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レビュー

審査員講評 おぐりまさこ 氏

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さすが各地から選ばれた作品、そして再演ということもあり、よく創りこまれたものばかりでした。

それぞれのやりたいことが感じられ、様々な色の作品を拝見できたことが幸せな時間でした。

その中で着目したことや気にかかったことをここで書いていきます。

また、前提として、私は照明・音・俳優・舞台美術、それらが揃ったところ、つまりは舞台表現を見て感じたことを書こうと思い、先入観をなくすためにも、先に台本を読むことなく上演を拝見しております。

後から補足材料として台本も読ませていただきましたが、できるだけ、舞台の上に乗ったものに対して感じた点を書いてきます。台本については、作家・演出の皆さまが書いていただけると信じて!(笑)

また、こういった作品講評では台本や演出について語られることが多いのですが、作品に関わった人数比率としては、俳優が多い団体も多いかと思います。私自身も俳優なので、そういった観点からも書かせていただこうと思います。

 

 

・はりねずみのパジャマ/「楽しみましょう」

 

レンタカーでパワースポットに向かう友人たちが、途中、人里離れたところで事故をして車が動かなくなり、助けてもらった屋敷で不可思議な出来事に巻き込まれていく。笑いを交えたスタートから空気が変化していく、映画のようなサスペンスホラーの物語仕立ての作品のように感じました。

サッカーボールに不穏な灯りが当たる始まり方が観客の興味を引くのに効果的でした。事故が起こって屋敷の中で幾ばくかの時間を過ごしたところから物語が始まる創り方もよかったと思います。また、短い言葉でテンポの早い会話のやりとりや居住まいで、普段から仲のよかった友人たちの関係性もよく表現されていました。

それ故に、気になることがありました。

この作品は、屋敷の中で次々と起こる不思議な出来事や友人たちの失踪について、謎が少しずつ明かされていき、ラストシーンに繋がります。

つまり「違和感」や「ひっかかり」「キーワード」がこの作品の中で重要になっていると思うのですが、そうなると、その他のことに関しては意識的なミスリード以外の「違和感」をできるだけ排除した方が良いような気がしました。

美術で立てられていたドアをあまり使わず、ドアに対して斜め方向からの出はけが多く、時折ドアが使われるのですが、それを効果的にするか、いっそドアを無くしても良いかもと感じました。屋敷の間取りの不思議やドア開閉の意味が前面に出過ぎていることが物語の邪魔をしていたかもしれません。

また、リアルな同世代の演技ができていた分、惜しいなと感じたことがありました。レンタカーで事故を起こしたことに関してや帰れないことへの不安が誰からも感じられなかったのですが、全員じゃなくても誰かから、身体の状態や言葉の発し方などからそれを感じ取れると、よりリアリティが増し、不思議な出来事に巻き込まれていくことが浮き立っていったかもしれません。台本に書かれたト書きや台詞以外の状態表現があった方が、こういった作品の場合、より良くなるかと。

しかし全体的には、よく創り込まれた好感度の高い作品でした。

 

 

・南山大学演劇部「HI-SECO」企画(名古屋)/「蝉時雨、ある少女の夏」

 

舞台中央に、少し高さを出した四角いエリアを作ってあるのみの抽象舞台。その高い部分の舞台上手前に、白く四角い枠のような道具が俳優によって置かれ、これから回想に入るような一言から物語が始まる。ある夏、ある高校の図書室。

女子高生「夏美」の手には、先ほどの白枠。そしてこの道具が、シーンにより次から次へいろんなものに変化していく。使い方や変化のさせ方は巧かったです。一つだけある抽象的な道具なので、これが最終的に何を現していたものなのか、もう少し腑に落ちたかったかもです。もしかして遺影?とも推察しましたが、白かったから違うのかも、と。

「夏美」は、クラスの仲間と一線を引いている同じ図書委員の「晴太」のことが気になっていて、ストーカーよろしく下校時に後をつけて自宅を突き留め、彼が抱えている家庭の深い事情を知ってしまう・・・と、ここから、急に物語の主軸がその当事者「晴太」の話に変わり、視点も晴太に移行し、これ以降しばらく、途中で出てくる夏美は、サブキャラクターとなる。そしてラストシーンで語られるのは「夏美」の方の視点からだった。これがなんとも突然で、効果がうまく効いていない気がしました。審査員の山口茜さんの、この夏美をタイトルにある「蝉」や道にあるカーブミラーなど、彼の生活に直接干渉しない虫や無機物にした方が効果的、というアドバイスに、なるほど、と思いました。もしくは途中でこの視点がもう少し何度か夏美と晴太で入れ変わって進んでいくのであればまた違う効果も出たかもしれません。

