JSTF

企画

審査員講評 西史夏 氏

総評

 審査員として6劇団の順位付けをするにあたり、完成度と作家性にどう折り合いをつけるかに悩んだ。舞台芸術であるからには、内輪に留まらず、社会に開けていなければならない。しかし、少なくはない作品において展開された性へのアプローチは、私にとって受け入れがたいものであった。直後寸評にも書かせて頂いたが、殊に若い男性が憧れの女性を射止めるという、ありふれたリビドーの散見と肯定は驚くべきものであった。ここに私は優れた作家性を発見する事がどうしても出来なかった。
 苦慮した末、“既成の価値観を覆す”作家性があるか、またはその志があるかという事に重点を置いて評価した。そこで1位を「冷凍うさぎ」とし、2位を「東北大学学友会演劇部(コメディアス)」とした。「冷凍うさぎ」は、等身大の若者ではなく、敢えて中年夫婦という自分たちにとって未知なるものを演じた事が、学生演劇の枠を超える挑戦だと感じたし、スタッフ、キャストも、その選択を真摯に掘り下げ、作品を厳粛なるものに仕上げていると思ったからだ。
 2位の「コメディアス」(と、あえて書かせて頂く)について語るには、その前に本演劇祭において私が発見した「性」とは別のもう一つの特徴について書かねばならない。6作品を通して感じたのは、“人は運命に逆らえない”という、なにか思想めいた冷めた雰囲気である。<神>や<死者>といった、この世ならざるものの存在が生きている我らをコントロールしているという確信である。その絶対性は、精神的なものではなく物質的な感覚により近い気がする。その点において「コメディアス」は確信犯であり、<人間>が<時間>に対して抗う姿を通して、劇をメタフィクションとして成立させていた点が、他の劇団とは一線を画す。私はそこに3.11以降の演劇の可能性を見出したかったが、『ファイナルカウントダウン』からはそこまで汲み取る事が出来ず、2位となった。しかし、この集団が今後も物質への闘いを続けていけば、必ず次の展開が見られるものと期待している。

 

  • 相羽企画

愛しのまおちゃんの心を掴むため、青春予備校に入学する相羽くん。ベタな笑いが連続して繰り出される濃厚コメディ。
久しぶりに読んでみようという気になり、帰宅して『井上ひさし笑劇全集』を手に取ってみた。これは「てんぷくトリオ」の三人のために書かれたコント集である。いわゆるテレビ用の笑いであるが、小気味良いオチが今読んでも新鮮だ。「相羽企画」は、コントを面白くする条件を一揃い持った、若手ながらも老舗風の劇団である。対立もあるし、オチもある、役者も上手い。何が足りないのだろうと考えた時、ふと風刺ではないかと思いついた。しかし、風刺が笑いにとって最も重要な要素の一つだと考えた場合、そのパーツが欠けているのは少なからず残念に思う。

 

  • 劇団しろちゃん

 ファミリーレストラン。11歳の僕は、母の弟である22歳のおじさんと偶然出会う。秘密の性の告白が交わされる会話劇。
 6劇団中唯一の女性作家。私の中で、ある意味「しろちゃん」が際立って見えたのは、この演劇祭において青年マンガの中に1つだけ少女マンガが混じっているように思えたからだ。“姉が好きで彼女と別れてしまった弟”が、成長した姉の息子にその秘密を打ち明けてしまう。どのくらい姉が好きかというと、“姉が新婚旅行に出かける朝、パスポートを盗んで逃げた”というのだから、異常である。それを、ファミリーレストランで淡々と語るわけだ。この設定と<僕><おじさん>の関係性は、私は面白いと思う。だが、青年マンガの読者にも少女マンガを読んで欲しいのならば、今後は見せるための工夫や技術が必要だろう。

 

  • 劇団西一風

 “恋愛はただの性欲の詩的表現を受けたものである”という芥川の言葉を否定する。と、書かれていたが、作者は、“恋愛はただの性欲である”と言いたいのだろうか。それは私の誤読か。疾走する踊りと音楽と芝居に置いてけぼりをくらわないように観ながら、悶々とする。
 好きだった女の子が援助交際をしていたというトラウマのせいで主人公並木紐彦は、女性と関係を結べなくなる。紐彦がこだわるのは、女性が<処女>かどうかという点である。結果的に風俗嬢との性交で紐彦は童貞を捨てるのだが、それは<素人処女>だからという理屈である。紐彦は、天願愛咲さん演じるボロボロになったセーラー服の風俗嬢を拾い、養った。この局面は、私にとっては、色情狂女性ジョーの半生を描いた、ラース・フォン・トリアー監督の映画『ニンフォマニアック』の結末と重なる。左記の映画において主人公は、“沢山の男と寝たのだからいいじゃないか”と言って迫る童貞の老人に銃をぶっ放す。私は女性で、今年40歳になる。いま20代の前半であろう男性の作者が40歳になった時、果たして性の描き方は変わるのだろうか。

