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受賞結果

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の報告

2018.3.2

2018年2月22日〜26日まで開催された第3回全国学生演劇祭が、無事閉幕致しました。ご来場いただいた皆様、関わってくださった皆様、誠に有り難うございました。

 

受賞結果を掲載いたします。

 

 

  • 大賞・審査員賞

はねるつみき (岐阜大学ほか)

『昨日を0とした場合の明後日』

 ー名古屋学生演劇祭 推薦

 

 

  • 観客賞

喜劇のヒロイン (日本大学)

『べっぴんさん、1億飛ばして』

 ー東京学生演劇祭 推薦

 

  • 観客賞 順位(得点)
    1  喜劇のヒロイン 4.37
    2  フライハイトプロジェクト 4.19
    3  LPOCH 3.94
    4  ヲサガリ 3.85
    5  はねるつみき 3.84

観劇レポート 観劇オバケさん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.3.16

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

観劇オバケさん

2014年から小劇場を中心に観劇を重ねています(4年連続100公演以上観劇,3年連続200公演以上観劇)。2016年からは学生劇団,2017年後半からは専門学校の公演にも足を運んでいます。過去に演劇をした経験は全くなく演劇についてはズブの素人です。数年前まで自分が芝居にここまでハマると思ってなかったですし。ただもともと物語を読むのが好きだったので今は芝居を観て物語を楽しんでいるといった感じです。「物語が好き」と先に書きましたが,文学作品で言うなら芥川賞系の作品よりも直木賞系の作品の方が好きなので演劇作品でも大衆小説作品的な作品の方が好みです。特に不条理系・抽象系は苦手なので最近は観るのを意識的に避けています。また短編や中編はキレがないと面白くないと思いますしどちらかというと長編の方が好みの作品が多い印象です。普段,良いと感じる作品は直感的に思うのですが敢えて言葉にしてみると,

①脚本が良い(ストーリーがうまくできていて欠陥があまり無いと私が感じる、共感できるetc.)。

②演出〔になるのかな。。〕に関してはテンポが良い、間を上手く使っている。配役がばっちりハマっている。

③役者の台詞回しが良い。私は台詞回しが好きみたい。あと声質。

④発声や滑舌。やはり台詞が聞き取りにくいと話が追えないのでストレスを感じます。

⑤価格対満足度もありますよね。一時期高級料理店に行くのがマイブームだったのですが高い金出して旨いのは当たり前なわけで(笑)またサービス料取られるのにそれほどサービスっていうほどサービスしてもらってないよな~、とか思って最近は安くて旨い、というのにハマっていますが演劇も同じことで。別に有名人好きなわけでもないし(笑)

⑥その時の体調とか気分。観た順番なんかにも左右されるんじゃないかなぁ。

 

という感じですかね(笑)かなり公演を観ているもののドンクサい方なので「わかってないなぁ」とか「アホやなぁ」とか「浅い観方やなぁ」とか思われたりするかもしれません。特に題名と作品内容の関係を理解するのが苦手な方だと自覚してます(苦笑)

 

 

≪はじめに≫

今回,観劇レポートを書くにあたって断っておきたいことが一つあります。募集要項には「演劇祭の作品を観劇し、舞台の模様を広く伝える“劇評/レビュー“を書いていただける方を募集します。」とありますが私は演劇論など学んだこともないですし劇評(批評)なんていう偉そうなものはできないし,する気もさらさらありません。募集要項には観劇「レポーター」や「レポート」という言葉もあります。レビューは①評論。批評。書評。(『大辞林第三版』)のことですがレポーター【reporter】〔リポーターとも〕は①報告者。②連絡係。③テレビ・新聞などで、取材をし、その内容を伝える担当者。(『大辞林第三版』)とあり,レポート【report】は(名)スル〔リポートとも〕①研究・調査の報告書。学術研究報告書。②新聞・雑誌・放送などで、現地からの状況などを報告すること。また、その報告。レポ。「現地から-する」(『大辞林第三版』)のことです。募集要項にも「『第3回全国学生演劇祭』の作品について、各200字程度で観劇レポートを書いていただきます。」とあるので「レポーター」や「レポート」の文字どおり,私はあくまで観劇好きな一観客の目線での現地(劇場)からの報告という形を取って書くつもりでいます。神田氏の言われるような「愚かな客(無教養な観客)」になってしまうかもしれませんが知ったかぶらずにわからないことは「わからない」と書く所存です。

 

 

 

観た順番に

 

[Bブロック](2018年2月23日10時30分~上演時間約150分)

 

〇ヲサガリ(京都工芸繊維大学)

『ヲサガリの卒業制作』京都学生演劇祭推薦(京都学生演劇祭賞受賞)

あるアイドルグループのコンサート会場でメンバーのリョウが卒業発表をする場面から作品は始まる。そしてコンサート後のリョウファンのオフ会。大学院生のオカダ(岡田眞太郎),唯一の社会人で東京から遠征している30歳のユリ(葛川友理),女の子と話すのが苦手だったが友達に誘われてアイドルコンサートに行ってから女の子と話せるようになり,今はユリの仲立ちもあってサオリという彼女がいる30歳のヤマシタ(山下耕平)。オカダの同級生でヤマシタのコンビニのバイトの先輩だった現在大学6回生のイシダ(石田達拡)。ドラマーのオガワ(小川晶弘)。もともとそのアイドルグループのオノミサという娘の推しだった点も〔全員ではなかったかもしれないがほぼ〕一致しているみたいだ。先に書いた各人の経歴のようなものは本人もしくは他の役者が前に出て話すという形式で進められていく。もちろん全員が参加しての会話場面もある。「僕が応援した娘は卒業する」みたいな台詞を言っていた人もいたな(笑)最後はリョウの卒業コンサートで5人が応援する場面で終わる。

 

この日がこの劇団初登場の上,朝一番だったせいか出だしは発声や滑舌が良くないと感じたが後半は良くなった印象。最後のオカダがバック転したり,ユリがジャグリングしたりするなど全員がヲタ声をあげながらアイドルリョウの卒業を応援するヲタ芸シーンが中々(笑)アイドルリョウは最後まで出てこない。あくまでリョウファン5人のみが描かれている。【作品紹介】に「早く大人になりたいと思っていた。ら、すぐになった。人気者になりたいと思っていた。けど、なれぬと気づいた。自分の才能を信じていた。のに、信じられなくなった。居心地のいいこの場所に、長く居すぎたかもしれない。」とあるように,モラトリアムの期間を生きる大学生や大学院生,もしくは30歳になり何者にもなれなかった彼らがアイドルを応援することに人生の意義を見出していく,もしくは何者にもなれなかった自分たちの果たせなかった夢をアイドルに仮託している作品という理解で良いのかな。。と書いたがそんな小難しいことを考えながら観ていたわけではない。私も縁があって昨年国民的アイドルグループのコンサート会場に3回足を運んだ(アイドルのコンサートに行ったのは人生で初めて)が40代,50代の男性ファンの姿が目立つ。作品中の彼らの年齢からするとちょっと早いような気がするが40代以上の男性で若い子(娘)の頑張っている姿を応援したい,という人は多いようだ。出演者の中にアイドルヲタの方はやはるのかな?学生劇団なんだ,と思っていたのだが小川晶弘さんなどは結構京都の小劇場界で活躍されている役者さんですよね。綱澤氏や於保氏,両新美氏がレポートにあげられている5人がラインをする場面などを中心として結構ウケていたように思う。『ヲサガリの卒業制作』という題名はアイドルリョウがアイドルを卒業するにあたって応援するヲタ芸を作ったことを指しているということでいいのでしょうね。

 

 

〇喜劇のヒロイン(日本大学)

『べっぴんさん、1億飛ばして』東京学生演劇祭推薦(実行委員部門大賞受賞)

カナダ(新美惠子氏は「アメリカ」と書かれている。私の記憶違い?)に留学していたカオリが帰国。探偵のマナブに依頼するところから物語は始まる。留学中のカオリのもとに家族の写真が送られてきたのだが2年前の写真と比べると弟のダイゴロウ〔の顔〕が別人になっている(入れ替わったダイゴロウは「メシまだ~?」「猫がいい」しか言わない)。帰国したカオリがそのことを母のユキエや妹のシマに指摘しても2人とも逆に「カオリがおかしい」と言う。だから「本物のダイゴロウを探してほしい」というのがカオリの依頼なのだが,そのうち探偵マナブが長期出張中の父親になり代わってしまったり,あげくのはてには飼い犬のポチが猫のタマになってしまう。シマはポチがタマになった段階でようやくおかしいと思ってくれるがユキエは相変わらずわかっているのにわかろうとしないのか本当にわかってないのか態度は変わらない。カオリはダイゴロウを探して商店街に行ってコンビニで働いたりティッシュ配りのアルバイトをしているダイゴロウに似ている人物を訪ねたり,カオリが直面している上に書いた状況とそっくりな作品を発表して文学賞を受賞したべっぴん三太郎というダイゴロウそっくりな人物に会ったりする。その合間にカナダ時代の彼氏?マイケルが日本に追っかけて来たり。。

 

まずは苦情から(笑)意図があるなら仕方ないですがキャスト(配役)の名前は劇中登場人物で書いてもらいたい。後からどの役をどの方が演じているのかわからない。作品についてふれると,会話のテンポが良くて観やすかった。役者さんの能力も劇団としての魅せる能力も高いと思います。シマ役の方が関西小劇場で活躍されている女性役者N・Kさんに「容姿も声質も雰囲気も似てるなぁ」と思って観ていました。また全作品を読んではいないので詳しくないのですがカフカ的な作品だな,というのが直観的な印象。『べっぴんさん、1億飛ばして』という題名と内容との関係性はわからなかった。

 

 

〇砂漠の黒ネコ企画(九州大学ほか)

『ぼくら、また、屋根のない中庭で』福岡学生演劇祭推薦(大賞/俳優賞受賞)

胸に草が生えている男(以下,「胸男」と書く)がベンチに座っている。そこに足に草が生えている男(以下,「足男」と書く)が杖を突いてやってくる。ベンチに座って「メダルを探しているが見なかったか?」と。胸男「見なかった」と答えるが,足男は「ここしかないはずだ」と言いはり,胸男が座っていた場所に挟まっていたメダルを見つける。メダルは町内のマラソンでとった銀のメダルだそうだ。しかしこの後足男は「メダルは自分のじゃない」と言ったり胸男に「メダルをあげる」と言ったり〔したような〕。胸男が〔確か〕メダルを投げ捨てるとちょうどそこに来た眼に草女(宮地桃子。以下,「眼女」と書く)がメダルを踏んでしまう。足男は眼女が自分のメダルを踏んでいることを咎める。眼女は眼を治してもらいに先生の所に行く。眼女が出てくる。眼が治っているが怒っている,というかパニクっ(混乱し)てヒステリック(錯乱状態)になってる感じ。曰く「見えていたものが見えなくなった」(この台詞は何となくは覚えているが明確に覚えていたわけではなく於保氏のレポートを参考にした)と。眼女が去った後,足男は胸男に「メダルを返して」と言う。この後も続きますが想い出せない。。すみません。

