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レビュー

審査員講評 松田正隆 氏

matsuda

総評

 観劇する前は、学生演劇特有の健全な人間性、友愛やヒューマニズムを基底とするような作品ばかりかもしれないと思っていたが、演劇自体の構造を問うような、そして観る者の知覚を揺るがすような、いくつかの意欲作や実験性に富む作品に出会うことができて、私は幸福だった。審査基準としたのは、この世界の現実を再現・表象することにとどまっている作品(表象の演劇)よりも、演劇を上演することによって誰も経験したことのない現実を舞台上に創造している作品(出来事の演劇)のほうを、高く評価した。その結果、審査会では「ピントフ」「45分間」「永遠とわとは」の三つの作品を強く推すこととした。以下、観劇順に、各作品の講評を記す。

 

 

  • 劇団宴夢

 大統領と四つの県のキャラクターによって米国に対決できるような帝国を構想するという発想が面白かった。トランプの時代を象徴する演劇である。何も喋らない秘書がいたが、このようなテンポのいいドラマにおいて、無言の存在はとても有効だと思った。

 

  • 劇団西一風

 素晴らしい作品だった。不穏さ、空気の淀み。原発事故後、何かがこの国に漏れている感じを描写していた。単純な流れ作業の時間と空間を設定することで、物語の時間ではなく、出来事の連鎖によって演劇本来の時間、得体の知れない雰囲気や空気を見せようとしていた。そこにある光景・風景を観客に眺めさせること。噴霧器による霧の浮遊感もあるのか、流れる時間、移ろいを見せることに成功していた。ほとんどの演劇はドラマを葛藤だと思い込み、舞台上に心理的な緊張をもたらすことに躍起になるが、この劇では、時間が弛緩していた。

 この劇特有の遠近法がある。それはマイナー演劇であり、出来事の演劇である。無駄でどうでもいいような時間。空虚な空間、間隙を私たちは言葉や記号、意味(意義)で埋めようとする。すでに成り立ってしまっている価値観に安心している。マイナー演劇は本来の現実とこの身体の意味、つまり、出来事の起こる空間と時間を回復してくれるのだ。   

 

  • 南山大学演劇部「HI-SECO」企画

法廷劇。主人公(罪を犯したもの)とコロス(調査し罰を与えるもの)によってギリシャ悲劇の構造を作り出す。自慰行為から、許されぬ愛、オイディプスの関係、パパ・ママ・子供の三角形を作り出してゆく。その三角形の磁場に惹きつけられる。しかし、そこから逃れる劇を作らねばならないのに、結局その家族の欲望に回収されてしまった。

 

  • 劇団カマセナイ

19歳のクラスメイトだった二人が、3年前の女子学生の死への回想を上演するという構造。教室で、卒業生の二人はそれぞれの方法で死を受け入れようとする。演劇でしかできない追悼劇だった。このような上演による「喪の作業」は貴重である。

 

  • 劇団なかゆび

 演劇(の約束事として)の45分と実際の45分。テロリストの表象(再現)とそれを演じている俳優の観客席への眼差し。しかし、その眼差しは、もはや、役を演技することから離れ、いま・ここの現実の眼差しと化し、流動する時空間の出来事を反映する。舞台と観客席。いま・そこで上演がなされていることを、いま・ここで、どのように観ることができるのか。演劇ならではの問いを突きつけてくる先鋭的な上演だった。この実験劇が評価できるのは、観客との関係性(共犯関係)の構築の契機へとつながる前でなんとか踏みとどまっていたからだ。演劇は上演をめぐるコミュニケーションではない。あるいは、その場しのぎの即興でもない。ましてや、観客への挑発でもない。例えば、即興による対話は、観客の承認と否認を前提とし、それを超え出た展開をすることで劇が進行していく。そんな、ある意味想定された対立構造を持つ弁証法とは、別のところでこの劇は時間と空間を設計しようと試みていた。銃を持たないテロリスト。弾かれないままで放置してあるエレキギター。問わず語りの登場人物。観客の仕草の真似をする俳優。全てが中途半端なままで、45分が埋められていく。久々に興奮する劇を見た。

 

  • 一寸先はパルプンテ

ギリシャの哲学者が集い、さまざまな問題を話し合う。しかし、それは演劇としての「問い」を生み出すことにはならない。後半は、ソクラテスによるヒューマンな心理劇に収斂してしまった。

 

  • シラカン

 報われない一方通行の愛が示される。三人の男女の奇妙な欲望がステレオタイプな三角関係に閉じてしまうことはなく、女→男→女→机という具合に、4つ目の机が介入することで、とりとめのないベクトルで開放されている。この構造がとにかく面白い。それだけではなく、舞台美術やセリフのやり取り、俳優の存在感に心地よいセンスを感じる。後半、机が意思を持ち始める。そのことによって舞台上を彷徨っていた鳥が子供を出産する。人間と物との愛は可能か、という問いが、ここにはある。そのとき、私たちは、理念的な「愛」そのものを考え始めることになる。ユーモアもあるので、エンターテイメントとしても最高だった。

 

  • 劇団マシカク

ルームシェアする三人の男の熱演。就活が物語の基調にあり、様々な既存の物語からの引用もある。とにかく俳優の力に圧倒された。

 

  • 岡山大学演劇部

「本」のドラマ。山田次郎とコロスによって、主人公の人生を入れ子構造で描いて行く。全体主義的な善良さに危惧を感じた。

 

  • 幻灯劇場

セリフや物語の場面設定にはアングラ演劇の影響を感じた。音楽の展開で見せて行く。俳優はとても魅力があった。

 

 

松田正隆 氏 プロフィール

劇作家、演出家、マレビトの会代表。1962年、長崎県生まれ。94年『海と日傘』で岸田國士戯曲賞、97年『月の岬』で読売演劇大賞作品賞、99年『夏の砂の上』で読売文学賞を受賞。2003年「マレビトの会」を結成。主な作品にフェスティバル・トーキョー2016参加作品『福島を上演する』など。2012年より立教大学映像身体学科教授。