JSTF

ニュース

第1回全国学生演劇祭 講評&得点結果

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2016.4.3

審査員からの講評をいただきましたので、こちらに掲載いたします。
観客採点の平均点と、審査員それぞれの採点共に掲載いたしますので、是非講評と合わせてご覧いただき、審査員の方々が何を評価し採点を行ったのか、またご観劇いただいた方は特に、ご自身の採点との違いもお楽しみいただきながら、この演劇祭を、今一度振り返っていただけたら幸いに思います。


今演劇祭では、お客様、審査員共に、5点満点での採点を行っていただき、その平均点の合計で大賞を決定いたしました。
ここで一つお伝えしておきたいのは、この採点は、沢山の評価の仕方がある中での一つであり、この得点が、作品・団体のすべてを表しているわけではありません。
演劇祭では、作品以外でも様々なドラマがありました。各地から多くの学生が集うことで、たくさんの出会いが生まれ、可能性の塊が、一気に膨らんで色づいていったように思います。
それぞれの劇団、個人のこれからの活躍をぜひ楽しみにしていただき、少しでも応援していただけたら、これほどの喜びはありません。

 

それでは、講評と得点結果を、どうぞ!

 

 

得点結果

※小数点以下4桁を四捨五入

 

  • Aブロック

劇団未踏座
観客平均点 3.303
審査平均点 2
計 5.303

 

演劇ユニットコックピット
観客平均点 3.975
審査平均点 3.6
計 7.575

 

poco a poco
観客平均点 4.5
審査平均点 3.6
計 8.1

 

  • Bブロック

劇団しろちゃん
観客平均点 3.217
審査平均点 2.8
計 6.017

 

劇団サラブレッド
観客平均点 3.78
審査平均点 2.8
計 6.58

 

劇団ACT
観客平均点 4
審査平均点 4.2
計 8.2

 

  • Cブロック

かまとと小町
観客平均点 3.173
審査平均点 2
計 5.173

 

創像工房 in front of.
観客平均点 4.031
審査平均点 2.2
計 6.231

 

プリンに醤油
観客平均点 4.008
審査平均点 3.6
計 7.608

 

 

 

審査員からの講評

※各審査員毎に掲載。団体名の後ろの値がそれぞれの採点結果

 

あごうさとし 氏

  • 総評

 一言で演劇といいましても、内容は多岐にわたります。とりわけこの20年ほどは、国内の舞台芸術環境は、過去100年に照らしてみても、急速な変化や広がりを見せたのではないでしょうか。舞台芸術の専門学科を備えた大学も開設され多くの人材を輩出してきています。長らく総合大学の演劇サークルが、学生演劇を牽引してきた過去がありますが、ここにも多様性が出てきていると思われます。なるべく多くの作品を見て、見聞をひろめて、自らの創作活動を考えられることをお勧めします。何をどのように、どこへ表現されるかで、自ずとそれぞれの道が見えてくることと思います。

 この度の演劇祭では、就活など、今迫られている「未来の選択」というところが、多くの劇団の共通する問題意識としてみられました。身近な問題意識からはじまり、それをまた別の視座にたってみたり、或いは離れてみたりして、創造を膨らませていただければと思います。ありがちな問題意識には、そもそも関わらないというのも手だと思います。視点の持ち方や、空間や時間の作り方、考えていることと、実際に舞台で実現していることの関係性や完成度、これらを勘案して私なりに評価をさせて頂きました。

 

  • 劇団未踏座(2)

 大きなパネルが上下にたてられている美術については、サービス精神或いは心意気ということなのでしょうが、本編との絡みが薄く、どうも邪魔なような気がしてなりません。内容が絡まないにしても、造形物や空間の設計がからんでいるだけでも、違ってくるかと思います。講評会では、批判の対象としてもあがっていましたが、電話をしているシーンが曖昧にあるくだりは、一方で面白いアイデアになる可能性も感じます。実際におこっている現象に、もう一度、厳密に見る視点をもてるとまた、判断がかわってくるだろうと思います。

 

  • 劇団ユニットコックピット (4)

 学生とはおもえない、随分、大人びた作品でした。それは、戯曲も、演出も、演技も落ち着いて運んでいました。お父さんと、それから今回、個人賞を受賞されたお母さん役の方にとりわけ、それを感じます。細かいですが、お母さん役の方の演技で、そこまで目の芝居を強調しないほうが、より奥ゆかしい感じがでるかなと思います。ビー玉を返しにくる下りは、お尻からでたものという要素が、本筋とは違う角度の要素が入ってきて、面白かったです。

 

  • poco a poco (4)