 

まずは苦情から(笑)重ねて書くが,意図があるなら仕方ないですがキャスト(配役)の名前は劇中登場人物で書いてもらいたい。後からどの役をどの方が演じているのかわからない。基本的には静かな劇で淡々と進んでいきます。時折,爆発シーンがある。しっかりと作品は作られている感じ。ただ観た順番が悪かったかなぁ。。朝から観劇の上,3番目の上演。疲れてきているし静かな部分が多いと眠気も誘ってきますから。。なおかつ直前に観た喜劇のヒロイン『べっぴんさん、1億飛ばして』の評価が個人的に高かったので。。「何を伝えたいのかなぁ」と思って観ていて最後は集中力がキレたかな。。胸に草が生えている男がどこが悪いのか最後までわからなかった。心臓なのか心(気持ち)なのか。う~ん。【作品紹介】にも「落としものを探す足の悪い男、目の悪い女、そしてもうひとり男がやってきた。」としかないし。。もう少しわかりやすくすれば作品としての大衆支持率も上がると思うし面白い作品になる要素は秘めていると思いますけどね。私は観ていませんが『シャニダールの花』という映画(予告は観ている)を想起しました。『ぼくら、また、屋根のない中庭で』という題名と内容との関係性はわからず。。

 

 

 

 

[Cブロック](2018年2月23日14時30分~上演時間約150分)

 

〇三桜OG劇団ブルーマー(仙台三桜高校演劇部OG)

『スペース.オブ.スペース』とうほく学生演劇祭推薦(大賞/観客賞/俳優賞受賞)

出だしはぐっさん(千石菫)・ガイ(熊谷美咲)・ノッチ(鈴木綾乃)・パルコ(相田千遥)の4人の女の子が〔合宿所を思わすような〕布団など敷いた散らかった部屋の中でジェンガのようなゲームをしている。〔確か〕パルコはチキンのようで中々ブロックを積めない―結構ここは時間を使っている―他の娘が「別に人生ゲームとかオセロで決着つけてもよいんだよ」とか「不戦敗でいい?」と言ってようやく置いたと思ったら,その瞬間にわざと崩す。この勝負は人数分に1個足りないスーパーカップアイスを誰が食べるかの勝負だったようだ。結局は分けあって食べたりしているのだが(笑)U(高畑希)が先に書いた状況の途中に風呂から戻って1人増えて5人になっている。アオバという隕石が落ちて地球が滅びる最後の日だそうで元地学部の女の子達が隕石を観測しつつここ数日一緒に暮らしているのかな。。「ミヤタ先輩に告白した」という話や『アルマゲドン』や『インデペンデンス・デイ』といった隕石が地球に落ちることや異星人が地球に襲来してくることを描いた映画のDVDを視たりしているようだ。レポートが明日までに提出なんだけど「地球滅びるからいっか」とかDVD返し忘れて延滞料金取られるけど「明日来ないからいっか」みたいな話をしたり。大統領の演説のマネをしていた娘もいたな(笑)時折隕石を観測する場面が描かれる。

 

世界最後の日のはずなのだがダラダラとした生活が描かれる。どう着地するんだろう?と思っているうちに集中力がキレたかも。。私は寝オチだと思ったんですが,於保氏や新美博康氏のリポートによると火鉢(新美博康氏によると七輪)があったそうですね。観逃していた。。新美惠子氏の書かれている「オープニングの心臓の鼓動を思わせるようなパフォーマンス」や於保氏の言われる「しかし、結末に近づくにつれて、時折みせる不気味で、不可解な表現に気がつきます。演劇の最初、音楽にのせて、肩を不気味に上下させるシーンがあります。」は覚えているんですが。。火鉢(七輪)を観逃したせいか繋がらなかったですね。『スペース.オブ.スペース』という題名と内容との関係性はやはりわからず。。「スペースコンマオブコンマスペース」なんですよね。。

 

 

〇LPOCH(京都教育大学)

『溺れる』京都学生演劇祭推薦(審査員特別賞受賞)

小学校の先生をしている油野(生きて届かない乳酸菌)は子供のころ人とうまく話せなかった。蛯名(田浦佑海)という女の子が転校してきて隣の席になる。蛯名とは普通に話すことができた。油野がシロツメクサのネックレスの編み方を蛯名に教わってきたときに乾電池が飛んできて油野の頭にあたり油野は頭から血を流す。油野が病院へ行った時も蛯名は詳しい状況を見ていなかったのだが油野の代わりに説明をする。次の日油野は医者に行ったため2限目から登校。教室に入ることが中々できない。蛯名が内側からドアを開けて迎え入れる。油野夢から覚める。この日偶然13年ぶりに蛯名と再会。蛯名は土建屋で働いてる。蛯名は油野が小学校の先生になっていると知って「油野学級か~。すごいね。」と。上記の中にオランダ出身のアメリカの絵本作家レオ・レオニ作の絵本『スイミー』の文章を油野が朗読する場面が時折挿入される(小学校の授業中?)。油野には常にユノ(青倉玲依)が守護霊のようにつきまとっている。時折油野は息苦しそうな顔をする。言葉が出てこない感じ。最後は蛯名が「私が話してばっかりだね。今度は私が聞くね。」と言う。油野は「僕が学校の先生になったのは僕みたいな子を救うため」で了だったはず。カーテンコールの時に場面緘黙症という症状のことが簡単に説明される。

 

当日パンフレットと一緒に場面緘黙症と緘動(かんどう)について書かれた封筒が附いていました。封筒の中の説明書?によると,場面緘黙症とは「ある特定の場面や状況で話すことができなくなる精神疾患」。緘動とは「極度の緊張のまま身体がフリーズする。動きが鈍くなったり、全く動けなくなってしまうケースも」あるとのこと。個人差はある(原文は「人それぞれですので、全員が全員上記の通りとは言えませんが。」とある)との但し書きはありますが。。場面緘黙症の例としては「親や家族には口達者。でも,学校では全く話さない」というものがよく挙げられるらしく。。「少しでも、少しでも多くの方に『場面緘黙症・緘動』という特性を知ってもらいたく演劇というフィールドを使用し、伝達を行いました。これをきっかけに、油野のような人が世の中にいるんだなぁ,と感じていただいたり、興味関心等抱いてくださりますと幸いです」とのこと。私自身午前中に医者などに行って学校に遅れた時に教室に入るのに勇気がいったり,普段ペラペラ話しているくせに肝心なことは言えないところがあったりしたのでその辺は共感できましたね。。ただ観てる途中はずっと「ユノは何なんだろう?」と思ってました。言葉が思うように出てこないことを「溺れる」と表現したのだろうが観劇中はちょっとわかりにくいと感じたかな。。最後の場面で〔確か〕油野がユノをドケるような場面があったはずですがそこで漸くわかった感じ。何で主人公の苗字を「油野」にしたんだろう?油は水に浮くからかな?というのは考えすぎ?(笑)『スイミー』が挿入されるのは,兄弟がみんな赤い魚だったのに,スイミーだけが真っ黒な小魚だったことが自分だけ他人と違う,疎外感があることが油野と重なるからでしょうね。そしてスイミーが自分自身の居場所を見つけたように油野も最後は自分の居場所を見つけた,という理解でいいのかな。。

 

 

〇はねるつみき(岐阜大学ほか)

『昨日を0とした場合の明後日』名古屋学生演劇祭推薦(大賞/観客賞/審査員賞受賞)

稽古場のようなところに男が1人と女が2人。そこに女が入ってくる。入って来た女が「何かおかしくない?」と言うがみんな無視してる。入って来た女はしつこく何回か言い「何で無視するのよ」と絡んでいく。絡まれた人間は「アタシに言ってたんだ」みたいな返しをしている。そして全員が徐々に衣類を脱ぎ散らかしていく。

(転換)

二人の人間が生き残った。幸いにも男と女。生命を生み出すことができる。生命を作り二人の子孫は「カミ」と呼ばれた。あるところ。ハラダトモカとヨコチンと呼ばれているハルカが「ディスティニーランド行った?」とか「今のこの星の人間は最初の二人から分かれたんだから全員神の子孫じゃね?」とか話している。トモカ・ハルカはデモに行こうとする。男(山本慶)が「デモに行くの?」と声をかけてくる。「デモなんて行くなよ」と。トモカ・ハルカは男に取り合わずデモに行く。トモカはボルダリングで18階建てのカミの住まいに侵入。トモカもカミも二人とも18歳ということがわかり意気投合。その頃ハルカは男に声をかけられ誘われて男の部屋について行った。男の部屋を出るときに男は「俺達付き合ってるよね?」「え?」「付き合ってないなら何で俺の部屋来たの?」と。ハルカは今いる彼を振って付き合うことに。男は「デモなんて行くなよ。みっともないよ。毎日僕の勤め先から君がデモをしている姿を見ていた」と言う。原田は神千可という名のカミのところへ。数年前に行われた神千可が神に就任する式典で千可は4歳の時に父親が殺されたことを明かし「私もいつか殺される。」と発言する。トモカはハルカをデモに誘うがハルカは断る。ハルカは「男に翌日フラれた」と。しかしまた男に「付き合って」と告白される。なぜか男の言いなりになってしまうハルカ。そんなハルカに憤るトモカ。神千可は自分の彼氏とトモカをシェルターに送りウルトラスーパーミサイルを発射する。世界は滅びる。

(転換)

場面が最初の稽古場らしき場所に戻る。脱ぎ散らかしていた衣類を着ていく。女が「何かおかしくない?」と言っているのはこの場面が前にもあったよね,ということ。そしてまた70億年前と同じ歴史が繰り返される。2回だけではなくこの星では同じ歴史が何度も繰り返されている。

 

まずは苦情から(笑)重ね重ね書くが,意図があるなら仕方ないですがキャスト(配役)の名前は劇中登場人物で書いてもらいたい。後からどの役をどの方が演じているのかわかりにくい。観終わった後に想起したのは手塚治虫の『火の鳥 未来編』。「ディスティニーランド」というのが会話で出てきたはずだが直訳すれば「運命の土地」。ディズニーランドのパロディなのはわかるのですが内容のことも考えて「ディスティニーランド」としたのかな?新美博康氏が「脱ぎ捨てられた服を着てまた脱ぐように、僕たちは人類創生の頃から、同じ歴史を繰り返しているんだろうか。」と書かれていたのには「なるほどなぁ」と。『昨日を0とした場合の明後日』という題名と内容との関係性はわかるようなわからないような。。昨日が終わって(リセットされて)明後日は加算(プラス)されるのかされないのか。仮に乗算するなら0に何をかけてもずっと0。何も変わらない。。ということ?