とはいえ、世界観の現しかたや、俳優同士の会話の掛け合いや佇まいは、HI-SECOの皆さん上手いなあと、今回も思いました。

落ち着いた演技で最後まで引っ張り続けるのは、演技の地力があるからでしょう。

また今回、音響効果が印象的でした。短い「ひと夏」という時間の流れを、ヒグラシ(6月下旬以降)→クマゼミ・アブラゼミ→ツクツクボウシ(夏の終わり)と、時間の流れと温度や湿度を感じることができました。

さらにそれぞれの表現を磨いていってください。

 

 

・fwtp(フワトピ) /「Dreamy Null Another」

 

舞台上には椅子になりそうな大きさの箱が3つ、俳優が3人。

「こうなってしまうかもしれない未来」を抽象舞台で描いた、SFサスペンスといった感じの作品でした。

印象的だったのは演出。シンプルな舞台装置と俳優の身体で見せようという意気込みも感じられました。舞台装置で箱を使うならば、それを使う→それでなければならない必然性があるとさらに効果的だったかもしれません。

もしかしたらこの作品は、短編では時間が足りないのかもしれません。

「未来の中」だけで時間や空間が変化し、なおかつ俳優3人が代わるがわる違う人物を演じ、さらにはその関係性や役割も変化するため、ちょっと混乱してしまいました。現代と未来を行き来するよりも、経験したことのない時代から経験したことのない時代に飛ぶことを表現するには、特定人物の成長や老い、建物などの老朽化などが感じられたり、が必要になってくるのではないかと。

少人数の俳優・シンプルな抽象舞台・色分けされた同型の衣裳・そして短編であることと、説明が必要な複雑な世界設定・時間空間の変化・会話劇であることとの相性があまり良くなかったのかもしれません。

個人的には、パンフレットのあらすじなども読まずに観ても惹きこませられるところを目指した方がより良いのかとも思います。

演技に関しては、均一感があり身体表現も体幹が鍛えられていて、基礎からしっかり稽古がされていて、好感が持てました。

演出や演技など、自分たちの武器を磨いていってほしいです。

 

 

・劇団ひとみしり/「リカちゃん」

 

ぶっ飛びました(笑)初めて観るタイプの作品。

緩々と流れてくるメッセージ性のない映像の文字、大勢の俳優、主役のリカちゃん以外は全員バラバラのぬいぐるみや人形を持ち、たぶんそれが喋っているのであろう演技(?)、逆に目覚まし時計や電車のドアは人が演じる。そこで流れている時間は何も、本当に何も変化せずに毎日が流れていくリカちゃんの日常。そして、頭上にずっと吊られている、大きな緑色のネット。その全てが絶妙なバランスで効果的に組み上げられていました。

時に日体大の集団行動演技のような歩行マスゲームのシーンがありますが、それも含めて、大勢の人物が一斉に動くシーンが多いのですが、変な間ができることもなく、とてもよく稽古されているのがよくわかりました。

大きな事件も他愛のない会話も同じ温度で流れていき、まさに多くの若者が感じているであろう現代社会が滔々とそこに流れていて、だんだんと、それがなんだか大ごとな気がしてきて、不穏な気分になりました。気づけば頭上のネットはまさにそんな気分を現しているようでした。

演技に関しては、他の作品を演じる皆さんも拝見してみたいと思いました。マスゲームでも客席の煽りでも、どこでも演技表現らしい居かたをしていなかったので。演出としてその方策を取っていたんだろうと思います。ただ、もしアバターが話しているという形を見せたい(いわゆるオブジェクトパフォーマンス)という目的がそこにあるとしたら、「演じていないように見える身体」に目がいってしまうので、そこは損しているもかもしれません。そうでない場合は、一つの表現方法となっていたかと思います。唯一の演技と言えるかも、な、目覚まし時計と地下鉄の扉の演技、素敵でした。ここを見ると、両方できる方たちなのかな、とも。

この先が楽しみな団体です。大いに期待しております。

 

 

・睡眠時間/「◎」(わ)

 

エキシビジョンの作品群と遜色のない上演だったと思います。

京都にある、市民浴場が併設されている?市営住宅の建物の真ん中にある小さな公園が舞台。後から台本を読んだら、住所までしっかり設定されていました。実際の上演を観た時も、空間や舞台の外側に広がる風景、各々の関係性やそこにどれくらい住んでいるのかなど、座組全員がしっかり共有していることがはっきりと伝わってきて、会話劇で物語表現をする際に邪魔になる破綻を全く感じなかった上に、そこに暮らす人々の日常生活や過去、部屋の中の様子なども想像させられました。私は、とても日常的な世界設定の会話劇を演じるときに限って、演じる人物の生まれてからの経験を捏造して書き出したりします。その時注意しているのは、台本上で起こることに「関係ない」事象や体験をたくさんたくさん作っておくことです。台詞や行動に関わる体験や動機となる事象を明確に作ることは最低限必要なのですが、それ意外の体験や嗜好・思考を蓄えておくと、それらは意識的に表現されることなくちゃんと滲み出て、フラットな状態で見ている観客の「感覚」をちゃんとくすぐります。この作品には、そういった地道な積み重ねを感じましたし、俳優のみなさんの粒揃いで緻密な演技力も素晴らしかったです。それ故、この座組が普段から一緒に創作をしているメンバーではなく、この作品で初めて組んだということを聞いて心底驚きました。