 3つのシーンの構成で新しい未来と過ぎた過去の狭間でゆらぐ女性をコミカルにコンパクトに描けていたと思います。謎の中学生や、その後の派手な友人のドライブ感あふれる台詞も魅力的で、3人の俳優はきっちりと役割を果たしていたと思います。想定したことをそのままに実現したのだろうと感じました。

 審査発表の時にもいいましたが、良くできているが故に、ある種の物足りなさも感じます。時間が短いという意味ではなく、広がりや、ミステリアスな部分、一言ではかたづけられないものといった要素はないので、主題の選び方はまだまだ吟味されてもよいかとも思います。

 

  • 劇団しろちゃん (3)

 字幕を使って人物の心の言葉をあらわす下りは、劇作上の見せ場でもあり、演出上の印象に残るポイントでもあったかと思います。この特別なシーンに特別な演出を設けるというのも良いですが、とってつけたような感じにもなりかねません。特殊な手法を、創作の基礎において、その表現が何を舞台上にもたらせていて、それが俳優や言葉とどう関係しているのかを探求するだけでも、一つの作品が作れますし、深みもでてくるだろうと思います。

 

 

  • 劇団サラブレッド (3)

 ちぐはぐなダンスから、それぞれの隠れた思いを、コミカルにぶちまけていく。言いたいことが言えない。そして何が言いたいかは、よくわからないということであるならば、ディスコミュニケーションの問題ではないかもしれませんね。わりに赤裸々に語っているのでアイデンティティの問題でしょうか。シーンとその転換点であるサスの語りで、一定のフォームの中にうまく納めていたと思います。自分がわからないという叫びは、青春の等身大の叫びかもしれませんが、そういうよくありそうなものを取り扱うならば、もう一つ視点が欲しいですね。

 

  • 劇団ACT (5)

 対象を明確に表さない指示語などの多様で、奥行きを持たせていたと思います。将来の不安という他の団体にもみられる要素を持ちつつも、複数の登場人物の視点が、広がりを持たせています。また、中国人労働者との関係性など、視野がひとつ広い点もいいですね。私たちの姿をまた外側から想像させてもらえます。狭い舞台を、街ひとつほうりこむような、空間と人の使い方がほどこされていて情報の密度も特徴でした。雰囲気のある俳優もいて魅力的です。良き仲間と出会って続けていかれるといいなと思います。

 

  • かまとと小町 (2)

 とてもハキハキして愛嬌のある俳優さんで、魅力的でした。ただ、お話と演技がテンプレート的で、舞台作品としてはやはり退屈です。

 主題の選び方、ストーリー、人物、演技プラン、演出、舞台美術などのスタッフワークなど、演劇を構成する要素ひとつひとつに、なぜ自分たちがそれを選択し、あるいは、選択しようとしているのか、自分たちをとりまく環境をも含めて、疑い、検証し、思考するということをやってみてもいいかもしれません。

 

  • 創像工房 in front of. (2)

 虚構の世界の中に、さらに虚構世界が、戯曲で設定されていて、ファンタジックな世界の住人が、その奥の虚構を表現するのに、プロレスを引用して表現し、全て嘘だ(イッツ オールライ)という構成ですが、はじめから真実味がないまたは、虚構であることは明白なので、「そりゃ、そうですよね」という感じになってしまいます。表現が現に舞台上でおこしている現象そのものに強く着目し、現におこっていることを把握して、設定との関係を考えれば良いかと思います。

 

  • プリンに醤油 (4)

 女の子3人のコントは、いい感じで力も抜けて大変笑わせていただきました。嫌み無くコントをつくるというのは、本当に難しい作業だとおもいますので、とてもうまいと思います。この先は、どういう風に考えておられるのでしょうか?作品の質や、誰に向かって作品を作るかで、進路もかわってくるかと思います。3人でよくコミュニケーションをとってください。3人はいい出会いをしているのではないかと思います。この先、まだみたこともない、面白い作品ができますようにぜひ、がんばってください。

 

 

ごまのはえ 氏

 

  • 総評

 脚立を置く団体が多くてびっくりした。流行ってるのか、脚立。好きだけど。

 不倫・二股も多かった。三団体もあった。怖い。

 「ひきこもり」は一団体だったけど、自分たちの将来にたいする漠然とした不安を、過去から問うみたいな作品は他にもあった。みんな考えてる。

 戦争にいためつけられた人々をダイレクトに描いた団体もあった。

 戦争も含めた世界そのものに、自分の気持ちをぶつけた団体もあった。

 早く世の中に出て実力をためしたくてうずうずしてる人もいれば、自分でも何がしたいのか全然わかってない人もいた。

 色んな人がいて、色んな劇団があって、色んな作品ができるんやね。お疲れ様でした。

 

  • 劇団未踏座 (3)