 

 

 

[Aブロック](2018年2月23日18時30分~上演時間約170分)

 

〇劇団宴夢(酪農学園大学)

『熱血!パン食い競走部』札幌学生対校演劇祭推薦(最優秀賞/審査員賞/一般審査賞受賞)

出だしはパン食い競走部のエース梶原(梶原正樹)が吊ってあるメロンパンに届かないところから始まる。すっかり意気消沈して諦めてしまう梶原。そんな梶原に熱血指導を行う監督(高橋永人)。部員は東北からパン食い競走が盛んな北海道(北海道でも梶原と小松の2人しかしていない)にわざわざやってきた小松(松田弥生)とマネージャー(阿部七菜子)。そして先生を殴ってペナルティで入部させられている森本(森本周平)。森本はあまりのくだらなさに「やってられるか」と一度その場を去るが監督は「必ず帰ってくる」と予言。なぜなら監督が森本から財布を盗っていたから(笑)帰ってきた森本は財布を返してもらおうと監督を殴ろうとするが「殴ればまたペナルティだ」の監督の言葉にやむなく入部を受け入れる。監督の熱血指導は「パン食い競走部たる者,米を食べるな」と食生活にまで及ぶ。梶原と森本は苦しみ悩みながらも手に持っている大きな握り飯を地面に置くが,穀倉地帯東北地方出身の小松は肯んぜず逃走する。結局ぐるぐる巻きにされて連れ戻されるのであるが(笑)監督は「最後の〔愛情を込めた気合い入れの〕パンチだ」と言って梶原を殴る。監督のその想いと部員たちの応援を背中に受けて梶原は最後にメロンパンに届くのであった。しかしその感動的なシーンの後,無情にも「翌日パンくい競走部は廃部」とナレーションが流れる。これがオチ。教育委員会などが廃部を決めたと言ってたはず(笑)

 

観ている途中「審査委員賞は取れない内容だな」と思った(笑)ストレートすぎる(笑)前の上演劇団との転換中に主にスポ根アニメの主題歌が流れており,雰囲気は1970年代(昭和40年代~昭和50年代)のスポ根アニメや熱血教師ものの感じでした。上演中も結構ウケてましたね。私の周りの客も「これはわかりやすいな」「こういうなんもないとな」と上演後に話したはりましたし(笑)出演者全員太く眉を書いて田舎っぺな感じも出したはりました。北海道民は公演中おもしろくても笑わないと北海道の劇団の方に聞いたことがありますがこの作品はどうだったんでしょうね?主人公の梶原の名前は漫画『巨人の星』や『あしたのジョー』の原作者の梶原一騎から?他の部員の名前も何か意味があるのだろうか?

 

 

〇フライハイトプロジェクト(早稲田大学、東京藝術大学ほか)

『今夜、あなたが眠れるように。』東京学生演劇祭推薦(審査員部門大賞受賞)

舞台美術は中央にベッド。ベッドを囲んで四隅に椅子。時の経過や緊急性を表しているのかベッドの周りを全員が走る場面が何度かある。出だしは「余命一年」「十月十日」という言葉から始まる。ゆり子(谷生彩菜)と母の八重(増田野々花),ゆり子の夫のたかひろ(前田達之介),由里子とたかひろの娘わか葉(椎木優海)の物語。時系列というわけではなく断片的なシーンが演じられ徐々に物語が繋がっていく。ゆり子は母八重との母子家庭で育つ。ゆり子は八重に迷惑をかけまいと国立大学に進学し卒業。社会人となる。その後交際しているたかひろを家に連れてきて八重に紹介,ゆり子はたかひろと結婚する。しばらくしてわか葉が生まれる。わか葉が小学生の頃,たかひろの一家は八重の家に同居することになる。わか葉は転校することになった。機嫌よく学校に行っていたわか葉がしばらくして学校に行かなくなる。ゆり子が無理やり行かそうとしてわか葉と溝ができたみたい。それ以来,わか葉はずっと母親のゆり子と寝ていたが祖母の八重と寝るようになる。八重が倒れて入院。お見舞いに行くゆり子とわか葉。最後は八重が亡くなる。

 

転換の際に開演が遅れた。遅れてきた客待ちだったみたいでイラッとしていたのだが舞台上に出て来て四隅に座って待機している役者さん達の佇まいを見ていると「これは良くなるな」と感じたことを覚えている。【作品紹介】には「八重から産まれたゆり子。ゆり子から産まれたわか葉。三代にわたる、女性の姿。物語は八重の最期の日を描き出す。時間とともに変化していくこと。時が経っても変わらないこと。母から子へ、繋いでいく想いとは。」とあるが「そんな大げさなものではない」とは思った。ただもう少し時間を延ばしてわか葉が学校に行かなくなった理由などエピソードを追加すれば長編作品としてそれなりにおもしろい作品にはなりそう。「余命一年」「十月十日」という台詞などが被っているが八重が死んだと同時にわか葉が生まれたと誤解されないかな?とは最後の場面で思いましたね。一瞬混乱したというか。〔確か〕八重が言った「わか葉とゆり子は似てる。」という台詞が妙に記憶に残っています。ゆり子(谷生彩菜)役とたかひろ(前田達之介)役の方の配役が合ってると感じました。神田氏の言われるような『あゆみ』のパロディとは思わなかったな。。オリジナルの『あゆみ』を観ていないので何とも言えないですが。。(私が観たのは2015年5月31日(日)の劇団しようよ『あゆみ』と2016年4月23日(土)に観た同志社小劇場の『あゆみ 長編ver』。劇団しようよのは走ってるというより舞台をぐるぐる歩いてたのが記憶に残っている)私が過去に観た作品では2月7日(日)に『大大阪舞台博覧会』で観た南河内番外一座「ヤング」『父帰る』に似てましたね(走るところが)。

 

 

〇元気の極み(大阪府立大学×大阪大学×神戸大学)

『せかいのはじめ』大阪短編学生演劇祭推薦(最優秀賞/スタッフ賞/観客投票MVP賞/審査員MVP賞受賞)

中尾多福の一人芝居。客席から登場。中尾が演じるのははじめという女の子。兄が母親の胎内で死んだため兄につけられるはずだったはじめという名前が妹につけられた。生まれる前に父が死んでしまった(これは観劇後に記したメモにあったが記憶が今はない)。はじめの誕生日(一歳のかな?)のお祝いをしているが「おれはまだ眠いんだ」と言ったり。中尾が自分自身を演じる場面っぽいこところがあったりはじめの話と現実の話が交わったりしている。また堀口大学『メーテルリンクの青い鳥』や太田省吾『更地』,ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』などの戯曲の台詞がその時々に合った台詞として中尾の口から語られる。映像をかなり使ってました。

 

「説明読んでいてもよくわからない」と上演前に周りで話しているお客さんがいた。確かに【作品紹介】の「ここ、ロームシアター京都は2016年にリニューアルオープンしたそうです。私は1998年に生まれました。この演劇祭は今年で第3回目だそうです。……いつか終わりは来るのかな。私はこの劇場で、この演劇祭で、演劇をする。わたしはそうして生まれ、そうして死ぬ。せかいのはじめ。」を見ても何をやるのかわからないですよね?(笑)大阪短編学生演劇祭の時はロームシアターではなくてシアトリカル應典院だったらしい。やはり上演した会場をネタにしてはるんですね。少し長かったかな。。20分くらいの方がスッキリ観れたかも。ちょっと後半飽きた感じ。。脚本/演出の中村奏太氏のTwitterに「全国学生演劇祭、全団体観ました。参加側ですが、個人的に好きだったのはフライハイトプロジェクトと喜劇のヒロイン。・・・単純に、今回僕が泣いたところと笑ったところです。」とあったり「その作品の深いところを見たり、価値を発見したりするところまで、じっくりと観劇出来る力はなかったので、直感的にというか、心も身体もまかせてその世界に浸ることができたのが、この二団体でした。スマートめなのが良かったのかな。」と書かれていたので今回の参加劇団の中では私の評価の高かった劇団と好みが同じなんですが御自身が脚本/演出される時にはわかりにくいものを作られるな,とおかしかったです(笑)役者の中尾さんは存在感ありましたね。劇団六風館を観に行く楽しみができた。

 

 

〇楽一楽座(徳島大学)

『Say!Cheese!!』四国学生演劇祭推薦(第1位獲得)

作品の中に劇中劇が私の勘定では八作品(お互いが繋がっているものもある)も出てくるという煩雑さ(笑)登場人物の名前だけでも覚えるのが大変(笑)出だしは戦場もの。クレージーファンタジーミヅキ(小笹優歩)の名前がやたら覚えている(リョウスケ隊長とかもいた気が。。)。5分くらいで〔確か〕全員死ぬのかな。。で,これが劇中作品でこの後まだ脚本を書けていないと脚本家が言う。劇団コペルニクスの公演なのだが脚本家は御祖母ちゃん子らしくて他の男性劇団員が責め立てると隠れてしまう。「劇団員が裸踊りしたら出てくる」とか言っている。で,この後脚本家は

①卒塔婆背負って「吐瀉物南無阿弥陀仏」と葬式でラップを歌うお坊さんの話。

②性欲について。サタンを呼び出すんだったかな?「エロイムエッサイム」と唱える話。

③バンドをしている2人の男と1人の女。男2人とも女のことが好きみたい。女は片方の男が好き。それがわかった好かれていない方の男が好かれている男に走り去った「〔女を〕追えよ!」と言う青春バンド物語。

④グランドマザーという星を被っている女性が登場。被ってる星が〔確か〕爆発した話。

⑤バンドのコンサート。リーダーカンタが新バンド名を発表。「マシカク」と。そこにメンバーのヒナコとミヅキが自分たちの結婚を発表。ミヅキには新しい命が宿っている,という話。

⑥セイテン(このメモが思い出せない)僧シュンカイを仏は「シャンハイ」と呼び間違える。蜘蛛の糸の話。

と書き上げて劇団員達に「飯食いに行こう」と言う。真面目な男性劇団員は「待てよ!このままやるのか?真剣な部分も入れよう」と。それを拒否する脚本家。実は脚本家の御祖母ちゃんが亡くなっていた。「御祖母ちゃんが笑えるものを作りたかったんだ」と言う脚本家。裸踊りをする真面目な劇団員。で,この後

⑦人生拷問中,とメモってるのでもう一芝居してるんですよね(笑)最後は最初の戦場芝居に戻ってリーダータケシがクレイジーファンタジーにペンダントを託す。「あなたがいない世界でもこの子の名前はタケシ」と言って終了だったはず。

 

出だしに若干,滑舌悪くて何を言っているか聞き取りにくいところがあったかな。。【団体紹介】の「劇団マシカク」や「月刊コペルニクス」を劇中に使っていましたね。『Say!Cheese!!』はカメラを撮る時の「はいチーズ!!」という意味。。狭い意味では御祖母ちゃんに「笑って!!」ほしい,広い意味では観客の皆さん「作品を見て笑って!!」という意味で良いのかな?

