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レビュー

審査員講評 弦巻 啓太 氏

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全体の感想としては、「自分探し」が主題となる舞台が多かったように思います。それは悪いことじゃないですし、物語の元型には「自分探し」が常にあるとも言えます。ただ、その自分をどこに見つけようとしているか、それは気になりました。自問自答の果てに気付くこともあるかもしれませんが、もっと外部(社会であり他者)の中で自分を見出そうともがく表現が見たかったです。

レベルは続ければ上がります。技術は身に付きます。舞台に上げる価値がある「何か」。それを見つけることがきっと一番大変です。たくさんの劇作家や演出家や劇団がもがき、苦しんでいる問題です。どんどん苦しんで下さい。それだけの価値はあります。

 

 

 

劇団宴夢「ルーモ1.255」

 

数字の掛け合いにはじまり、登場人物が距離をとりながらキャッチボールをしたり、紙をばら撒いたり遊ぶ姿が楽しかったです。その姿から何が浮かび上がってくるかと身を乗り出して観ました。衣装や空間の彩り方が良かったです。

ただ、だんだんその吸引力は落ちていきました。登場人物が何を考えているか分からない時は想像が働くのですが、後半その運動の動機や想い(のようなもの)が語られたあたりからその働きは止まりました。

観客を登場人物の想いを受け止める側に回してしまった、と言えます。

何か分からないので、運動や少ないセリフから登場人物たちの背景や設定を想像する。想像するから、共感する。舞台上の創造物を信頼する。

「歯医者で神経を削られて痛かったー!」と叫ぶより、実際に歯医者で歯を削られて苦しみ悶える様を見せた方が、観客は「痛み」を想像して寒気に包まれるのではないでしょうか?

前半は一緒に遊んでいたはずが、後半は舞台上の人物たちだけで遊び出して置いてかれた様な、そんな勿体なさがありました。

 

 

 

ポケット企画 「ここにいて、」

 

生演奏を配置し、舞台上に散在する画材から緊張感が漂う舞台でした。二人の会話と問答がやがて「絵」を描いていく。身体によるアクションと会話による思考をシンクロさせながら、目の前でライブでしか成立しない舞台を作ろうとする野心的な姿勢に好感を持ちました。一つ一つのアイディアがとても面白かったです。

ただ、そのアイディアの繋げ方にもう一捻りが欲しいと思いました。面白いからこそ、もっと活かせばいいのに!と思ってしまうと言うか。

どこまでが自分?=へその緒の境界=妊娠している女性という連想は、理解は出来ますが、ちょっと近似値というか、もう少し飛躍が欲しいです。そもそも二人の思考原則が似ていて、対話というより自問自答に近く、単調さがどうしても中盤ありました。

気づかない内に自分の足跡がいることの証明になる絵ですが、あの配置だとどうしても最初からそうするつもりだった様に見えます。また、最初に描き出すのが友人であることも少し疑問でした。

生演奏の配置はあの位置からだと神の目に感じます。背中を向ける、あるいは奥から客席と対峙させることで観客とイーブンにする、というのでも良かった気がします。

音楽と照明も主張し過ぎず、全体を乱してはいませんでした。ただ、二人の劇を深化させるような、瞬間を反転させるような活躍も見たかったです。

 

 

 

東北連合 「深夜、パーソナリティが消えた。」

 

明るくなった瞬間に「どうしてそこに壁作っちゃったかなー!」と心の中で大きな声を出しました。明らかに邪魔になっている。玄関スペースもうまく設定できずに靴をどこで脱ぐか(置くか)苦しくなっている。でもそれでも、これをやるんだ!という想いだけはヒシヒシと伝わる、抱きしめたくなる舞台でした。

完全に勘違いだったのですが、狂人の隣人に侵食されていくスリラーだと序盤思い違いをし、緊張感を持って眺めていました。結果、苦い話ですがとても良い話でした。なんだよー!と思いながらも、腹は立ちませんでした。

おそらく、二人の演技が良かったからだと思います。「こう見せよう」という作為なく、日常会話を成立させている。だからこそ誤解のスペースがちゃんと生まれている。どう転ぶか分からない。演劇の必須条件がちゃんとありました。

技術的には稚拙な箇所や荒い箇所もたくさんありますが、これをやるんだ!に照準を絞った不要なものはひとつもない舞台でした。あの二人のやりとりをもっと見たかった。長くても、もうひと場面あっても良かったですね。

 

 

 

ごじゃりまる。「こうふく♡みたらしだんご」

 

東北連合さんとは方向性こそ違えど、同じ強度でこれをやるんだ!に照準を絞りまくった舞台でした。

光、光、光。音、音、音。戯画化された台詞の吐き方、動き。決め、決め、決め。

既視感はありますが、それを一定のレベルでやり遂げる力には圧倒されました。

惜しいのは、どこかにこの舞台でなくては味わえない時間が欲しかったです。

ハイテンポで綴られる舞台は気持ち良かったのですが、どうしても単調に感じてしまいます。転換の予想も徐々について来る。そろそろかな、と思うとそうなる。

戯曲か、役者か、あるいは演出か。どこかに既視感を越えてくる要素が欲しかった。

例えば登場人物の掘り下げ方にもっと差をつけても良かったかもしれない。肉体的な負荷のかけ方をもう一歩遊んでも良いかもしれない(ヒール等の動きにくい靴で行う等)。演出で、主に照明でもっと引き算を活用しても良いかもしれない。

目指す山に登る力は十分に感じました。貪欲に荷物を増やしてください。

 

 

 

劇団Noble 「灯火は遥か」

 