 色々とチグハグな印象を受けた。とくに音響と照明の変化するタイミングが、役者の感情と合っていないところがいくつかあった。また場所(場面)の設定がよくわからなかった。共演者同士が、そこをどんな場所(場面)だと思って演技するか、その共通認識がとれていない。お芝居の主題はとてもわかりやすく、素直に観客に伝わっていたと思う。一番大切なものはしっかり伝わっていただけに、周辺のチグハグはとても残念。

 

  • 演劇ユニットコックピット(5)

 面白かった。舞台の高さがとても適切。畳のシーンがとても観やすかった。縁側のシーンでは人物同士の顔が少し近すぎる気がした。もっと離れたほうが一人一人の変化が観やすかったかも。沈黙のシーンの間がいい。誰も喋らない時間が散漫にならず、登場人物の気持ちが空間にあふれている印象を受けた。私は最後列で観ていたが、お客さんも集中して観ていた。

 ただ終盤の場面転換でながれたピアノ曲が盛り上げすぎだと思う。もう終わるのかと思ってその後の観劇態度がだいぶ冷静になってしまったが、背負い投げが決まったので最後まで楽しめた。

 

  • poco a poco (5)

 お芝居がはじまる直前の暗転でオペブースから明りが漏れていた。下手から役者が出て来るタイミングも少し早くて、ドタバタと上演が始まってしまった。でも、お芝居がはじまるとグイグイ引きこまれた。声がいい。セリフ臭いところがまるでない。登場人物の気持ちを自分のものにして喋っているから、演技に無理がなく、楽しめた。脚本も就活生の気分を上手くとらえていて、でも、悩みに沈殿せず、あっさり元気になっていく様子が、とても常識的で大人に思えた。もっと観ていたいと思った。

 

  • 劇団しろちゃん(4)

 主人公のキャラクターがとてもよかった。すぐ隣にいそうな、でもつかみどころのない不思議な人物を上手くつくりだしていた。一体あの女は何を考えているのか?観おわってしばらくたった今でも思い返してしまう。あの女にとって「白」とは?「眠る」とは?そして「愛」とは?いまだに興味深い。

 いくつか疑問もある。まず脚立の置き方。脚立が脚立にしか見えなかった。観客の想像力を刺激して、脚立が脚立以外の別の何かに見えるくらいの工夫がほしい。それから登場人物のうち主だった三人くらいしか使えてない気がした。他の人がコロスであったとしても、ちゃんと居場所をあたえてあげないと、変に目立つ。

 

  • 劇団サラブレット(3)

 焦燥感のみ感じられて、焦燥する理由がわからない。主人公がミュージシャンになりたいという思いは、きっとどうでもよいのだろう。父の秘密も、母の不満もきっとこの作品にとっては、丁寧に描くことがらではないのだろう。だとすると何を描くのか?それらを内包する構造。つまり焦燥感そのものを描きたかったのだろう。だとすれば、おめでとう、成功してるよ。けど面白くない。

 

  • 劇団ACT(5)

 脚立のつかい方が上手いと思った。やっぱり脚立は正面ではなく、上手にやや斜めに向けて置かなくてはいけないと強く思った。

 それはさておき、脚立以外にも沢山ものを置いて、それによって舞台に色んなエリアができたのが面白い。そこで役者さんたちが、座る、登る、もたれる、降りる、歩く、歩きながら喋る、喋りながらふり返る、「こちら」から「あちら」を見るなどなど、色んな演技が観れた。表現の手数をまず増やす。賢い演出だ。それぞれの体の状態が、様々な雰囲気を伝えていて、やや類型的かもしれない若者像に、現実感を与えていた。役者も上手。

 

  • かまとと小町(2)

 観客は動けない。暗い中でじっとお芝居が終わるまで座っていなきゃいけない。それはとても不愉快な状況だ。その上、舞台上の作品がつまらなかったら、不愉快は殺意にかわる。もちろん本当に殺されはしないけど、殺意まで抱かせる役者、スタッフは恨まれて当然だと思う。舞台は怖い。なぜこんなこと書くかと言うと私はこの劇団の作品を観て、この人たちは舞台の怖さがわかってないのではないかと思ったからだ。この劇団の創作意欲は怖くない観客、つまり「身内」に見せる範囲で止まっているように感じた。例えば高校の発表公演なら観客のほとんどは身内だろうし、そこで自分たちの元気な姿をみせるのはとても大事なこと。だけど大学生にもなれば表現者としての創作意欲はそんな「なれなれしい」関係では我慢できなくなるはずだ。なってほしい。

 

  • 創像工房 in front of.(4)