 

 

 

 

 

≪総括≫

神田氏が「全作品を観終わって、どうやら現代の学生たちのなかには『世界を終わらせたい』という欲望が潜んでいるように思えた。」と書かれていたので思い出したのだが「終末を感じさせるモチーフが多いなぁ」と感じた時があった。どこの時点で思ったのかな?たぶん[Cブロック] のはねるつみき『昨日を0とした場合の明後日』を観終わったときかな?「よく似てるモチーフが多いな」と。あと,綱澤氏が書かれていたので私が誤解していたことに気がついたのですが最初三桜OG劇団ブルーマー『スペース.オブ.スペース』の隕石の青葉とフライハイトプロジェクト『今夜、あなたが眠れるように。』の娘わか葉をどっちもワカバと思っていて「被ってるやん」と(笑)後述しますが激烈な腰痛の上,各公演中の合間にメモをしたものを参考に書いているのですが記憶違いも幾つかあるかもしれません。失礼があったらお許しを。ご指摘いただければありがたいです。

 

役者については,演技がやはりまだ若いな,と思うこともありました。特に滑舌や発声,もしくは台詞を言う時に聞かせたい台詞が流れてしまってるということを感じましたね。もちろん,皆さん上手いのですが上には上がやはりますしより上位の役者と比較するとそういうところがあったかな,と。偉そうにすみません。

 

観客賞順位(得点)は

 

1 喜劇のヒロイン4.37

2 フライハイトプロジェクト4.19

3 LPOCH3.94

4 ヲサガリ3.85

5 はねるつみき3.84

 

だったんですね。私は最初から5をつけないことを決めていて,フライハイトプロジェクト『今夜、あなたが眠れるように。』と喜劇のヒロイン『べっぴんさん、1億飛ばして』だけが4点(フライハイトプロジェクト『今夜、あなたが眠れるように。』の方が個人的には総合的に好みでした。ただ神田氏が「題材がありふれたものである場合、提示の方法を魅力的なものにしなければならない。しかし、提示の方法もたとえば演出によって(『意図的に』という意味で)役者の個性が死んでいて、長くは耐えられない。同じような場面を少しずつ変化させていくが、その変化は我侭な観客の眼を惹くほどのものではなかっただろう。」と書かれているのも「なるほど」と納得),それ以外の劇団は3点をつけました。期せずして(私は上演前に基本劇団の情報やあらすじなどは読まないし読んだとしても忘れるようにしている)東京の劇団が4,それ以外の劇団は3になりました。以前,観劇好きの方と話していた時に「東京の劇団はどこもスゴイい(しっかりしたものを作っているという意味)が関西は一部の劇団だけでしょう」と言われていたのを思い出しました。少なくとも私の感覚に総合的にあったのは東京の二劇団でした。3位と4位に京都の劇団が入っているのは地元票もあるのかもしれない(失礼な言い方になっていたらすみません)。

 

結局観客が思うことは同じなのかもしれない。わかりにくい話よりもわかりやすい話の方が好きなんですよね。でもわかりやす過ぎるとやや不満が残る。自分が共感できるものや若干ヒネりがきいていて「やられた」と思わせる作品に人気が集まるような気がします。

 

以上,『第3回全国学生演劇祭』会場のロームシアター京都 ノースホールからの報告でした(笑)

 

あらためまして参加劇団,スタッフの方々お疲れ様でした。そして観劇させていただきありがとうございました。拙いレポートですが読んでいただいたり参考にしていただければ幸いです。

 

最後に私事ですが。。観劇前日に激烈な腰痛に襲われ,キャンセルしようかと思ったのですが何とか全作品観劇することができました。座席にフワフワのシートのようなものが敷いてあって助かりました。また,しばらく腰痛が続いたため長時間着席することができずレポート提出が遅れたことをお詫びいたします。事務局の沢大洋氏,並びにスタッフの皆さんをお待たせして御手数おかけすることになっているかもしれません。あらためてお詫び申し上げます。

観劇レポート 新美博康さん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.3.6

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

新美 博康さん

三重県東員町。NPO法人むうの木監事。

現在はまだ本格的な活動はしていませんが、活動の一環に劇団活動もありまして

将来的に舞台製作を考えています。ここ数年、高校演劇など多数の演劇鑑賞を行い

日本の演劇活動並びに演劇の素晴らしさを伝えていきたいと思っております。

 
 

 

Cブロック 三桜OG劇団ブルーマー

「スペース.オブ.スペース」

 

アオバが本当に地球滅亡のカウントダウンと思っていたが、

舞台奥に赤黒く光る七輪を見つけた時、

僕には、これは女学生達の集団自殺なんじゃないかと思った。

 

この先どうせ死んでしまうなら、自分達で人類最期の日を面白おかしく演じてみないか、と。

 

ともかく、現実に明日が自分にとって最後の日なら、自分ならどうするかと考えた。

確かに欲望のままに自暴自棄になる自分もいたがそうでない自分もいる。

そう考えたとき、この舞台から終末の1日、世界中の1人1人がどうするのか、と。

 

来るべき最後の日まで、獣のようになるか、人としての品格を持って生きるか。

 

女学生達が明るく振る舞えば振る舞うほど、その悲哀が深く増長されていく。

広く、深く考えさせてくれた作品でした。

僕的に今回の観劇で最高の作品の一つです。

 

あ、そうそう。

スーパーカップの話でひとつ。

舞台観劇前のある日、ある人と話しているときにスーパーカップの話になって。

僕が知ってるスーパーカップはラーメンの方のスーパーカップで。

その人はアイスの方のスーパーカップと思って話していて。

なんか話が噛み合わないなと思っていたらお互いがお互いにもう片方のものを

知らなかったっていうオチでした。

おかげで僕は今回のスーパーカップがアイスのそれを指していることを学習して

観劇日当日に来ることができまして(笑)

そういう人、いますよね。

 

 

Cブロック LPOCH

「溺れる」

今回観た6作品の中で、唯一感動した作品。

教育大学さながら、場面緘黙症というものを分かりやすく知ってもらうには

どうしたらいいかという思いが伝わってきました。

 

僕も似たようなところがあったりして、

周りとのかかわりあいは苦手なほうなんですが

同じ境遇だからこそ理解できるという意味でとても共感しました。

 

滴の落ちる音から始まる、油野×ユノの「溺れる」瞬間は秀逸だったし、

エビナさんのあっけらかんとした性格は一層油野の心の輪郭をはっきりさせていた。

手首につけた手甲の色はそれぞれの性格を顕し、

またその長さは水の流れる感や心の惑いを上手く伝えていた。

シロツメクサの冠は、都会ではない田舎の広い野原を想像させた。

当初、エビナさんが油野を溺れる境界線から引き上げたと思っていたが、

エビナさんも油野に引き上げられていたこと。

最後にユノが1人の生徒になり、油野がマスクを外し大丈夫だからと

やさしく語りかけるシーンは今までの自分からの解放を想起しました。

 

LPOCHの皆さん。

頂いた封筒、しっかり読みました。

ありがとう。しっかり伝わりましたよ。

 

 

Cブロック はねるつみき

「昨日を0とした場合の明後日」

 

岐阜大かあ。ふと、そういえばと思った。

 

昨年の全国高等学校演劇大会に出場した岐阜県加納高校の

「彼の子、朝を知る」を思い出した。

というのも内容が類似している訳ではなく、

正直僕には難しく、分かりにくかったという意味で。

 

脱ぎ捨てられた服を着てまた脱ぐように、

僕たちは人類創生の頃から、同じ歴史を繰り返しているんだろうか。

 

変わらない現実を理解した今日という日を踏まえ、明日を描こうとする行為。

意味のある答えを求めても所詮はその繰り返し。

漠然とではあるけどそんな今日という日の無力感から、

明日貴方はどう生きるかと問われている気がした。

 

アーチピローを頭につけたかみ。

18階をボルダリングでよじ登ってくる女。

スクリーンに映される「爆」の文字。

首を絞めると感度が良くなるからと勝手な理由をつけ、女を殺そうとする男。

ねえ、おかしいと思わない?

 

うーん…わからないなあ。

 

とりあえず、ウルスラルで世界リセットしてもいいですか?

僕も神の子なんだから。

 

 

 

 

Bブロック ヲサガリ

「ヲサガリの卒業制作」

 

僕が中学生の頃、今で言うところのゲームおたくやアニメおたくみたいな

小グループの集まりがあったのを記憶していて、

僕も含め、当時はちょっとキモい存在で敬遠されていたように思う。

それから30年。

マイノリティなオタクのレッテルがこうも変わるとは、予想もしなかった。

 

これはでも、今ご時世の舞台だからの面白さがあると思う。

気がつけば年も重ね、アイドルを一途に追っかけ続けた自分に、

推しメンの卒業は、社会から現実逃避をしてきた、

そんな自分の現在を振り替えさせる。

いやそんなことはない。決して今までの僕らのやってきたことは

間違いではないんだと。

 

まあアイドルの存在をロックスターに挿げ替えたとしてもやってることは

遠かれ近かれさほど変わらないのかもしれない。

そういう意味ではもともとそんな卑下されることもない。

 

携帯メール(おそらくLINE)を読み上げるシーン、笑わせてもらいました。

最後のサイリウムでのダンス?シーン、真っ正面から見させていただいたんですが、

舞台上に立つアイドルから見える光景を垣間見れた気がして面白かった。

ちょっと普段では見れない貴重な体験でした(笑)

京都で人気の舞台「GEAR」をオマージュしていたのかジャグリングやバック転も

GEARに行かなくても観れました(笑)

 

ちなみに普段の様子そのままを舞台で披露したわけではないですよね?

それはそれでリアリティのあるものが観れてよかったと思いますが(笑)

どっちにせよ、声を大にして自分が好きなものは好きだと公言できるっていいなあ。

 

 

Bブロック 喜劇のヒロイン

「べっぴんさん、1億飛ばして」

 

昼下がりの午後、お腹も満たされて眠気がピークに達したこの時間。

ウトウトしていたせいもあり、内容が十分に掴めなかった。

 

どうしても、姉の記憶が正しいという目線で見てしまい、話しが進めば進むほど

どちらが本物のダイゴロウなのかというジレンマに苦しんだ。

いつも当たり前の事が当たり前じゃない。人ってこんなに廻りの人に依存しているんだ。

 

探偵が母と結婚して父になっているのも奇想天外な話しだが、

そもそも始めから割烹着を着た男母が吉本新喜劇に出てくるような役者なんだから、

もう何でもあり。面白く見るしかない。

 

ウトウトしていた自分と掛け合わせ、「そうか全ては夢だったんだ」と言いたくなったが、

前ダイゴロウ。君が本物のダイゴロウであって欲しかった(笑)

あと、妹役の役者さん、普段もあんな感じで笑ってそう。凄くナチュラルでした。

もう一度見たい作品の一つ。

 

 

Bブロック 砂漠の黒ネコ企画

「ぼくら、また、屋根のない中庭で 」

 

脚本がそう思わせたのかもしれないが、とても学生たちが演じてるようには

見えなかった。三者三様、色を上手く表現していた。

 

始まりから、静かに淡々とした調子で進んでいった感があった。

「僕は、足が悪いから」

繰り返されるこの台詞が記憶に残った。

 