 

  • コントユニット左京区ダバダバ

 舞台には首吊り用とも思えるロープが1本。英国風のレストラン。ダムヲがイブコにプロポーズするという会話から始まる。しかし、イブコはキリンだった…
 この出だしは秀逸でした。“コントユニット”と名に冠した集団が、あたかもフランスの不条理劇を思わせるシュールな劇世界へ観客を引っ張り込む。こういう人を食った展開は好きです。しかしこの後、世界の軸はどんどん横へ横へとスライドしてゆき、あんなにこだわっていた英国は、あっさりフランスに代わってしまい、抑制された不条理劇は、よくあるドタバタ劇に居場所を譲ってしまう。様々に登場する引用はセンスを感じるが、ベクトルが散乱している印象は否めない。私は途中で、キリンが何のメタファーなのか完全に見失ってしまった。冒頭の不条理劇のまま通せば、突出した芝居になっていたのに…。
 とはいえ、キリンのイブコが“だって私、喉ばかり乾いているのだもの”という台詞の後、ロープに首を伸ばす様は実に美しく、本演劇祭の中で極めて劇的な瞬間の一つだったと言える。現代のイブであるイブコがキリンだという事実が、旧約聖書『創世記』の中でどういった障害になり、何を変容させるのか。そのヒントがあれば、この劇の見え方は変わっていたかもしれない。

 

  • 劇団冷凍うさぎ

 寂れたパーキングエリア。事故で2人の子を失った中年夫妻の会話。それを見守る、死んでしまった兄妹と、カニ。生きているものと、死んでいるもの、異なる世界の会話。
 カニが、例えばワイルダーの『わが町』における舞台監督のような語り部的役割を担っているならば、同じ死者であっても、兄妹との立場の違いを明確にする必要があっただろう。夫婦、兄妹、カニの位相をハッキリ打ち出せば、鋭い三角形が描けたのではないか。更には、夫婦には事件そのものではなく、別の題材を使って思いを語らせることも出来た筈だ。大田省吾の『更地』や、別役実の『虫たちの日』、松田正隆の『冬の旅』など、中高年夫婦を扱った戯曲を一度参考にされてみてはいかがだろう。私は、この作品はもっと長くてもいいと思っている。核心だけで話を続けようとするから、短くしなければならないのだ。別の話題を与えれば、じゅうぶん45分もたせるだけの技術と精神力を、この劇団は持っている。機会があれば、ぜひチャレンジして欲しい。
 最後に、本演劇祭にスタッフ賞があるならば、間違いなく私は『あくびの途中で』の舞台美術を推挙する。小さなテーブルと椅子2つ、溶けた窓枠。ミニマムな『あくび~』の世界を現出し、秀逸であった。
 一見地味に見えるが、演劇で人の内面に斬りこんでいこうとする「冷凍うさぎ」の取り組みは果敢である。これからに期待して、私は一位に推した。

 

  • 東北大学学友会演劇部

 真冬の男子寮。年末も近いというのに、だらだらしている6人。突如現れたカウントダウンに抗う人間たちを描く。
 脱力系の俳優達の上手さに舌を巻く。殊に、6人の男性の駆け引きが絶妙であることは、私が言うまでもないだろう。おそらく、演出家は俳優の個性を熟知していて、彼らの魅力を最大限に引き出すことで、極上のコメディに仕上げる事に成功しているのだろう。
 『ファイナルカウントダウン』で、俳優たちが闘うのは<時間>である。演劇というカイロス(時計で計れない時)を、クロノス(時計で計れる時)が支配してしまうという仕掛けがメタフィクション的で、冷めた感じがいかにも洗練されている。
 自然災害など、人間にはコントロール出来ない危機的状況に、それでも抗おうとする人々の姿は無力で悲しいけれど、可笑しい時もある。私は今回東北大学を1位にしなかったが、もしこの人たちが今後、“人間にとってどうしようも出来ない事に、それでも抗う人々”を、ある一つの社会的な視点を持って深めていけたら、ちょっとした革命が起こせるんじゃないかと思う。