舞台芸術表現が多種多様化して、新しい表現方法を模索し創り出す作り手が評価されやすい現状の中、真っ直ぐにストレートプレイで魅せるためには、台本、演出に加え、しっかりとした考察とそれに基づいた演技が要求されます。それが無いと闘えないのですが、そのどれにもしっかりと力を入れていて、それが真っ直ぐ人の心に届き、評価に繋がったのでしょう。審査員賞、観客賞、そして大賞受賞がそれを現していると思います。おめでとうございました。

 

 

・デンコラ/「幻によろしく」

 

冒頭、主人公の夢の中で「他の星に帰らなければいけない」という啓示のようなメッセージ。ラストシーンでは、それが彼が好意を寄せる変わり者の女の子からのメッセージということを主人公(ビニ男)が知り、そして種族を超えた彼女との恋が実る、という流れが主軸のSFラブコメ、でしょうか。その中で、登場人物の気持ちのベクトルを使い、環境や社会、LGBTについてを描きたかったのかなとも推察しました。審査の時間、台本や演出について様々な意見が出されていましたが、今回、LGBTの描き方が問題と指摘されました。それらが混同して解釈されていて、なおかつ笑いを取る仕掛けに使われていたように感じましたが、現代の表現活動では、個々人の持って生まれた個性やマイノリティに対することを表現をする際、やはり熟慮が必要かと思います(この団体だけでなく、これを読んでいる全ての方に一考いただきたい点です)。このことについては、他の審査員の方々も詳しく書かれているだろうと思いますので、その他の点についていくつか。

まずもう一つ気になったのは、この物語と演出に「舞台表現である必然性」がちょっと足りなかったように感じました。つまり、もしかしたらテレビドラマなどの映像向きな作り方だったのではないかと。短編劇にしてはエピソードをたくさん組み込まれていたため、全体があらすじ的なところで留まってしまっていたのも惜しかったです。また、転換時間の制限された短編の演劇祭としてはたぶん、時間をギリギリまで必要とするであろう、平台を巧みに使った舞台装置を組んでいましたが、それがもう一つ有効利用されていなかったというのも惜しい点でした。たぶん、奥の高台の部分が主な舞台となるコンビニ店内、としたかったのかなと推察しますが、それだけのためであれば、平台以外の手段でいけたような気もします。これも、必然性が足りなく感じた点でした。

しかし、観客を飽きさせずに楽しませようとする心意気はとても伝わってきました。

そして演技もとても爽快で、色が揃っていて技術もしっかりしている印象でした。

ぜひ、ご自身たちの持ち味を活かし、これからもより好い表現を探究していってほしいです。

 

 

・でいどり。/「ありふれた白にいたるまでの青」

 

舞台上にはたくさんの紙袋。結婚を翌日に控えた男女が、女性の実家に来ている。日常的な設定と抽象舞台を使い、モノローグと回想シーンと現状を行き来しながら、鋭い心象風景が鮮やかに描かれていました。

紙袋を被り顔の見えない婚約者の男が、良かれと思ってかけている言葉や態度が、不安を抱えた女性「ゆり」の心に響かない。響かないどころか、逆に不安を膨張させている。

男性と女性の身体のしくみの圧倒的な違いから来る「わかり合えないこと」を呑み込んで「結婚」へと進んでいく主人公の女性の内側で蠢いている不安や苛立ち、そしてそれを抱えつつも対する婚約者に投げかける表側の言葉や態度の描写が、共感性を呼んでいたのではないかと思います。この作品の作家が女性で、演出したのが男性だというところも興味深いです。ラストシーンで、心身が不安定になるほど悩んだ「ゆり」が選んだ未来が、多くの女性がそうしてしまっているだろう選択で。それは決して安楽の選択ではなかった故に、その先に待ち受ける未来についても色々思いを馳せてしまいました。観終わったあとも思い続けてしまうような、時間軸を未来まで広げた描き方、好きでした。

紙袋の乾いた音も心象風景を現すのに効果的でした。

演技的には、徹底して一定の温度を保つ夫の言葉と動きや、無言の中での揺れ動く女の心情表現が見事でした。演出としても責めた選択だったかと思います。

俳優は、不安からとかく表現過多になったり間を潰してしまいがちですが、身体の雑音を徹底的になくしたからこそ、ゆりの心情が強く浮き上がってきていたのだと思います。

鋭い空気と緊張感で最後まで観客を惹き込み続けていた作品でした。

 