それぞれの身体に絡まる蔓が、傷んだ体の箇所を想像させた。足、目、心…。

心の役どころの意味するところがわからない。

わからないながらの帰り道、ふと思った。

これはこの3人で、1人の人間の心の動きを表してるんじゃないか、と。

 

自分に言い聞かせるように、エクスキューズを繰り返し、

見えない世界を都合の良いように自分色に塗り替える。

 

居心地の良い庭が決して良い訳じゃない。

そんな葛藤を僕らは繰り返している。

それが、人生なのか。

観劇レポート 新美惠子さん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.3.5

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

新美 惠子(ニイミ ケイコ)さん

三重県

特定非営利活動法人 むうの木

理事長 新美 惠子

法人内にて、「劇団 むう」に於いても、代表を務める。

“設立趣旨/私たちは、演劇活動を通じて創造性や道徳心を育み、人と人とのコミュニケーションを大切にし、豊かな心を育てる事を目的とします。

この度は、演劇レポートをさせて頂きありがとうございました。

厚かましくも色々書かせてもらいましたが、本当に楽しかったです。

私のレビューが、少しでも学生演劇界のお役に立てますように。

 

 

C block1

Name 三桜OG 劇団ブルーマー

Title スペース・オブ・スペース

 

レビュー

今回一発目の観劇でした。

C、Bと最終組まで観て、帰りに心に強く残ってたのは、この作品でした。

採点では 4ランクを付けてしまいましたが、今更ですが5ランクをあげたいです。

先ずは、オープニングの心臓の鼓動を思わせるようなパフォーマンスは、今から何が始まるのか!という、観客までものドキドキ感がありました。

そして、直ぐに何処ででもある様な女子会トーク、ギャップが良かったです。

ぐっさん、ガイ、ノッチ、Uコ、パルコ、ひとりひとりのキャラもシッカリ立ってるので、入り込みやすかったです。欲を言えば、ダンスとか歌とかのシーンを少し減らして、女子会トークで一、二度は爆笑をとれたら、最後の寂しさがもっと増して、涙が誘えたのではと思いました。でも、ラストへの持っていき方良かったです。

惑星アオバの激突は現実なのか、一酸化炭素中毒集団自殺する為に創りあげた妄想なのか、謎のまま終わったけど、そのあたりは私の好きな終わり方でした。拍手。

 

C block2

Name LPOCH

Title 溺れる

 

レビュー

場面緘黙症という障害のことを初めて知りました。

大体の人は心あたりのある感覚なのでは無いでしょうか。

しかし残念ながら、私は持ち合わせていない感覚だったので、始めの方はしっくり来ませんでした。でも、お芝居と“水の音”が組み合わされることで、ストーリーが進むにつれて、湯野の苦しみが伝わってきました。これは、演劇という生の舞台でしか伝え難いモノでは無いかと思いました。青倉玲依さんが体験された事だから、この表現方法を思いついたのでしょうね。素晴らしいと思います。

湯野役の方も、演技がとても良かったです。蛯名役の方も、キャラがしっかりしていました。湯野と蛯名の正反対キャラがしっかり際立っていました。

衣装もスイミーというイメージも付いた設定と色でわかりやすかったです。

設定が判り易いと、より深く内容に入っていけます。その点では素晴らしく良かったです。

自分の障害の経験は、後に出会う人の力になって行く!

素敵なラストの表現でした。拍手。

 

C block3

Name はねるつみき

Title 昨日を0とした場合の明後日

 

レビュー

タイトルからは、何も想像出来なかった。

唐突に、脱ぎ散らかされた衣類や靴を着ながらと、スクリーンに映し出された言葉や(爆)の文字。展開が理解出来ぬまま、ストーリーは続く。

「新キャラです」と呟きながら、“カミチカ”として登場。少し会場から笑いがおこって。

ここまで来ても、何を表現したいのか、まだ解らない。

女子二人デモの参加。それを止めさそうとする男。

女子一人ヨコチンは男に誘惑されて、デモから外れる。

デモ、なんの?ミサイル反対?

もう一人女子トモコは、カミチカにこの世界を終わらせた後も生き延びる選択を迫る。

カミの就任式、オタ芸ダンス。

そして“ウルトラ・スーパー・ミサイル”がカミチカの手で発射され、世界が終わる。

のちに、生き延びた者たちにより、また世界を創り出す。

ラストでまた舞台を始まる前の状態に戻した(衣類や靴を脱ぎ散らかした状態)

と、私は書きながら、作品を思い出していくと何か掴めるかと思いましたが、やはりそれ以上のモノは出て来なかった。

「人類が何億年もこのサイクルを繰り返しているのだ」と言っているのだろうか。それにしては、深さと広がりが無さ過ぎる。

残念ながら、観ていて彼等の伝へたいモノが理解出来なかった。

申し訳ない。

 

 

B block1

Name ヲサガリ

Title ヲサガリの卒業制作

 

レビュー

アイドル“リョウチン推し”のオフ会。

折角のオフ会が、リョウチンの卒業オフ会になってしまったという、“んなことある?”って、なんか悲しいけど“あるある”の設定が親しみを感じる。

ひとりひとりのキャラ設定、しっかりしていた。出来れば、もっと単純に判りやすい友人同士の繋がりの表現法が欲しかったかな?折角の設定が伝わり難いと思いました。

アイドルオタクの世界って全く解らなかったけど、時間やお金を費やしても夢中になれる思いを、少し理解出来た事が、観てて嬉しかった。

「負け惜しみCongratulations♫」のオタ芸、ジャグリングやバク転などのシーンは、楽しかった!

それと、なんと言っても、言葉でLINEを表現するシーンは本当に凄かった!

今は映像でメールなどを表現するシーンは結構あるけど、舞台でしかもスタンプや画像を表現するのは新しい!このシーンはもう一度観たいと思いました。拍手。

 

B bloc2

Name 喜劇のヒロイン

Title べっぴんさん、一億飛ばして

 

レビュー

これは、最初から面白かった。

妹シマの笑い声は最高でしたね。

アメリカに留学中の姉かおりの元に送られて来た家族写真から、事件は始まった。弟ダイゴロウが別人になっている設定は、起こりとしては面白い。

ダイゴロウが何故、どこですり替わったのか、なぜ母や妹は気付かないのか、面白すぎて釘付けになりました。

コンビニ店員や、作家になってるダイゴロウ。謎が増す。

さらにスケベな探偵がまんまとお父さんになってるし、時々登場するかおりの恋人のアメリカ人。出番の空きで入れ代わりしてこなしてたところもアイデアですね。1名役者を増やすより、全然良いです。

ポチがタマに変わった時は、ポチに同情心さえ湧き悲しくなりました。

ラストの終い方も、完全に夢では無く、曖昧に終わらせた感じが私は好きです。

ところで、ダイゴロウ、本当はどっち?

 

B block3

Name 砂漠の黒ネコ企画

Title ぼくら、また、屋根のない中庭で

 

レビュー

胸に草花をあしらえてる男

片足に草花をあしらえてる男

両目に草花をあしらえてる女

その草花のあしらえてる場所に欠陥があるというのであろう。

衣装の表現法は目を引きました。常にそこに心の眼が向いていると感じられて、ストーリーが理解し易い。

三人ともとても演技力があると思いました。特に足の悪い男の方の見えてるものが、自分にも見えて、舞台に立ってるような感じさえしました。

彼等にとってメダルとは、過去の栄光。

何でも治してくれる先生に会える中庭は、唯一安堵できる場所。

でも、そこから一歩踏み出す勇気は無い。

しかも、両目を治してもらった女は気がふれてしまった。

足の悪さも現実逃避の理由にしているのか。

しかし、一番恐くて危険なのは、見た目では解らない心を病んでるモノだと、改めて感じさせられた作品でした。

そして、欲を言えば、もっと深く闇を掘り下げ、アイデアにて意外性のある作品に繋げていける作品ではないかと思いました。

観劇レポート 於保匠さん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.2.28

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

於保匠(おほたくみ)さん

 京都大学工学部一回生の学生です。大学に入って、観劇の面白さに気がつき、暇さえあれば、小劇場に足を運んでいます。演劇部に所属したことはないので、演劇に関して全くの素人です。とにかく思った事だけを、書かせていただきました。

 
 

①Aブロック 劇団宴夢 

「熱血!パン食い競走部」

 パン食い競争に命を懸ける人達の物語。メロンパンの位置が、高すぎて取れないことで、自信をなくす梶原と、それを支え励ます仲間たちと顧問の先生。最後は、メロンパンに無事手が届き、幕をおろします。

 なんだかほっこりしました。自分が好きな場面は米の卒業式。パン食い競争に命をかけるべく、米を食べないことを、みんなが誓うのですが、その時の、パン食い競争部メンバーの悲しそうな顔が忘れられない。この世の全てが終わったようにゆがむ顔、震える体。パン食い競争だぞということを忘れてしまうぐらいの迫真の演技でした。作品中には5人出てくるのですが、個人的には小松君が一番つぼでした。東北から、パン食い競争の為だけに、札幌の学校に通うことになった小松君。劇中ずっとパンを食い続けていて、食べることが大好きなぽっちゃりキャラです。米の卒業式では、彼だけ、放すと約束していたオニギリを放さずに、泣くのですが、その姿をみるとこっちまでかなしくなりました。

 作品の構成は、非常にシンプルで、とても分かりやすかったです。くだらないことに命を燃やすパン食い競争部、とにかく笑わさせてくれました。


②Aブロック フライハイトプロジェクト

「今夜、あなたが眠れるように。」

 まず、見せ方が独創的で素晴らしいと感じました。時間、場所、演じる人物が、めまぐるしく変わっていく。しかしながら、私達観客をおいてきぼりにすることなく、とても分かりやすいストーリーであり、本当に素晴らしかったです。

 若葉の成長、反抗期、若葉の母親の子供の頃の話、若葉の母親の母親の子供の頃の話、なぜおばあちゃんがあの花が好きなのか、若葉が母親と寝なくなったきっかけなどが目まぐるしく変わる場面の中で、明らかになっていきます。

 舞台には、一つのベッドと、それを仕切るカーテン、その他、複数の四角い椅子しかないというシンプルなものでしたが、シンプルだからこそ、様々に雰囲気を変える舞台を見せてくれました。

 生と死が重なり合う、最初と最後がもっとも見所でした。4人が舞台走り、駆け回りながら、「若葉」の生誕とおばあちゃんの死が重なり合います。不思議で、奇妙な感覚。心がふるえました。

 深い人間観察力から生まれた素晴らしい作品であると感じました。


③Aブロック 元気の極み

「せかいのはじめ」 

 内容は難解で分かりにくいですが、何か心に引っかかるものがあり、また見たいと思える作品でした。

 とにかく独創的で攻めているように思いました。小説からの朗読を所々で用いたり、観客席から立ち上がり演劇を始めたりするなどの、独特な見せ方で観客を魅了していました。

 演劇の始まりとは、何だ?チケットを買った時なのか、舞台のカーテンが上がったときなのか、役者が話し始めた時か。

 世界が始まるってなんだ?自分がいないときは世界が存在していないのか?きっと存在しているでしょう。でも自分の世界は存在していない。自分が生まれたときが自分の始まりと言えるのか?意識がないのに、どこから始まりといえるのか?また、自分の終わりとは何だ?意識がだんだんと、薄れていく最後、自分はの世界が終わったと気がつくことさえできないのです。じゃあ、終わりってなんだ?