 なんか虚しい芝居だった。

 たとえ嘘であっても俺は熱狂できる!という宣言はそんなにカッコいいものではないと思う。やっぱり騙されないほうがいいし、嘘だとわかっているなら逃げたほうがいい。そんなことハイテンションで宣言されても、困る。なぜこんなに虚しいのだろう。すべて嘘であると宣言した主人公がもっと悪人に見えたら、まだ救われたのかもしれない。次は人を騙す側に立って、金儲けしてやるぜって終わりなら、僕は安心できた。でもあいかわらず純粋な笑顔で素直な笑顔で怪我を勲章のように掲げて元気になられても、虚しい。すべては嘘かもしれない、でも自分は大事にしてね。

 

  • プリンに醤油(5)

 転換中の舞台設営の時から、なんとなく暇ったらしい空気が流れはじめこれは期待できると思っていた。期待通り楽しめた。楽しかっただけでは審査員としてダメらしいので何が楽しかったか、つらつら書くが、苦痛。

 デッドパンという言葉があるらしい。「死んだ顔」もしくは「死んだ鍋」とでも訳すのだろうか。コメディ俳優にはとても大切らしく、つまり「死んだ鍋」になったつもりで演じろという意味、たぶん。たしかに役者は笑いがあると嬉しくてつい調子にのっちゃうけど、でもその気持ちをぐっと押さえて「死んだ鍋」になったつもりで続けないと、せっかく引っかかった笑いも逃げてしまう。巧いコメディ俳優ってみんな無表情だもんね。プリンに醤油の皆さんは素晴らしいところがいっぱいあったけど、私が一番感心したのは、あれだけウケていたのに、最後まで抑制が効いていたところ。「死んだ鍋」まではいかなくとも「道路に落ちてる軍手」くらいの愛想のなさだった。素敵です。

 

 

坂本見花 氏

 

  • 総評

 私自身、学生劇団出身ということもあり、とても興味深く拝見させていただきました。

 個々のお芝居もさることながら、授賞式や打ち上げで目にした学生さんたちの表情が印象的で、いまも瞼に浮かぶほどです。

 作品全体の総評を言えば、自分の身のまわり、自分たちが生きている「この現実」からお芝居を立ち上げている劇団が多かったことに、物足りなさを感じました。 作品が「個人的なこと」に終始してしまっている。もちろん、それが持ち味になっている作品もあったのですが、野田秀樹氏の言葉で言う「火星を踏みつぶしたり」する演劇も観たい。言葉が世界を変容させるような演劇。遠いところへ連れて行ってくれる舞台。演劇でしかできない体験がしたい。そういうことを模索している集団や作品に出会いたい。それがごく個人的な私の願いです。

 一方で(矛盾するようですが)、どんな作品にも必ず作り手の「個人的な実感」が立ち現れてくる瞬間があることを、とても面白く感じました。それは、今回、京都に集まった学生のみなさんが、それぞれの必然をもって演劇をやっていることの証のようにも思えました。

 

 演劇のことだけをひたすらに考える時間を持てることは幸福です。

 ウェブサイトに掲載していただいた応援コメントをもう一度述べて、総評の締めくくりに変えさせていただきます。

 

 「ビバ!学生演劇!!時間も頭脳も体力も惜しみなく使って、これからもどこまでも貪欲に、演劇と遊び尽くしてください!」

 

  • 劇団未踏座(3)

 全体的にちぐはくな印象でした。説明的な台詞。意志の感じられないスタッフワーク。

 「どんな音が、どんなタイミングで、どんなボリュームで」聴こえるのか、「どんな光が、どんな角度で、どんな明るさで」空間や俳優を照らし出すのか、すべてに作り手の意志があるはずなのに、「ただ音を鳴らせばいい」「ただ明かりを変化させればいい」というふうに見えました。もっと面白くて奥の深い世界がそこにある。それにふれてほしいと感じました。

 戯曲に関して言えば、ひとつひとつの要素をまとめあげ、見世物にするには至っていないというのが正直な印象です。

 ただ、「ザリガニ釣り師」という、主人公たちが囚われている社会的なルールから降りている(でも、生活のためにバイトをするなど、なんとなく現実との折り合いもつけている)人物の存在など、光る要素もありました。

 最後に、これは蛇足かもしれませんが――パンフレットに「新作で挑戦」と書かれていましたが、審査を勝ち抜いた作品を観たかったと思いました。支持された作品を練り上げる作業のなかで、見えてくるものもあるのではないでしょうか。

 

  • 演劇ユニットコックピット(4)

