持ちがとても伝わる好感の持てる演劇です(演劇が好き、というのはもしかしたらフィクションかもしれません。なにせこれは演劇なので…)。そのぶん要素が多く、その場では理解できないところも多くありました。それでも、わからなくてもいいだろうと思えるパワーがあり、説得力があります。むしろ物語や結末を追うことよりも、いま、ここ、目の前で繰り広げられている「演劇」のパワーがなによりの魅力で、大事なことなんじゃないかと、爽快感さえ感じました。

創作を重ねるほどに、要素の取捨選択や構成は洗練されていくのだろうとは思いますが、忘れないでほしい演劇の原点がある、演劇ならではの魅力が詰まった舞台でした。

 

A-3 劇団蒼血「せんこう、消ゆる時」

コメディ好きな元顧問が自死し、それをきっかけに再会した4人の教え子はその「真逆」に困惑する──。コメディと自死については、残念ながら少なからず両立することなので、その一見の「真逆」に関して掘り下げていくのかと思いきや、顧問の死はきっかけとして4人の思いに焦点があてられています。

ほぼ一幕ものの、密室でのドラマ。会話は日常的ですが、とても丁寧に一人ひとりの主観を描こうとしていて、脚本・演出に大事にしたいことがあるのだなと感じます。きっと現実の会話ならそこまで丁寧に相手の意図を汲んだり、自分の思いを吐露しないのではないかと思えるほどに。サブテキストをあえて台詞(テキスト)にしているのではないかと思える会話も多々あり、きっと俳優は人物の揺らぎを台詞として発することがなかなか困難だったのではないかと想像します。けれども、作品のリアリティよりも大事にしたい、創作における大切なものがあるのだろうなと思えて、「演劇をつくる」ことの意義に思いを馳せました。優しく、誰かと丁寧に向き合うような、作り手の手触りが感じられる作品です。

そこでさらに、登場人物たちの存在や悩みに強度を持たせるとしたら、あとは細部をどこまでどうやって作り込むか、だと思います。カレンダーの季節と服装が一致するその地域はどこなのかとか、雨漏りしている位置がズレていくとか、暑い季節でかつ4人しかいないのにわざわざ毎回部屋の戸を閉めるのはなぜかとか、先生の日記を誰が先に読んでいてだからこそどういうページのめくり方をするのかとか……そういった台詞にならないすこしの仕草ややりとりに疑問をもたせないことが、作品の強度になります。細部によりこだわると、描きたいことに説得力が持たせられると思います。

 

B-1 どろぶね「ノアの泥船」

パワフルで魅力的な1作。翌日までにダンスを踊れるようにならないといけないけれど、なかなか踊れない(踊らない)「私」の一夜。『U.S.A.』の一曲だけで引っ張るパワーがすごい。「このままじゃ踊れないだろう……」と思いながら、サボっちゃう気持ちもわかるし、いつしか彼女のことを好きになってしまう。演じる渡邉さんの集中力が高く、テンポも良くて、役者の魅力が作品の魅力になっていました。「同じクラスにいたら友達になりたいな」……そう思わせる登場人物としての魅力とリアリティが、目の前に立っている演劇だからこそより強く感じられて、とても好感がもてました。

紹介文に「貪欲に」とありますが、まさに貪欲さを感じるところも看板に偽りなしで良いですね。迷いながらも貫き通すような潔さも感じます。

作品全体としては、観客に投げかけられた謎が少なく、変化がなかなか起こらないので、なかだるみしそうなところが少し残念です。人生におけるアクシデントは突然にやってくるものではありますが、それをフィクションとして伝えるには、構成(脚本もしくは演出)に工夫があるといいと思いました。

技術では得られない、創作の土台となる魅力とパワーを持っているので、我が道を走っていくことが周りを惹き付けるのではないかなと、どろぶねの演劇の未来を思ってドキドキしました。

 