 「始まりとは何か?終わりとは何か?」をテーマとして壮大な物語を繰りひげているように自分は思えましたが、正直内容はとても難しいです。何回か見て、また自分で物語を咀嚼し直して、やっと少しずつ理解できる作品だと思いました。


④Aブロック 楽一楽座

「Say! Cheese!!」

 一生懸命ふざけ通す、大学生の熱い魂を感じました。ザダイガクセイ。最初から、最後までとにかく笑顔をもらえる作品でした。

 これは、脚本を書く青年と、その周りの役者をめぐる大学の演劇サークルのようなものの物語です。青年は、楽しくて笑えるコントのようなものを書きたがっているのですが、メンバーの一人は、シリアスでメッセージ性の強いストーリーを望んでいる。

 幾つもの短い演劇のストーリーを、章ごとに演じていくのですが、その一つ一つが、個性溢れていてとても、面白かったです。坊主が、バンドを組んだり、変な教祖みたいなのが現れたり。かと思えば、男と女の青春ラブストーリー。のりのりで、自分によっている、しゃべり方がとても滑稽で、笑わずにはいられませんでした。

 しかし、だんだんと、関係ないと思われた章ごとのストーリーが、つながっていき、最後は最初の場面の結末が描かれる。最後の場面で仲間の一人が話のなかで、この様なことをいいます。「たった一人だけでも、あそこにたどり着ければ、俺達の勝ちだ」この言葉に、何か感じた人はおそらく自分だけではありません。

 良いこと伝えようっていう雰囲気を全く漂わせずに、何か心にくるものを伝える。とても幸せな気持ちにさせてもらえる作品でした。本当に素晴らしかったです。

 

⑤Bブロック ヲサガリ

「ヲサガリの卒業制作」        

 オタク達が繰り広げるストーリーです。

オタクというのは、あれほどの情熱を込めてアイドルを応援しているのでしょうか。オタク達が織りなすアイドル愛が痛いほど、伝わってきました。最後にオタ芸(ダンスとか、ジャグリングとかのライブを盛り上げるために観客席でやる芸のこと)を披露する所があるのですが、一生懸命に踊っている姿になんだか、とても感動してしまいました。意図的なのかは分かりませんが、完璧には動きをあわせずに、踊るのは程よいリアリティーがあって良かったです。作品中の人々は、それぞれに仕事を持っていて、だから、そんなに、練習する時間もない訳で。そんな時間のない中で、みんな頑張って練習したんだろうと思えました。

 クスッと笑えたのは、ラインのメッセージを口頭でテンポよく述べていく所。言葉で「かっこわら」「ダブリューダブリューダブリュー」。面白かったです。スタンプの形を口頭で説明するとこんなに面白くなるのですね。

 オタクの概念を一変させるような良い作品に出会ったなと思いました。


⑥Bブロック 喜劇のヒロイン

「べっぴんさん、1億飛ばして」

 天才的なストーリー展開であるなとうなってしまいました。発想力がすごいです。また、演じる人たちのユーモアのセンスもピカイチでした。脚本の面白さはもちろんのこと、演じ方で最大限にその脚本の面白さを発揮できていると感じました。素晴らしかったです。

 ストーリーは、全く違う人が、弟にすり替わる所から始まります。彼の姉だけが、そのすり替わりに気がつくのですが、他の人はみんな気がつかない。姉は、弟を探し回るのですが、その間に、父が変わり、ペットが変わっていくという奇天烈な喜劇です。

 最後のシーンでは、姉が夢から覚めます。ペットも父も元通りになりますが、弟だけは、性格しか元通りにならず、外見は別人のままでした。それを見て、姉は「良かった」と言うのですが、その言葉にはどのような意味があったのでしょうか。考えてみると、非常に恐ろしく、そして深い一言であると思います。

 最初、彼女は、おそらく、外見と性格ともに別人に成り代わってしまった弟をどうしても受け入れる事が出来なかったのでしょう。普通の感覚です。しかし、よくよく考えてみると、弟が別人になったからって、何がいけないと言うのか。むしろ、うるさく馬鹿な元の弟より、静かで、言うことをちゃんときく素直な今の弟の方が、良いかもしれない。また、父に関しても、全然、家にいない元の父より、ずっと家にいる今の父の方が、良いかもしれない。ペットは犬より、ネコの方が良いかもしれない。結局のところ、家族なんて誰でもいいのかもしれない。なんとなくで、家族は、かけがえのないものだと信じているが、変わってみれば変わってみたらで、新しい家族も全然悪くない。この新しい家族観への気付きは、ある意味、恐ろしいものかもしれません。

 理知的なユーモアを携えながら、最後には、何か心に残るものを感じさせてくれた素晴らしい作品でした。


⑦Bブロック 砂漠の黒ネコ企画

「ぼくら、また、屋根のない中庭で」

 体に病気を持つ人々が、ベンチのある公園のようなところを訪れる話です。そこにはどんな病気も治せる先生がいます。

 体の悪い部分を草木で表現する見せ方で、まず一気に作品に引き込まれました。幻想的で独特な空気を作り出していて、素敵でした。ビジュアル的には、一番インパクトのある作品で、今もあの舞台の映像が、はっきりと脳裏に浮かびます。

 自分が一番印象に残ったのは、目の悪い女性が先生に目を治してもらうシーンです。女性は目を治されたせいで、ものすごく悲しみます。目が見えるようになったせいで、かつて見えていたものが、見えなくなってしまったと嘆きます。かつて感じていたはずの、温もりが消え去ってしまった。悲痛な叫びを残して、その場を立ち去るのですが、前半が、平坦だっただけに、あそこの衝撃はすごかったです。心がふるえました。

 自分にないもの、他人と比べて劣っている所を誰でも捨ててしまいたいと思うが、それが無くなったところで、人は幸せになるのか?そんなことを感じさせてくれた、作品でした。

 

⑧Cブロック 三桜OG劇団ブルーマー

「スペース. オブ. スペース」

 面白かった。終始面白かったです。仲良し5人組が繰り広げるストーリー。隕石落下を信じて、明日はないのだからと、どんちゃん騒ぎ。そして、最後の結末は、衝撃的なものでした。

 物語の中盤にかけては、仲良く5人で遊ぶ姿が描かれていました。誰がアイスを買いに行くかを決めるジェンガのようなゲーム、アイスを分け与える暖かい友達関係。明日は来ないと信じている人達とは思えないくらい、楽しいそうな5人。

 しかし、結末に近づくにつれて、時折みせる不気味で、不可解な表現に気がつきます。演劇の最初、音楽にのせて、肩を不気味に上下させるシーンがあります。なんだか怖いなと感じるのですが、照明がついてからの楽しそうな光景をみて、その不気味さを忘れてしまうんです。怖く見えたのは、自分の勘違いかなって。でも、二度目、また同じように、肩を上下するところに出会って、やっぱりなんか不気味だなって、感じて。そのようにして、結末に近づくにつれて、だんだんとその物語の異常性に気付かされていくんです。

 一人、眠り。二人、眠り。終盤には、逃げだそうとして、捕らえられ、グルグル巻きにされていたひとりが、口テープを外されます。彼女の苦しそうに酸素を求める息づかい、そして、その部屋にある一つの火鉢。そこで、やっと物語のすべてを私は理解しました。

 背筋をぞくりとさせる結末、その結末を知ると、以前の楽しそうな表情を見せながら、じゃれあう光景さえも不気味に思えました。

 お客さんに真実を最後まで気がつかせないストーリー展開、本当に秀逸でした。自分にとって、一番、面白いと思える作品でした。結末知ってなお、また再び、見てみたいと思える作品でした。


⑨Cブロック LPOCH

「溺れる」 

 溺れるってどういう事だろう?この作品を全て見終わってから、やっとこのタイトルの意味が、分かったような気がします。

 心の声を語る人物が、狂おしいほどに感情を込めて、一音一音言葉を発するのですが、素晴らしかった。言葉が出てこないことの苦しみ、出さなくてはいけないときに声を絞り出す苦しみ、最後信じる人に、感情の思うがままに、言葉を発する開放感。感情の嵐が、心に流れこんできました。

 とてもメッセージ性の強い物語でした。そして、その強いメッセージ性に負けないくらいの俳優陣の表現力が際だっていました。とても素晴らしい作品であると思いました。


⑩Cブロック はねるつみき

「昨日を0とした場合の明後日」

 神様誕生を描く壮大なファンタジー?作品でした。次の、人類の歴史こそは素晴らしいものになって欲しいという願いを込めて、神様は地球上の人類を壊滅させるミサイルを打ちます。このミサイルで、その神様は死んでしまう。そして、地球上には、たった二人の男女だけが、生き残る。神様が選んだ、2人の男女の家系がまた神様として生きていくわけです。

 神さまは、選んだ女を憎みます。この女は神さまの友達です。何故、神さまが彼女を怨むのかというと、生き残るもう一人の男とは、神様の彼氏だからです。その時の、一人ぼっちの神さまを包む、悲しい空気は、私たちにも流れ込んできました。

 神さまは、最初、非常にユーモラスに描かれます。最初出て来たときの一言は「新キャラ」。変なものをいつも首に巻いていて、神さまなのに、普通の人間と同じように、会話しています。そして、普通の人間になることを望んでいます。

 そのユーモラスさと神さまの悲しすぎる境遇が、自分には、対比されているように感じました。面白かったです。

観劇レポート 綱澤秀晃さん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.2.25

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

綱澤秀晃さん

綱澤秀晃(ツナサワヒデアキ)
劇団なかゆび団員。第2回全国学生演劇祭出演。3月、なかゆび本公演出演予定。
 
 
 
Bブロック
 

ヲサガリ

この日一発目。10:30というのは、誰も演劇を見たい時間ではありません。ヲサガリ以外では厳しいオーダーだったのでは……開演前にワクワクさせられたのは、ヲサガリだけでしたから。審査対象外かもしれないけど、開場中の時間を使うことでお客さんのメンタルセットが全然違ってくるもの。
この団体、部活感が一番強かったのですが、内容は最も洗練されていました。予め舞台を区切ってしまうというのは常道ですがアップを自在に操った空間表現は、イメージを外へ外へと広げてくれ、室内劇のお手本といった感じ。内容に関しては、エンタメと断ずるには惜しいポイントをいくつも備えていました。筋は、「ゴドー」や「桐島」のような不在の他者をめぐるものですが、不在の他者の位置にアイドルを持ってきたのは良かったです。友人ふたりの共依存、去っていくバイト、超えていけない人との距離……そういう一つ一つの人間関係の描写が、小劇団の〈あるある〉を思わせてひどくやるせなくなります。そして、それぞれの心情が曲の中に呑まれていく場面には、終わっていくことの美しさを感じます。
役者も、類型的な演技をするよりも個々の人格から出てくる細かい仕草を大切にしていて、愛せました。カワイイ。
あと、クマやウサギの公式スタンプを使うことって、僕はあんまりないんですが、そういう違和感を超えて「ウケていた」し、イメージがすぐ湧くなあって思って……LINEは伝統的ミームなんだなと。
 