 たいへん誠実なお芝居でした。

 俳優、スタッフ全員が真摯にお芝居と向き合っていることを感じることができました。

 タイトルをきちんと効かせているのは、今回、このカンパニーだけだったのではないでしょうか。息子の死を認められず〈あしぶみ〉をしたままであることに後ろめたさやどうにもならなさを抱えながらも、最後には「もうちょっとだけあしぶみしていませんか。この縁側で」と〈立ち止まること〉を肯定する――舞台を流れる時間の中で、観客の内面に降り積もっていく言葉の力を信じている。そのことは、劇中で繰り返される「もう帰って来てたよ。気付かなかったの?」という印象的な台詞からも感じました。それら大切な台詞を担う母親役の演技にも信頼が置けました。

 私個人としては「帰ってくるならいよいよこの縁側からだと思わないかい」という台詞がとても好きです。この演劇祭で唯一聞くことのできた、しみじみ良いと思える台詞かもしれません。

 

  • poco a poco(5)

 質の良い、好感の持てる掌編。

 三人のキャラクターも良く、楽しく拝見しました。

 19歳の「わたし」のところに14歳の「わたし」が会いにくる、というのはこの年齢だから必然性をもって書けることなのでしょうか。魅力的な「発見」だと思いました。大人になってしまうと5年なんてそれこそあっという間で、会いに行ったり来られたり、というドラマの対象にはならないものです。10代がどれほど多感な時期であり、青春時代における1年がどれほど長いものなのか、思い出させてもらえました。もちろんそれは、彼女たちと同年代の観客にとってはよりリアリティのあることなのでしょう。

 台詞、演技ともに好感が持て、登場人物のやりとりや状況設定に無理がなく、不快さを感じるところがひとつもありませんでした。正しい長さで終わっているところも良いと思います。

 

  • 劇団しろちゃん(4)

 出場劇団の中で唯一、脚本家と演出家を別に立てているカンパニー。

 俳優の立ち位置や照明を効果的に使い、脚本家の描いた世界をきれいな「絵」として立ち上げようとする意識を感じました。月から「顔」の部分をぽん、とはずしてかぶるところなど、可愛らしく小さなリズムが生まれていました。

 観劇後、脚本を拝読しましたが、背伸びをしない、小説に近い文体ですね。目で読むコトバを俳優のカラダを通して立ちあげるときに生じる違和感のようなものに対してさらに繊細になると、また面白い世界が広がると思います。

 「月の夢は朝にあの子と眠ることでした」のリフレインは、少女の閉じた幸福感の象徴と受け取りました。

 「白く」なりたいという、ほんとうはピュアな女性の内面を、観客と夢の月だけが知っているという構造をうまく作ることができていたと思います。

 

  • 劇団サラブレッド(3)

 俳優三人の呼吸がよく合っていました。

 オープニング、期待感が高まります。

 けれども台詞が始まるとたちまち凡庸になってしまった、という印象でした。

 「ディスコミュニケーション」と連呼しながらのパフォーマンスが印象的なだけに、肩すかしを食わされました。

 主婦の悩みやサラリーマンの苦悩などの具体的なエピソードに魅力がなく、類型的でした。こういう細かなところが面白かったり、リアルだったり、ぶっとびながらも妙にうまかったりすると、それだけで惹きつけられるもの。集団創作でアイデアを出し合ってもいいのでは。

 「女装が趣味のお父さん」も単なるネタにとどまっていましたが、馬鹿馬鹿しくも悲しい、やむにやまれぬ衝動、というところに(たとえば)持っていくこともできたのではないでしょうか。

 一方で、作り手の「焦燥感」や「もどかしさ」はとてもよく伝わってきました。いまここで演じているこの舞台さえ、おれにはもどかしいんだ、というようなもどかしさ。

 作・演出の伊藤さんは力のあるかただと思います。「言葉」を手に入れれば、強いのでは――と感じました。

 

  • 劇団ACT(5)

 作・演出、役者、スタッフすべてが高い水準に達しており、見応えがありました。

 社会的な問題を短い時間の中に盛り込めるだけ盛り込んで、けれどもそれが無理やりに見えないのは、語る技術と意志とがあるからなのでしょう。

 速度と密度のある台詞を、俳優それぞれが内圧を高めた状態で発しているために、上滑りすることなく、ひりひりした感覚や空虚感を生むことに成功しています。

 誰かは常に誰かからの抑圧を受けている。唯一、抑圧の外にいるように見える青年からは土臭い生命力や生活臭が感じられず、彼は「被害者にならずにすむ場所」にいつづけようとする――劇構造というものに意識的であり、フレームやレールを使った舞台美術からは、空間にも語らせようとしていることが伝わります。

 長編をやるならばどんなものを見せてくれるのか、もしも社会問題を扱わないとしたらどんな世界を持っているのか、気になる集団です。

 

  • かまとと小町(4)