B-2 青コン企画(仮)「贋作E.T. の墓」

作品性が明確であることが芯となり、土台となっていたと思います。それを4人の俳優が共有し、ひとつの世界観をしっかりと形作っていました。舞台空間の縦横を意識した使い方も、初めての公演場所に合わせて調整をしたのだろうと感じます。とくに、ほぼ衣装も変えずに4人の身体だけでシーンや人物の変化を見せていく演出と、それを堂々と体現し成立させる俳優たちが力強かったです。

映画やゲームのオマージュも多く、それらをすべて理解できたわけではありませんが、リスペクトをもって楽しみながら取り入れているように感じました。やりたいことが明確なだけでなく、自分たちが「なにを面白いと思っているか」についても貪欲に楽しんでいることが、作品に軽やかさをもたらしていたように思います。またタイトルに『贋作E.T.』ではなく(の墓)がついているところにも、自分たちのやりたいことを見つめるような挑戦的な姿勢ににやりとさせられました。

言葉遊びにこだわった作風なので、もっと言葉を獲得するほどに、独自性と、魅力が増していくはず。このまま意欲的に、自分たちの表現を磨き、貫いていかれる先を期待しています。

 

B-3 ギムレットには早すぎる「らぴっど・ふらっと・ぷらっとほーむ」

登場人物たちのデフォルメのバランスが絶妙で、過剰なコミュニケーションの怖さと可笑しさが共存していて、恐ろしいけれど笑ってしまう。俳優たちが振り切っているぶん、それらをすべて困りながらも受け入れる速見がいることがバランス良く、目線を合わせながら安心して客席に座っていました。あえていうなら、速見だけに焦点をあてずに平良とダン個々の存在がもうすこし回収されたり、人生が垣間見えると、より厚みが出るかなと感じました。

さしはさまれるエピソードなど、一つひとつの要素が面白く精度が高いので、惹き付けられます。駅のホームに、人間の人生がつまっているようなギャップも、観劇の充実感に繋がっていました。

仮に手をくわえれば、もっと感動的にすることも、楽しく笑える時間を増やすことも、観客の心を抉ることも、できるのだとは思います。けれどどれも必要ないようにも感じます。すこし不思議で、どこか怖くて、でも軽やかで、すっきりとさえしているような後味の作品として、ひとつの完成度の高さがありました。

 

C-1 23Hz「アンビバレンス」

ダンスのような身体表現から幕をあけ、いったいどんな作品なんだろうとドキドキしました。「私たちを隔てているものは何?」という一言目の台詞と同時に、2人の俳優の手が、隔てられずに触れあいます。そのアンビバレントなワンシーンから始まる面白さを感じましたが、より効果的に表現するのであれば、定期的に「隔たり」を感じさせる身体表現を劇中に盛り込むことでその変化を見せていくなどしてもいいのかなとも思いました。

作品は、母と子、その子と親友の、2つの二者関係が交互に描かれていきます。会話劇ではあるのですが、ほぼ台詞と身体のみ。周囲の様子が見えずにイメージしづらいのですが、それが、音でテンポよく転換していくという演出によって、独特の表現となり観客を引き付けています。ともすると淡々として飽きそうにも思えるのですがそんなことはなく、むしろ坦々としているテンポに観客の身体が合っていくような、隙のすくない力のある表現となっていました。

演出、俳優、美術、照明、音響がそれぞれの役割を果たして観客の集中力を逃がしません。その表現に力があるからこそ、もっと見ている人の心に深く入り込むには、登場人物たちの関係性の変化を多面的に描けるといいなと思います。今作では、それぞれの葛藤や、不安が、二者関係のなかだけで解決し、前進していきます。ですが実際の人間関係や、人が人を救ったり変化するときには、いくつもの多様な存在が影響しあっています。3人以上の異なる人間が交わることで、ドラマが生まれ、個人の閉じた世界ではなく「社会」ができていきます。その交差による影響や変化を描ければ、より人間の複雑さをとらえ、言葉にできないものを表現し、観ている人に広く刺さるでしょう。そうして複数人との関係を存在させることで、逆に、「あなたに救われたのだ」という2者関係をより際立たせることもできるかなと思います。

 