喜劇のヒロイン
なかゆび団長と話したら、解釈は色々あるんだなあと思わされたのですが、僕は夢オチだと思いました。そう考えた方がスモーク焚いてる理由も分かりやすいし……。
アッサリ味のボケとアッサリ味のツッコミは、劇のテンポを失速させず、美しいとも思いました。ただ、関西の笑いはもっと味付けがしつこいらしいです(団長談)。
パンフレットでは「くだらない」と謙遜されてますが、不条理が倫理的問いを発する場合もあるものです。観ている方ではやっぱり、人格の同一性は何によって担保されるのか、とか、世界に抗して大切な人を守れるか、とか、色々考えます。劇場を出たらそんな考えは忘れちゃうんだけど、なんとなく、また劇場に来てしまう。演出の思う壺。
 
砂漠の黒ネコ企画
そりゃ、中庭に屋根はないやろ、と思いつつ観始めたのですが、なかなかどうして良かったです。無駄にゆっくりな幕開けは、こういう心構えで観ればいいんだなと教えてくれます。ヲサガリへのレポートでも書きましたが、こういうのは観る側として安心するんですよねえ。
障がい云々の議論もありましょうが、もっと一般化すれば、誰にでも病や傷はあるのでしょう。そして過去は自分を捉えて離さないくびきでもあり、自分を支えてくれる杖でもあります。誰でも未来を怖れ、いつも〈やらない理由〉〈やれない理由〉を探しては現在を保留し続けてしまう。演劇という細い世界ではいくらでもある話です、悲しい哉。
「先生」なんて一発逆転的発想は現実にあり得ないよ、と思うのは、僕自身も〈病気〉だからでしょうか……。もしかしたらチャンスはあるのかもしれない、それが「目の眩むような」光景を見せるとしても。
 
 
Cブロック
 
三桜OG劇団ブルーマー
隕石の名前が「あおば」! 杜の都から超新星現る、というところでしょうか。僕は福島の海の方出身なので、「割りを食った」側の一人として、こういう終末論的雰囲気には感じるところがあったのかもしれません。消滅っていうのは単純であればあるほど厳しくて、希望も絶望も分けへだてなく、またさしたる理由もなく〈ただ消える〉。
マッチを擦り擦り、思い出の燐光を散らす猶予があれば、それだけ苦悩の時間も増える。僕は上演中ずっと、この「放課後」が永遠に続けばいいのにと願っていました。本当ですよ。でも劇は終わってしまうのだなあ。
僕はエントランスにあるファミマでアイスクリームを買いました。スーパーカップは置いてませんでした。
 
LPOCH
・蛯名さんについては、「都合の良い女」と「天使」と両方の評価があろうと思います。でも、本当にこういう存在がいるんだよ世の中には。
・弱音を吐いたり打ち明けたりする能力って、信頼の能力なんだよな。まずは、「自分が言葉によって相手に影響することができる」という信頼、そして「この人は自分を損なわない」という信頼。
・青倉さんの100度の礼は、ブルーマーを観た後だからでしょうか、「この人死ぬんじゃなかろうか」と思うような終末を感じた。僕だけ?
・水のメタファーをどう評価するか、考えたけれど僕には分かりませんでした。ただ言えるのは、油野は自分で深いところに行くくせに、自分で浮かんでこれなくなってしまうんだよなっていうこと。
断片的な感想ですみません。共感するところがあり、かえって内容について色々「言えなく」なってしまいました。物販かわいいです。
 
はねるつみき
コミカルかつ観念的で、作り手がどういうものに影響されているのか伺ってみたい作品です。超越的視点の置き方は冷笑的なものですが、それを客席の笑いに繋げる能力がありました。全体的に年齢に反して洗練されていました。ACTと似た洗練さ。照明も美しかったです。
ストーリーは進んでいくのだけれど、「どうしようもなさ」が随所に散りばめられています。そしてどうしようもない歴史がいつまでも繰り返されるらしい。うーん、この無意味!
筋からはみ出てしまうエピソードが多いのだけど「これがしたかったんだな」というのは分かる気がします。反抗精神の華。
 
 
Aブロック
 
劇団宴夢
開場中から面白かった。曲も。スタッフの声をかき消さんばかりの音量だったし、完全に客席を洗脳しにかかっていました。内容は、まるっきりアホでした。でも、お話よりも、役者の歪んだ表情とか、ひたむきな汗とか、そういうのが欲しいと思うときもあります。無意味なことを冷笑するよりも、無意味でも頑張ってる姿がかっこいいし楽しいのかも。マネージャーも含め一丸となって気持ちいいくらいホモソーシャルでした。こういうアニメでは、男子が挫けたときにビンタする役割を女子は担わされていて、そしてそれだけが役割なんだよな。終演後のアレが観れたのは収穫でした。
 
フライハイトプロジェクト
見た事のあるような類型的なシーンが連続していくので、ちょっとしたエピソードが心に残ります。おばあちゃんがアヤメを好きな理由とか。ママ泣かないでとか。なんだかんだジーンと来てしまうのが悔しい。本当は、近代家族ってもはや広い共感を得られるモデルではなくなってきているのかもしれないけれど。ベッドを食卓に見立てているシーンが好きでした。食卓って死の床なんだなって、ふと思いました。
 
元気の極み
「私!!」を34分やって、嫌味がないって、やっぱ天才なんだよな。メタいし哲学的なのに、衒いがない。中尾さんの愛嬌がなければ成立しない曲芸でしょう。宇宙のはじめが演劇のはじめとか、みなさん演劇好きですかとか、うーん、かっこいい。そういうのが嘘くさくならないのは、劇場へのリスペクトと観客へのホスピタリティがあるからでしょう。中尾さんが舞台に礼をして去るのは分かりやすいけど、演出の中村くんが舞台の準備をした後でさりげなく礼をしてから引っ込んだのを僕は見ていたぞ。そういうちょっとした仕草にキュンとくるし、そこも含めて演劇でしたね。リアリティって、こういうのだよ。演出の思う壺。
 
楽一楽座
アホに見えてなかなか巧妙な芝居でした。一見独立したコントの間を往復しながら、笑いへの思いが明らかにされていきます。演出に視覚を楽しませようという気概を感じます。この団体のために吊っているであろうダサすぎる照明が好き。もっと機材を無駄使いして欲しい。ボクの吐瀉物南無阿弥陀仏が頭から離れません、勘弁してくれ。ラストシーン、なんであんなに幻想的なんや、勘弁してくれ。

観劇レポート 神田真直さん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.2.25

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

神田真直さん

1993年生。劇団なかゆび主宰、演出家、劇作家。

京都学生演劇祭2016にて審査員特別賞を受賞し、続く第二回全国学生演劇祭では審査員賞を受賞する。2017年には韓国大邱広域市にて、大韓民国演劇祭に招聘される。京都学生演劇祭の生い立ちを探るレビュー企画の実行、京都学生演劇祭2017での実行委員長としての活動、劇評の執筆など、自作の発表に留まることなく、演劇と多面的に〈関係〉する。2018年3月にはドイツ戯曲のレジェンド、ゲーテ『ファウスト』を大胆に取り壊し、再構築した作品を京都大学吉田寮食堂にて、上演予定である。

 

はじめに

 劇団員すら勘違いしていたことなのだから、事前に断っておかなければならないことがある。小生は、演劇を「好き/嫌い」では批評しない。そもそも「好き/嫌い」を下敷きにした物言いは厳密な意味での批評ではない。また「好き/嫌い」を下敷きにするなら、小生は「劇場に行かない」というだろう。

 批評家の牙に切り刻まれる程度なら、その上演の〈硬度〉は完全ではなかった、ということになる。何一つ、批評あるいは解釈の幅を許さないこと。この圧倒的な美を探究する精神だけが芸術家が持つべき唯一のものである。

 一年ぶりの全国学生演劇祭。今年、観劇レポーターに応募したのは昨年を自身で振り返るためである。第2回全国学生演劇祭では、他団体の上演が相当お気に召さなかったのか審査員たちは、劇団なかゆびの作品「45分間」を審査員賞に選んだ。期待を削いでしまうかもしれないが、あの作品の創作に際して、われわれは稽古をしなかった。一切、努力をしなかったと言い換えてもいいだろう。それでも、われわれは誰の目にも明らかな成果を残したのである。もしかしたら、努力が必ずしも報われるとは限らないという審査員たちからの教育的な配慮なのかもしれない。ただ、あの審査員たちの行動は、蓮實重彦がかつて述べた意味での「暴挙」である。それほどまでに「学生」(哀しいことに、この国では若者とほとんど同義である)の感性は後退してしまったのだろうか。それを確かめてみようと思う。

 

A-1

劇団宴夢『熱血!パン食い競走部』

コント。北海道にはネット環境がないのだろうか。もともとは関西の文化的コンテキストでしかなかったが、現在では一般に浸透しているはずの、ツッコミの要素が欠けている。演劇部に無理やり入れられた学生が担うべき役回りである。しかしながら、ボケ/ツッコミの区別がなされていない。その結果、財布を教師が盗んでいるという点がスルーされた、シール集めのくだりが盛り上がりに欠けてしまっているといった事態が発生していた。その他の難点については勢いで攻める作品の特性を鑑みて、不問とする。

 付言しておかねばならないことがある。劇団のプロフィールに「作品の芸術性、文学性は一切無く『くだらなさ』の追求に全てをかけている」とある。しかし、作品に芸術性、文学性があるかどうかは観客が判定するものであり、作者はそこには介入できないものである。

 

A-2フライハイトプロジェクト『今夜、あなたが眠れるように』

柴幸男『あゆみ』のパロディ。他人の一生を親身になって聴いてくれる人はそう多くはない。題材がありふれたものである場合、提示の方法を魅力的なものにしなければならない。しかし、提示の方法もたとえば演出によって(「意図的に」という意味で)役者の個性が死んでいて、長くは耐えられない。同じような場面を少しずつ変化させていくが、その変化は我侭な観客の眼を惹くほどのものではなかっただろう。

 

A-3

元気の極み『せかいのはじめ』

柴幸男『あゆみ』のパロディ、とまたも思いきや、それははじめの数分のことであった。「時間」のことを、愚かな観客が忘れないようにしばしば俳優が数をかぞえる。舞台を去っていくときには、観客には名残惜しさが残されていた。「何もかもなく」された舞台にもう一度拍手を送りたくなってこの舞台は曖昧な終演を迎えるのである。