 「不倫の恋」を女どうしで演じると、可愛らしさと妙な生々しさが生まれるのですね。ひょっとするとこれはいわゆる「女子高ノリ」であり、受けつけない方もおられるかもしれませんが、私は好意をもって拝見しました。

 ストーリー自体はステロタイプなのですが、主人公を演じる女優のあたたかさ、キュートさのおかげで、ともすれば凡庸に感じられる台詞もじんと胸に響きました。

 逆を言えば、お芝居が力を持つも持たぬも、お客様に愛されるか否かにかかっています。自分たちを「好き」と言ってくれるかた、そうではないかた、どちらの意見にも耳を傾けてどうぞ真摯にお芝居を作っていってください。

 

  • 創像工房 in front of.(3)

 「神を戴く国における神の不在」と「プロレスにおけるヒーローの不在」をシンクロして描くという壮大な設定。しかし、俳優の演技の質とビジュアルワークがその構造を支えきれず、観客としてはむしろ作品世界から遠ざけられてしまうような印象を持ちました。言葉を選ばずに言えば自己完結型の演技も散見されましたし、衣装の細部がチープであることも気になりました。

 一方で、主人公が復活を果たしたところからの「これでどうだ」感や高揚感、「ありえないことを体現するのがレスラー」と言い放つ瞬間には、客席に迫ってくる力がありました。血と汗と鼻水でぐしゃぐしゃになった主人公が高々と掲げられるエンディング――あのエネルギーの発露をやるためにすべてはある。そういうある種「開き直り」のような衝動は、学生時代の特権のようにも感じます。

 

  • プリンに醤油(4)

 「不条理かつシュールなSFコメディ」だなあと拝見していたら、パンフレットにまさにそう書いてあったので、自分たちのやっていることをきちんと自覚されているんだなと感心しました。そういう集団は強いです。

 青田さんの存在を音響で処理してしまうところや、コンビニの研修のシーンなど、馬鹿馬鹿しさが秀逸でした。

 ただ、ホームセンターのシーンでは、照明のせいもあってか、いやな雰囲気を作り出すのにあまりに成功しすぎていて、不快感を抱いてしまいました。

 自分の夢を叶えるために自殺を繰り返し、その果てにたどりつく童心のような世界には、不思議と悲しささえありま した。その悲しさがとってつけたものでなく、コメディと地続きに見えるところに作り手の力を感じます。(そういう効果を狙っていたかどうかは別にして、 センスのある書き手なのだと思います)。

 

 

筒井潤 氏

 

  • 総評

 私は点数をこうつけた。素直にまた観たい作品あるいは団体にまず3点を与え、そこにより優れていると思われた場合に加点した。一方、2点や1点の参加団体に関しては、私が観なくてもいいと思えたからそうした。彼らは私からの評価なんてなくても元気にやっていけるだろう。演劇というジャンルそのものに揺さぶりをかけるような上演があれば5点満点をつけようと考えていたが、それはなかった。

 全体を通して観て、今後の演劇の状況を考えるにあたって重要だと思えるので、演劇ユニットコックピット、劇団サラブレッド、プリンに醤油に関して触れておきたい。私は彼らが彼ら自身の可能性を信じ、とても丁寧に創作した結果としての上演を高く評価しているし、そこに演劇の未来を感じている。地域の創作者が情報・人材・お金が集中する東京に憧れて、地元で東京の演劇の劣化版を創るのではなく、その地域にいるからこそできる創作を彼らは行っていた。地域の方言で喋ったり特産物がネタとして出てきたり、といった表面的なことではない。彼らが住んでいる地域の風土が生み出すリズムや思考、稽古場で起こっていること、そして仲間たちへの信頼をもとに創っている。もちろん彼らだってテレビや映画、インターネットなどから得られた情報からも影響を受けているはずなのだが、東京発の演劇の文脈とは異なる時空間が舞台上に確かにある。それは単に演劇の上演であるだけでなく、文化人類学的視点で捉えることも可能だ。地方創生だナンダカンダと言われているが、実際には東京とその周辺に人口の一極集中がますます顕著となってきている。一方、高校野球マニアは注目選手を観るために他地域からわざわざ地方大会にも足を運ぶ。LCCなどの影響で交通費が安くなったことだし、同様のことが演劇でも起これば、演劇鑑賞ついでに観光する、という関係が各地域間に生まれ、舞台芸術環境はより奥行きの深いものとなるのではないだろうか。こういった潮流の布石として考えた場合、全国学生演劇祭の意義はあまりにも大きいと思う。

 

  • 劇団未踏座(1)

