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企画

審査員講評 筒井潤 氏

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総評

 それぞれの団体の演出や演技のスタイルはバラバラだが、1つの団体内でまとまりがなくバラバラに散らかっているようなことがなかったのは良かった。演技が上手いと自負する俳優が他の俳優を無視してでしゃばったら結果として誰も得しない上演になったりするものだが、今回はそういった上演はなかった。おそらく各団体が真摯に集団による表現の意義を追求した結果と思われる。また、私は第1回の全国学生演劇祭でも審査員を務めたのだが、今回は第1回のときよりも地域間の完成度の差が狭まった印象があった。全国学生演劇祭によって学生演劇の全体的なレベルの底上げが実現できたのではないだろうか。

 一方、今回はPC(ポリティカル・コレクトネス)の問題が随所に感じられた。私が昔からそういった問題に神経を尖らせていた人間だとは言えない。若い頃には今ならば完全にアウトなバラエティ番組のネタにも大笑いしていた。しかし特にここ最近は倫理観が目まぐるしい速さで更新されている。昨日まで問題にはならなかった表現が今日にはもう使えなかったりする。その現状はTwitter等のメディアを通して参加者も知っていると思う。公の場で表現する者としては常にその変化を見落とさないように注意していなければならない。クレームが来ないようにするためではない。その変化にこそ表現のヒントがあるからだ。韓国から参加していた啓明劇芸術研究会は目を見張るような新しい演出はない典型的なコメディーだったが、韓国において倫理観が変化してきている現状が描かれており、その変化を先導しているのが若い世代の感性であるという構図がはっきりと見える。私はその点において高く評価している。

 勿論、審査員も試されている。各団体の表現をどのように気に入ったか/気に入らなかったかだけでなく、審査結果が現時点における倫理観と照らし合わせた場合の問題の有無も測られる。この緊張は参加者と同じなのだ。。

 

 

A-1 劇団宴夢

 「パン食い競争をさせるなら部員をパンに飢えさせる方が良いのでは?」といった疑問を抱いた。体罰の描写に滑稽な表情やアクションを塗して観客を大いに笑わせておいて、最後にその観客に冷水を浴びせるようにPTAと教育委員会からのクレームにより廃部のコメントを突きつけるという批評性があったことを高く評価するが、それが自覚的であったかどうかは疑問に思う上演だった。芸達者な俳優に大いに笑わされた。

 

A-2 フライハイトプロジェクト

 作劇、ならびに演出に様々な工夫が凝らされていていた。ただ、この目新しいギミックがある演劇の上演ために物語が綴られ、登場人物たちの生死や家族愛が設計されているように見えた。そう見えた理由はどこにでもある平凡な話だからである。話の平凡さを批判しているわけではない。それを物語るに当たってギミックに必然を感じられないのである。見せる技術力は高いので、既製戯曲の上演を観てみたいと思った。

 

A-3 元気の極み

 演劇論を舞台化するという試みは評価できる。関西の土壌から出てきたことに大阪の人間として素直に歓迎したい。しかし今後はその演劇論を自明のこととしての創作に挑んでほしい。今作品はある意味では完成度が非常に高く、ゆえに限界も感じた。演劇が演劇を自己言及している形となってしまっているので、その必然として鑑賞者が上演後に演劇のえも言われぬ余韻に浸れないのである。

 

A-4 楽一楽座

 祖母に笑ってほしいからコントがしたい主人公Aと、真面目な話も入れて演劇にしたいBの口論の最中に、Aがその祖母が死んだことを語る。このメタ構造によってこの作品を演劇とするならば、「演劇」とはそんなに単純なものなのだろうかと思わざるを得ない。「(死んだ)祖母に笑ってもらうためのコントがこんなにくだらないのか」というメタが成立していたら楽しめたかもしれない。やはりPC的にアウトなネタに違和感。

 

 

B-1 ヲサガリ

 どちらが応援している側でどちらが応援されている側なのかがわからなくなり、お互いに補完し合っているというアイドルとアイドルオタクの関係性を使って現代社会の虚ろな切なさがうまく捉えられていた。最近の若い人の演劇はおそらく舞台上演よりも映像作品からの影響の方が大きいのではないかと思うのだけれど、主に場面の変わり目における演出や演技が上手くいっていなかったことから、緊張感が途切れたのが惜しい。

 

B-2 喜劇のヒロイン

 おかしみが次第にと不気味さに変わっていくSF調の物語を演劇ならではの仕掛けで丁寧に演出されており、終始集中して鑑賞できた。家族の絆というものが重いと感じられる人にとって、家族に対して他者性を確認できた瞬間に気が楽になり、それまでよりも優しく接することができる、というようなことはあると思う。アメリカ人男性の描き方が偏見に満ちていたのが極めて残念だった。

 

B-3 砂漠の黒ネコ企画

 声こそ出さなかったが、私にとっては一番笑えた作品。不条理劇の典型ではあるが、典型として良くできていた。不条理劇の良さを改めて確認した。一般的な演技の上手さを想定するならば演技力は拙かったが、彼らなりの統一感があったので私は躓くことなく鑑賞ができた。ただし、盲目の女性の目が見えるようになってからの展開が台詞も演出もステレオタイプなドラマに陥ったのが悔やまれる。

 

 

C-1 三桜OG劇団ブルーマー

 危機的状況において軽さに満ちた刹那的行為に耽溺するという物語はよくあると思うが、その行為が日々の享楽と全く同じであるという点に現代の若者像をうまく捉えられていた。観客が演劇鑑賞ではなく観察を促されるような演出にも感心した。作品の核となる部分の提示をこれ見よがしにならないように意識していたらしいが、だとするならば冒頭の登場人物たちの会話が説明に過ぎたのではないだろうか。

 

C-2 LPOCH

 とても考えさせられる内容の上演だった。しかし創作者側に作品で扱われている問題の当事者がいて、その内容の切実さが伝わったからこそ、審査すること自体が私としては困難に思えた。もし抱えている問題を訴えることが主目的ならば、少なくとも私はこの上演を審査して点数をつける意味を見出せない。言い換えれば演劇として上演する意義は大きいということでもあるのだが。

 

C-3 はねるつみき

 演出に無理がない。疑問がなく鑑賞ができる。今流行っている現代演劇の手法を使っているとはいえ、かっこよさや斬新さだけを理由に真似していたとしたらその手法に結果的に振り回されてしまう。どのような演出のアイデアも演劇の本質に内包させることができたときに初めて効果を生むのだが、この上演ではそれが出来ていた。話の内容にも視野の広さが感じられた。この2点に強い将来性を感じた。