 

・遊楽頂(四国)/「ヒトリ善がり。」

 

未来、もしくは、実際の世界とは違うパラレルワールドかもしれない。登場人物は3人の若者。軽快な音楽と共に流れる映像には、楽しげにはしゃぐ男の子と女の子のクレヨン画、フランシスコ・ザビエルの肖像画、が最初に出てきたので、この3人は小学生かな?と思ってましたが、話を聞いているとどうやら大学生。とにかく仲良し3人組のスクールライフを舞台に、主人公の片思いがキーになっているようだ。テレビショッピングで話題になっているのは、なんでも1つ忘れることができる便利な薬。「ただし容量注意」と繰り返されていたから、使用過多でトラブルが起こるのかな、と想像しながら観ていました。3人のキャラクターは誇張演技が行ききっていて逆に気持ち良いくらいでした。ポップに話が進んでいくのですが、最後のどんでん返しで、主人公が思いを寄せる女の子の行為と言動に、一気にホラーテイストへひっくり返される。そのラストに向かうために、大げさすぎるポップな演技に振り切っていたとしたら、それはもう、巧く乗せられてしまいました。「新鮮な恋をしていたい」という彼女の言動が「ずっとラブラブでいたい」ではなく「最初の頃のときめきだけをずっと味わっていたい」で、それを「他の相手に乗り換える」というある意味リスキーなことではなく、必ず自分を愛してくれる一人(主人公・ヒトリ)を、薬を使って利用しているところが本当にうすら怖かったです。現代社会の一面が透けて見えるようでした。よく考えられているなあと。

もう一つ、舞台装置について。舞台のカミシモに置かれたワイヤー細工は、なくても充分かもしれません。無機質で温度を感じない金属、しかも細いワイヤーで不安定に、かつ敢えて不揃いで不格好に作られていただろう鳥カゴのようなオブジェは、不穏な空気をそこから感じてしまい、最後の急展開をどこか無意識に感じ取ってしまうような気がしてもったいないかなと。

この団体で一番印象的だったのが、疑うことなく振り切って演技している俳優たちの爽快さでした。ああいった演技は、俳優が疑ったり躊躇したりが一瞬でも見えると全てが壊れてしまいます。まっすぐな3人の俳優、爽快でした。

 

 

さて、エキシビション枠、さすがの4作でした。全国学生演劇祭5周年を飾り、そして積み重ねてきた5年間の歴史や、それぞれの団体の成長を感じ、さらに後輩たちが目指す指針となる上演だったのではないでしょうか。それぞれの魅力の色が鮮やかで、堪能させていただきました。講評対象ではないですが、簡単に感想だけ。

 

・喜劇のヒロイン/「ノリとホトトギス」

 

「青い鳥」をモチーフに描かれる不条理な世界。「青っぽい鳥」を見つけたっぽいけど袋の中でドロドロになってしまったから「これがそうです」って渡したい一心で、3人でなんとか形を戻そうとしてるくだりだけでもずっと観ていられるって思いつつ楽しませていただきました。

 

 

・劇団なかゆび/「45分間」

 

日本国籍を取るための理不尽な面接、それを受ける男が日本を褒める言葉の裏の憤り、面接官の態度のちぐはぐさが、良い意味で本当に気持ち悪くて、客席に突きつけられている複雑な思いに圧倒されました。舞台表現であるからこそ。という作品。もう一度、正規の尺で観てみたいです。

 

 

・相羽企画/「おめでとうございます」

 

コンビニの休憩室での1シチュエーションコメディを丁寧に描いてました。会話も小気味よくて、安心して観ていられる作品。仕掛けがわかりやすいから、肩の力を抜いて観ていられる。俳優がちゃんと集中して細やかに演じていないとそうはならない。さすがでした。

 

 

・シラカン/「爽快にたてまえ」

 

個人的なことを言ってしまうと、やはり私はシラカンの作品がとても好きです。世界の見せ方がとても巧み。以前拝見した「くじら」も今回の作品も、舞台上だけでなく前後上下左右、世界がとても広く遠くまで広がっている。客席にいるとその世界の中にポツンと置かれている気分になります。不条理な世界なのに、それがとても染みこんでくる。俳優の力も素晴らしい。もはや、いちファンです。

 

 

これからが楽しみな団体の作品をたくさん拝見できて、とても有意義な時間でした。

いち表現者としてもたくさん刺激をいただきました。ありがとうございます。

 

最後になりましたが、参加団体の皆さま、実行委員の皆さま、本当にお疲れさまでした!

皆さまにとっても、実りの多い時間でありますように。

 

おぐりまさこ(空宙空地)