 どうして新作を提出したのだろう。次々とアイデアが生まれ、とにかくそれを上演したいという焦りにも近い感情に任せて実施したという印象があった。ただ実施することとイメージを実現することは意味が全然ちがう。昨今は若い創作者でも手堅く地道に同じ作品と長く付き合う人が多くなってきていて、それが良い結果を生んでいるケースが多く見受けられるのも、この演劇祭で再演が求められている理由なのではないだろうか。

 

  • 演劇ユニットコックピット(3)

 決して器用ではない俳優たちが、無理に器用であろうとせず、落ち着いた捌きで登場人物の体温と感情を紡ぎだす様に私は甚く関心した。彼らは稽古場での呼吸と劇場の時間を完全に信頼している。演出上の問題で死者の扱いがどういうことになっているのかがいまひとつ掴みきれなかったが、それが作品の評価を下げる決定的な欠点にはならなかった。そのことについて考えるのも、この作品の鑑賞のポイントかもしれないとさえ思えた。

 

  • poco a poco(3)

 台詞のセンスが抜群に良くてうっとりした。日常会話の中の書落としがちな微妙なニュアンスをうまく活字化した脚本、それを舞台上に過不足なく現出させ、観客を大いに沸かせた俳優の力量は素直に評価する。ただ、その台詞のセンスだけで上演を保たせたという印象は拭えない。ここ止まりなら、佐口さんでなくてもいつか誰かがやってくれる仕事だ。このセンスの持ち主であれば、もっと複雑な人情の機微を捉えられるに違いない。

 

  • 劇団しろちゃん(2)

 わかりやすさは、わかりやすいからこそ観客に先読みされる。そこに至っていない箇所もはっきりとバレてしまう。音楽のようなテンポの良さを志していた。素直になれない人間(関係)をメルヘンチックなテイストを塗しながら描こうとしていた。しかしそのどちらも、俳優がそこにいるという実際の出来事が邪魔していた。俳優が悪いと言っているわけではない。そこに俳優がいるということをみんなが忘れていたのではないか。

 

  • 劇団サラブレッド(4)

 冒頭のダンスが始まって、それが計算なのか本気なのかで全てが決まると思ってダンスが終わるのを待ち、計算だったことがわかった時点で何が起きても信頼しようという気になった。「dis-communication」ってそんな意味だったろうかと思いながらも、そんなことはもうどうでもよく、心底楽しんだ。描かれていることが典型的過ぎるが、典型的だからこそ伝わる面白さがあった。とにかく清々しい上演だった。

 

  • 劇団ACT(4)

 生きている人間の背景がきちんと存在する作品だった。背景を描くために登場人物を行動させているわけでもない。そしてその背景は観る者を包み込んだ。鳴り続ける音楽に批判もあったが、あそこまで本当に鳴り続けていると、音楽が止まったときへの期待が膨らむ。しかしその瞬間に配慮があまりないと感じ、惜しいと思った。…彼らへの評価は少し悩んだ。全国学生演劇祭という場における評価軸で計って良いものかどうか。

 

  • かまとと小町(1)

 彼女たちは文脈が違うように思えた。“関西ローカル”というメディアを目指しているのではないか。テレビに出ている彼女たちを週末の昼間にきつねうどんをすすりながら観る日も近いかもしれない。と、大阪に住む私が彼女たちの出場を冗談めかして言うのは愛ゆえのユーモアだが、いかにも大阪らしいとする声を他所から聞くと正直困惑する。どのような審査を経てここに来たのだろうか。違う場所で彼女たちと会いたかった。

 

  • 創像工房 in front of.(1)

 プロレスという虚構の世界のリングに現実的な暴力を持ち込まれ打ちのめされた主人公が、神を信じる心でめでたく復活したという話だが、再びリングに上がって対決しても結局同じことが繰り返されるのではないだろうか。また、何があっても神を信じるという心の奥底に敵対者への憎しみはなかったのか。あったにしろなかったにしろ、そこには絶望的な現実を見るしかないのだが、その意図が伝わらない溌剌とした演出だった。

 

  • プリンに醤油(4)

 演出がとにかくハイセンスでお洒落だと思った。多くある演出の方法から自分たちに見合うものを駆使して、彼ら自身が最も輝く形で上演していた。お互いを深く信頼し合っているこのチームは存在自体が奇跡と言っても言い過ぎではない。ただ、エンディングでいかにもの「演劇」にがんじがらめになった感があり残念だった。演劇の態を成さないと出場できないと思ったのだろうか。だとしたらそれは別の深刻な問題を孕んでいる。

 

 

村川拓也 氏

 