 「愚かな観客」と敢えて言ったのは、客席から俳優が登場したときに驚いた観客が散見されたからである。たいへん古くからある手法であり、驚くには値しない。こうした無教養な観客が間接的にではあるが、上演の質を下げてしまう。

 中尾多福の演技は、驚くべきほど引き出しが多く、一人芝居であるにもかかわらず飽きが来ないよう仕組まれていた。この点には賛辞を送りたい。

 

A-4

楽一楽座

『Say! Cheese!!』

作家をやるにあたって、必ず通る門がこの「書けないこと」を土台にした作品である。「稽古場」をシェルターにしながら、オムニバス的に場面を組んでいく。この際、問題となるのは(勝負時は)、落としどころである。「おばあちゃんが死んで・・・」というところで流れが切り替わっていく。悩みながらも、最後まで、自分のやり方を貫き通していたように見える。しかし、これは一見「誰でも理解できる/開かれている」ように見えているが、作家や俳優の周辺にあるものだけで創り上げているがために、実は「限られた人にしか理解できない/閉じられている」という点は忘れてはならない。

 

 

B-1

ヲサガリ

 本年最若手(精神的な)による上演。アイドルは神より儚い。神は死んだので、生きる苦しみから逃れるために人々は夢中/無心になれるものを探す。神(もちろんGodのこと)は絶対者、全知全能であるから、いつまでも傍にいてくれる。しかしアイドルは全く限られた存在であるから、神ほど尾を引くことはない。ほとんどの場合、われわれより短い期間に卒業して(死んで)しまうだろう。そして、また次のアイドルへ向かう・・・・・・?かも定かではない。少なくとも、生きる苦しみから逃れるための装置が誰にとっても必要なのである。その装置の役割を担うのは、この国の場合、多くは「子育て」であったかもしれない。しかし、晩婚化・非婚化、若者の貧困が続くなか、それは簡単に得られる装置ではなくなった。現代の若者のあり様が示されているような、奥行がある、リアリティ溢れる上演であった。

 

B-2

喜劇のヒロイン

『べっぴんさん、1億飛ばして』

 ”This is the 6th version.” 小生がすぐに想起したのは映画『マトリックス』のこの台詞である。われわれは自らの意志に基づき行動しているように思われるが、実は他者によってつくられたプログラムを実行しているにすぎないのかもしれない。ネオみたいに「覚醒」したからといって、誰もが救世主になれるわけではない。時間の圧力に押されて、「お姉ちゃん」は結局プログラムに戻っていってしまう。家族が解体される違和感を解消することはなく、舞台は終演する。

 劇団宴夢でも同じ事態が見られたが、やはりツッコミが甘い。もっと拾い上げるべき箇所があったはずで、過度の軽快さで置いていかれる場面がいくつか見られた。だからといってツッコミを強調しすぎると、これは演劇なのかと首をかしげる観客も現れるだろう。京都学生演劇祭2017で審査員を務めた山口浩章氏は講評の際、コントと演劇の違いは人物同士の「関係が動くこと」と定義していた。もちろん、演劇にもコントにも枠など存在しない。便宜上の定義である。会場の笑いを誘うには、より貪欲さが必要であったかに思える。

 

B-3

砂漠の黒ネコ企画

『ぼくら、また、屋根のない中庭で』

 舞台美術、演技ともにベケット『ゴドーを待ちながら』を想起させる。もちろんベケットも彼自身のコンテクストを持っており、日本人である小生は、必ずしもコンテクストを共有しない。そのため容易に理解しがたい部分があるだろう。しかし、この作品は、『ゴドー』をもちろん無理を承知ではあるだろうが日本のコンテクストでも理解できるように「ずらし」ている。神(God)は、科学にとって代わられたのである。

 

 

C-1

三桜OG劇団ブルーマー(仙台 三桜高校演劇部OG)

『スペース.オブ.スペース』

 われわれは、忘れてはならない。あの日の事を。

 

C-2

LPOCH

『溺れる』

 場面緘黙症についての上演。はじめにこのことは明かされない。最後にそう呼ばれる疾患であることが提示されて理解を促すものである。手法としては大筋は問題がないのであるが、当事者の意識(もちろん重要ではあるのだが!)だけでなく「理解がない」ということによって生まれる摩擦について語ることもまた重要である。そこまで追求することができたら、この作品はもう少し高い次元に到達できる。

 

C-3

はねるつみき

『昨日を0とした場合の明後日』

 チェルフィッチュのパロディ。ある若者は、なんとなくでデモに参加して、なんとなくでセックスする。またある若者はどういうわけか世界の終末に接近する。すべてが、意志に基づいているようには見えず、水が流れるように進む。閉塞感漂う現代を、如何にして生きていくか、と問われても、すぐに思考を投げ出してしまう。「どうせ、また同じことの繰り返しなんでしょ?」と言って。学生なら、ニーチェあたりを引用するだろう。自動化の帰結としての「全思考の停止」はなんとしても避けるべきところであるが、この上演は流転する世界に対して、抵抗力を持たない。抵抗力を持たないことは摩擦熱を帯びないことである。この摩擦熱を、演劇では太田省吾が「分厚い力」と呼んだ。この上演はそこから逃れようともしない。深追いしたくなる要素は最後まで現れず、何一つ印象に残るものはなかった。結局、観客はある若者たち(上演にかかわった俳優や作家、演出家たちも含め)と同様「なんとなくで」しかこの上演を評価できないだろう。

 

おわりに

 全作品を観終わって、どうやら現代の学生たちのなかには「世界を終わらせたい」という欲望が潜んでいるように思えた。たぶん、もうすぐこの国で起こる戦争を期待しているのだろう。戦争をしたくてたまらないのは若者だけではない。日本人のほとんどが戦争を求めている。しかし、そんなことを口にしようものなら、「頭がおかしい」とか「中二病」とか言われてしまうことを恐れている。少し前までは、戦争を体験した世代の人間たちがなんとか歯止めをかけてきたわけだが、もうそれも限界を迎えつつある。誰かがいつか必ず、戦争への欲望に火をつけるだろう。堰を切ったように、溢れだす。もう避けることはできない。小生はこれから、戦争に備えることにする。来る東京オリンピックまで持つだろうか。

審査員決定!コメントを掲載しています!

カテゴリ: 公演情報

2018.2.14

第3回全国学生演劇祭の審査員が、


七味まゆ味 氏(柿喰う客/七味の一味 女優・演出家)
筒井潤 氏(演出家・劇作家・公演芸術集団dracom リーダー)
橋本裕介 氏(ロームシアター京都/KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター)

以上3名の皆さまに審査を担当していただくことになりました!
コメント、プロフィールもいただいていますので掲載します。

 

 

七味まゆ味 氏(柿喰う客/七味の一味 女優・演出家)

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コメント

演劇というものを考えていくと、自分のこと、人間のこと、世界のこと、社会のこと…を、自分なりに掘り下げますが、その中で生まれる気持ちを言語化して整理したり、言語化できずにモヤモヤしたりするのが、興味深く面白いと感じています。でも最近、自分の思考は乏しいなぁ、自分の中でグルグルさせてるだけだなぁと感じたりもします。今回は、そんな私をガツンと変えてくれるような刺激的な作品に巡り会えたら素敵だなと、勝手にワクワクしています。皆さんがどういう思いを持って創作したのかにも思いを馳せつつ、私は私で、自分の中のどんな新しい感覚に出会えるのか、自由に我儘に、楽しみたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

 

プロフィール

劇団『柿喰う客』の女優・副代表。中性的なコケティッシュさ、しなやかさ、声色を武器に、 異様な存在感を放つ七変化トリックスター。自身のユニット『七味の一味』も結成し、演出活動もスタートした。神出鬼没。ごはんは残さない。

 

 

筒井潤 氏(演出家・劇作家・公演芸術集団dracom リーダー)
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コメント

第1回全国学生演劇祭で審査員を務めさせていただいたとき、各地の学生の皆さんが自分たちを信じて地道に修練を重ね、真摯に演劇に取り組む姿勢に私は大変感銘を受けましたし、その真摯さが作品の良さに繋がっていたように思いました。参加される皆さんはここで栄誉を勝ち得たところで明るい未来が約束されるわけではありません。みなさんもそれはわかっているでしょう。そして同時に、どこの馬の骨か知れないオッサン(私)の審査など信頼していないでしょう。でも、是非そうであってください。褒め言葉さえ言わせない、独自の価値観が備わっている魅力的な表現行為との出会いをただただ楽しみにしています。

 

プロフィール

2007年京都芸術センター舞台芸術賞受賞。dracomとしてSound Live Tokyo 2014、Nippon Performance Night(2017年、デュッセルドルフ)等に参加。

 

 

橋本裕介 氏(ロームシアター京都/KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター)

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photo by Lucille REYBOZ

 

コメント

私自身もそして日本の多くの舞台人は学生演劇を出発点にキャリアをスタートさせています。青春のほろ苦い思い出とともに、その時夢中になって取り組んできた経験が、そこかしこに現在の私の仕事に影響を与えています。この学生演劇祭がこれからの舞台シーンを担っていく才能を発掘する場として少なくない役割を果たすため、審査員として真剣に観劇したいと思います。私の視点はいくつかありますが、完成度よりも実験精神、その実験に込められた問いがどれだけ大きく、そして他者にとっても有意義であるかを見ます。また運営も含め学生の手によるものとして成長し、末永く継続されるものであって欲しいと期待しています。

 

プロフィール

京都大学在学中の1997年より演劇活動を開始、2003年橋本制作事務所を設立後、京都芸術センター事業「演劇計画」など、現代演劇、コンテンポラリーダンスの企画・制作を手がける。2010年よりKYOTO EXPERIMENTを企画、プログラムディレクターを務める。2013年2月より舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事長。

第3回全国学生演劇祭 公演情報

カテゴリ: 公演情報

2017.11.1

学生演劇が織り成すつながり

 

公演日時

2018年2月22日(木) ~ 2月26日(月) 

会場

ロームシアター京都  ノースホール

出演団体

 

Aブロック

劇団宴夢(札幌学生対校演劇祭・酪農学園大学)

フライハイトプロジェクト(東京学生演劇祭推薦・早稲田大学/東京藝術大学ほか)※

元気の極み(大阪短編学生演劇祭推薦・大阪府立大学×大阪大学×神戸大学)

楽一楽座(四国学生演劇祭推薦・徳島大学)

 

Bブロック

喜劇のヒロイン(東京学生演劇祭推薦・日本大学)※

ヲサガリ(京都学生演劇祭推薦・京都工芸繊維大学)※

砂漠の黒ネコ企画(福岡学生演劇祭推薦・九州大学ほか)

 

Cブロック

三桜OG 劇団ブルーマー(とうほく学生演劇祭推薦・仙台三桜高校演劇部OG)

はねるつみき(名古屋学生演劇祭推薦・岐阜大学ほか)

LPOCH(京都学生演劇祭推薦・京都教育大学)※

 

※通常の出場枠に加え、京都は地元開催として追加で1枠、東京は前回の大賞団体が東京だったため1枠追加となっています。

(さらに…)