C-2 劇団さいおうば「アキスなヨシオ」

シンプルなシチュエーションで、だからこそ瞬発力のある笑いが活き、客席が笑いであたたかくなっていました。また、それぞれの登場人物の行動(他者との関係)によって話が展開していくさまも、動きが合って楽しく見られました。登場人物のキャラクターもはっきりとしていて、俳優それぞれが工夫していたのだと思います。いろんな人が出てきて彩り鮮やかな印象の作品となっていました。

だからこそ演劇としての精度をより高めることができれば、観客の喜怒哀楽が瞬間的なものでなく、キャラクターが観客の心に入り込み、一人ひとりの登場人物を身近に感じられるようになり、「ああ、楽しかった」だけでなくまるで友人のような大切な存在になるはずです。

その精度とは、たとえば、ジェスチャーで閉じたはずの扉が次のシーンでは空いているとう矛盾を無くしたり、「DVDがいっぱいある」との台詞に対して過剰なほど何十本も並べるとか、部屋の大きさや間取りによって住む人の生活水準を想像させるとか……そうやって登場人物の背景をイメージさせる要素を積み上げていくこと。それが人物や作品に深みを持たせます。現実にあるものそのとおりにするということではなく、フィクションとしてのリアリティを持たせる……これが演劇にできる力だと思います。舞台上のフィクションをリアルなものとして信じさせることが、作品の土台をつくり、観客を引き込む説得力になります。

 

C-3 劇団ど鍋「林檎をあなたに」

ふたりの話だけれど、そのふたりの背景に、目には見えない家族という存在が見えてくることが良かったです。また、それぞれの家族に対して嫌だと思っていることを、自分自身も内包して相手に課してしまっているところなど、自己矛盾や負の連鎖が台詞から垣間見えるところなどは空恐ろしく、ドキッとしました。ほかの作品がけっこうストレートすぎるほどの表現が多かったなかで、言葉にはならないけれども背景にある問題や不穏さ、その影響を感じさせる表現が、奥深さを感じさせます。

冒頭は、家族や学校の存在などの日常生活を描き、後半は2人だけの世界、自分の内の世界へとどんどん狭くなっていきます。最後の結論にいたるところに説得力を持たせる仕掛けがもうすこしあれば、ぐっと観客を引き込み集中させることができると思います。いろいろな可能性が考えられますが……たとえば、勘違いしたという第三者の存在(による揺さぶり)をもうすこし丁寧に描くとか、舞台美術や衣装や照明やミザンスに変化を持たせることでふたりの距離感が変わっていく様子を表現するとか……上演全体を通した構成に揺れ動き/メリハリがあると、より登場人物の葛藤や情動が伝わりやすくなると思います。

 

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さいごに

審査では、青コン企画(仮)とギムレットには早すぎるを推し、次点として劇団焚火とどろぶねを挙げました。

しかしこれは講評でほかの審査員の方も言われていましたが、演劇には正解はなく、審査員一人ひとりがもっている演劇観も異なります。誰かが憤慨した作品に、誰かが人生を救われることもあります。大切なのは、やりたいことがどうすればできるのかを誰かとともに見つめ続けること。その欠けてはいけない重要な核は、どの団体にもあったように思います。それをどう磨いていくかが、これからの演劇人生を作っていくのだと、思います。どの団体にも、期待しかありません。

そして、地域の方々の企画も多く、愛媛でやることの意義や楽しさを感じさせるフェスティバルの場をつくったあかがねミュージアムも素敵でした。演劇で繋がり、みなさんに背中を後押しされた2日間。演劇、やっぱり、すごいなあ!と思える情熱的な時間をありがとうございました。

 

 

河野桃子 氏 プロフィール

桜美林大学にて演劇・舞台制作を専攻。卒業してからは国内外をあちこち移動する生活をしながらライターとして活動。東日本大震災をきっかけに週刊誌・テレビ・IT企業勤務などを経て、フリーランスのライター・編集者に。現在は、演劇・ダンス関連のインタビューやレポートの執筆・編集、公演パンフレットの編集のほか、観劇のアクセシビリティ、演劇のネットワークづくり、各地の劇場・行政・芸術祭の取材や広報に携わっている。