  • 総評

 今回は面白い作品に出会うことができなかったけど、ここから始めればいいと思います。初めから面白い作品を作ることは、人によると思いますが、なかなか難しいので、今回自分たちが作った作品をもう一度批評的に見直して、どこをどうすればもっと面白くなるのかを再考し、次の作品に向けて更新していけばいいと思います。それぞれの作品を見ていて、実は「演劇をつくること」自体がみなさんを邪魔しているように感じました。演劇をつくっているのにその演劇のせいで、自分達を自分達で面白くなくさせていると感じました。演劇というものはこうであらねばならない、という硬直した固定観念がどこかにあるのではないかと思います。たぶん、稽古中の休憩時間や、稽古が終わったあとどこかに飲みに行ってべらべら喋っている時や、働いている時や、一人で居る時の方が殺伐として面白い時間になっているのではないでしょうか。硬直した演劇のせいで自分達が汲々としてしまうなら、演劇をつくること自体の考え方を変えて、自分達に合った新しい方法論を発明すればいいと思います。演劇はいつの時代も掴みどころのない不安定な表現だと思います。始めから演劇というものはなくて、結果として演劇は現れてくるのだと思います。演劇を作るのではなく、演劇を発見することが大事だと思います。

 

  • 劇団未踏座(1)

 俳優の感情の変化を説明するために照明変化を何度も使い、それがあまりにも多くて、これでは俳優がまったく見えて来ないので、ダメだと思った。俳優やそもそも演劇の時間を信用していないんじゃないかとさえ思わされる。何が面白くて演劇をやっているのかを一つでもいいから掴んでおかないと作品なんて作れません。もう一度、演劇のどういう部分が面白くてやっているのか考え直した方がいいと思う。

 

  • 演劇ユニットコックピット(2)

 骨箱に息子の遺骨が入っているはずが、中にはビー玉しか入ってなくて、そのビー玉を幼なじみの女の子が勢い余って飲み込んでしまい、後日、体から出てきたそのビー玉を息子を亡くした父親に返す、その女の子の体から出てきたビー玉が亡くなった息子の魂のように思えてくる家族と友人達が、ビー玉をすごく大切に扱う、というビー玉の流れが面白かった。どうやってビー玉が体から出てきたのかを想像してしまい、少し笑えた。

 

  • poco a poco(1)

 「就職ナビ」とかのテレビCMみたいだなと思った。演劇だけではなくて、テレビとか広告の業界でも活躍できるんじゃないかと思った。

 

  • 劇団しろちゃん(1)

 よくわからなかった。他人の色恋沙汰や浮気の問題は基本的に観客にとってはどうでもいいことで、よくあるパターンの男と女のいざこざを見せられているだけであった。そういう物語を使って別の何かを表現しないとダメだと思う。

 

  • 劇団サラブレット(1)

 舞台美術が一つもなくて、人だけでやっていたので一番シンプルだった。雰囲気がぐだぐだで、演劇のセオリーみたいなものが壊れてしまいそうになる瞬間があり、これは一つのチャンスになると思った。ブレーキをかけずにもっとやりたいことをやってしまえばいいと思った。例えば、お母さん役の人がだだをこねるシーンなんかは、もっと長くていいし、どこまで長くできるかに挑戦してみるのもいいと思う。これは一体何の時間なのかが分からなくなるぐらい続けてようやく演劇の面白い時間が流れてくるのだと思います。

 

  • 劇団ACT(2)

 始まりから終わりまでずっとブオーンっていう抽象的な音楽が流れていてこれはダメだと思いました。音楽を流すと簡単に雰囲気が作られてしまうし、その雰囲気の中でやっていると、まったく違った他のイメージや時間が生まれなくなります。音楽に頼らずに、俳優や演出で緊迫した時間をつくり、それを更新していかないと、ただ一つの美学みたいなものだけになってしまうので面白くないと思います。観客はずっと音楽が鳴っていることを知っているし、それがどんな効果になっているかを冷静に見ています。なんとなく使っているようでは観客にばかにされると思います。

 

  • 創像工房 in front of.(1)

 一番将来性を感じる人達だった。彼らがこれからどういう感じの演劇をつくり、どういう感じの演技を磨いていくのが見えるようだったし、目指す所がはっきりしていると感じた。演劇にはどうしてもジャンルがあり、彼らはあるジャンルの演劇に向かっていくのだろうと思います。だからこの人達は演劇を続けると思います。続けたらいいと思います。

 

  • かまとと小町(1)

 これまた男女の色恋沙汰と浮気の物語だったと思う。森の小屋みたいなセットがよかった。カーテンコールの後、次の公演の宣伝をするのはやめた方がいい。

 

  • プリンに醤油(1)

 よくできたコントなんだと思う。なにも考えてない感じがいいと思う。とにかくこういうのは人を笑わせることだけに集中して鍛錬していけばいいと思う。

 

全国学生演劇祭(講評会)