二人の人物が、さまざまな登場人物の思考を語りながら自分を再発見していく物語、だと思いました。

固有の人物から、お互いの登場人物の誰かになり、さらに引用される文学作品の誰かになり、時間軸も飛び交うように錯綜しながら展開します。ちょっと欲張ったかもしれません。

自分は途中で今、誰の思考を語っているのか分からなくなりました。理解力不足と言われればそれまでですが、もう少しルール付けがあった方が親切だと思います。声の変化や身体の変化で世界線を棲み分ける、ある設定に乗る時は必ず同一の場所・構図で始める、互いの世界の登場人物になるときは、顔を見せないなど。

照明が素晴らしかった。限られた機材で色数よりも高さ、方向でニュアンスを変えていく手法はとても良かったです。ちゃんと舞台の二人に目が行きました。だからこそ、世界の変化にもっと利用しても良かったのでは。

役者も身体への意識を充分に感じました。声への意識がそれに比べると乏しかった気はします。

偏見かもしれませんが、名古屋の団体らしい耽美さを感じました。

山月記や銀河鉄道の夜は多くの演劇人がトライしている題材です。何故その作品を選んだのか、その選球眼に驚きや斬新さ覚えるような場面が欲しかったです。

 

 

 

ゆとりユーティリティ「満塁デストロイ」

 

荒唐無稽な物語を、役者一人で描き切る力技の舞台。まずやり切ってることに拍手。講評でも言いましたが、暗転になったところで本当は休憩して後で編集したんじゃないかと思うくらい、とにかく動きまくり、喋りまくりでした。主人公、右手に乗り移った鮫(サメジマ)、上司、後輩、プロ野球選手、敵チームのピッチャー…まだまだありましたが、これだけ何役も40分の間こなしながら、混乱したことは一瞬もありませんでした。

馬鹿なネタをやり切ってる。大学生ノリ。…を装いつつ、とても練り込んでいる。まず役から役へ変化するバリエーションがものすごく細かい。受けて何秒後に変化が始まるか。何歩で何割次の役に変化するか。演出の目の細かさを感じました。特にクライマックスのサメジマが身体全体に宿った瞬間の暗転。あそこまで粘ってから切るのはお見事。粋です。照明の変化も素晴らしかった。役者と一緒に呼吸してました。台本の都合じゃなく、舞台上の役者の思考を妨げない変化でした。

三角コーンがずっと気になってるのですが、あれ以上のアイディアも出てこないので困ってます。空間としてはすごく効いているんですよね。

 

 

 

あたらよ「会話劇」

 

二組のカップルと、その二組の片方ずつと繋がっている男。端正な会話劇が繰り広げられました。

すごく惹かれる点もあったのですが、どうしても中央の男性のエピソードが全体を薄めてる気がしました。カップルどちらかのやり取りだけでも良かった気がします。あの二組には他者との軋轢があり、これからどうなるだろうと引き込まれました。中央の男性は外側から眺めてる傍観者気取りなので(それが主要な点なのでしょう)、どうしても彼の葛藤が気分の問題なだけに見えてしまいます。

劇作の問題としても、彼に相談する二人はなぜ彼に相談するのか、彼のどこにそれほどの頼り甲斐を感じているのかいまいち分かりませんでした。

衣装や照明もストイックにまとめてあり、ビジュアルの完成度は高かったです。

繰り返しですが、会話も(奥の二組は)緊張感があり魅力的だったので、そこをもっと見たかったです。ただ、テーブル上のゲームはもっとギリギリを攻めて欲しい。少なくともそう見えて欲しいなと思いました。

 

 

 

ふしこ「木青屋服呉」

 

落ち着いた会話劇で、冒頭の明かりが入ってくる瞬間から引き込まれました。闇の深さが良いな、と思ったらその後の会話も独特の湿度を感じさせる内容で、すごく心地良かったです。

出演者3人の声もすごく良い。3人ともちょっと変わっているような、魅力的な声でした。

全体として「見せ過ぎない」「何か裏がありそうな」劇空間、物語運びで参加団体の中でも異色の作風でした。ただ、作品としてはもう一味、グッと鋭く迫るものが欲しいと思いました。

それは着替えの場面で変化を美しく見せるとか、衣装自体の美しさで魅せるとか、会話の陰湿さをより深めるとか、登場人物の心情の変化を丁寧に描くとか…。舞台全体のペースチェンジと言っても良いかもしれません。

講評でも伝えたラストのオチ(?)の見せ方、あそこも「見せ過ぎない」「何か裏がありそうな」持ち味で見せて欲しかったです。

それをある人は余韻と言い、ある人は色気と言います。

 

 

 

おちゃめインパクト「キャベツ」

 

元気の良い、それが嫌味に感じない舞台でした。舞台美術の配置から興味が湧きました。出演者一人一人も好感の持てる思い切りの良さがありました。

ただ、そうした素敵な要素がもう一歩昇華され切っていない印象も抱きました。

演出としては、舞台美術が使い切られてない、あるいは物語の何かを象徴できていない。例えば、登場人物の内なる混乱を表しているとか、性格の一端が象徴されているとか必然があると良かったかもしれません。

また、とても面白い仕掛けだった面会ごっこなのですが、あの遊びが始まった由来か、あれがあそこにある必然が欲しかったです。物語自体に大きく絡む要素なのですから、そこは「ただあったから」以上の何かが欲しかったです。うまく観客に「そういうものだ」と信じ込ませて欲しい。

他の審査員の方も仰ってましたが、キャベツを見て自分の存在を疑い出す、その葛藤からの立ち上がりがあっけないのももったいない気がしました。

しかし、これらは持ち時間の問題とも言えますね。もっと長時間をかけて描ければ解決するのかもしれません。