JSTF

ニュース

観劇レポート 綱澤秀晃さん

カテゴリ: 全国学生演劇祭開催後の劇評

2018.2.25

第3回全国学生演劇祭の演目を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集しレポートを書いていただきました。

 

綱澤秀晃さん

綱澤秀晃(ツナサワヒデアキ)
劇団なかゆび団員。第2回全国学生演劇祭出演。3月、なかゆび本公演出演予定。
 
 
 
Bブロック
 

ヲサガリ

この日一発目。10:30というのは、誰も演劇を見たい時間ではありません。ヲサガリ以外では厳しいオーダーだったのでは……開演前にワクワクさせられたのは、ヲサガリだけでしたから。審査対象外かもしれないけど、開場中の時間を使うことでお客さんのメンタルセットが全然違ってくるもの。
この団体、部活感が一番強かったのですが、内容は最も洗練されていました。予め舞台を区切ってしまうというのは常道ですがアップを自在に操った空間表現は、イメージを外へ外へと広げてくれ、室内劇のお手本といった感じ。内容に関しては、エンタメと断ずるには惜しいポイントをいくつも備えていました。筋は、「ゴドー」や「桐島」のような不在の他者をめぐるものですが、不在の他者の位置にアイドルを持ってきたのは良かったです。友人ふたりの共依存、去っていくバイト、超えていけない人との距離……そういう一つ一つの人間関係の描写が、小劇団の〈あるある〉を思わせてひどくやるせなくなります。そして、それぞれの心情が曲の中に呑まれていく場面には、終わっていくことの美しさを感じます。
役者も、類型的な演技をするよりも個々の人格から出てくる細かい仕草を大切にしていて、愛せました。カワイイ。
あと、クマやウサギの公式スタンプを使うことって、僕はあんまりないんですが、そういう違和感を超えて「ウケていた」し、イメージがすぐ湧くなあって思って……LINEは伝統的ミームなんだなと。
 
喜劇のヒロイン
なかゆび団長と話したら、解釈は色々あるんだなあと思わされたのですが、僕は夢オチだと思いました。そう考えた方がスモーク焚いてる理由も分かりやすいし……。
アッサリ味のボケとアッサリ味のツッコミは、劇のテンポを失速させず、美しいとも思いました。ただ、関西の笑いはもっと味付けがしつこいらしいです(団長談)。
パンフレットでは「くだらない」と謙遜されてますが、不条理が倫理的問いを発する場合もあるものです。観ている方ではやっぱり、人格の同一性は何によって担保されるのか、とか、世界に抗して大切な人を守れるか、とか、色々考えます。劇場を出たらそんな考えは忘れちゃうんだけど、なんとなく、また劇場に来てしまう。演出の思う壺。
 
砂漠の黒ネコ企画
そりゃ、中庭に屋根はないやろ、と思いつつ観始めたのですが、なかなかどうして良かったです。無駄にゆっくりな幕開けは、こういう心構えで観ればいいんだなと教えてくれます。ヲサガリへのレポートでも書きましたが、こういうのは観る側として安心するんですよねえ。
障がい云々の議論もありましょうが、もっと一般化すれば、誰にでも病や傷はあるのでしょう。そして過去は自分を捉えて離さないくびきでもあり、自分を支えてくれる杖でもあります。誰でも未来を怖れ、いつも〈やらない理由〉〈やれない理由〉を探しては現在を保留し続けてしまう。演劇という細い世界ではいくらでもある話です、悲しい哉。
「先生」なんて一発逆転的発想は現実にあり得ないよ、と思うのは、僕自身も〈病気〉だからでしょうか……。もしかしたらチャンスはあるのかもしれない、それが「目の眩むような」光景を見せるとしても。
 
 
Cブロック
 
三桜OG劇団ブルーマー
隕石の名前が「あおば」! 杜の都から超新星現る、というところでしょうか。僕は福島の海の方出身なので、「割りを食った」側の一人として、こういう終末論的雰囲気には感じるところがあったのかもしれません。消滅っていうのは単純であればあるほど厳しくて、希望も絶望も分けへだてなく、またさしたる理由もなく〈ただ消える〉。
マッチを擦り擦り、思い出の燐光を散らす猶予があれば、それだけ苦悩の時間も増える。僕は上演中ずっと、この「放課後」が永遠に続けばいいのにと願っていました。本当ですよ。でも劇は終わってしまうのだなあ。
僕はエントランスにあるファミマでアイスクリームを買いました。スーパーカップは置いてませんでした。
 
LPOCH
・蛯名さんについては、「都合の良い女」と「天使」と両方の評価があろうと思います。でも、本当にこういう存在がいるんだよ世の中には。
・弱音を吐いたり打ち明けたりする能力って、信頼の能力なんだよな。まずは、「自分が言葉によって相手に影響することができる」という信頼、そして「この人は自分を損なわない」という信頼。
・青倉さんの100度の礼は、ブルーマーを観た後だからでしょうか、「この人死ぬんじゃなかろうか」と思うような終末を感じた。僕だけ?
・水のメタファーをどう評価するか、考えたけれど僕には分かりませんでした。ただ言えるのは、油野は自分で深いところに行くくせに、自分で浮かんでこれなくなってしまうんだよなっていうこと。
断片的な感想ですみません。共感するところがあり、かえって内容について色々「言えなく」なってしまいました。物販かわいいです。
 
はねるつみき
コミカルかつ観念的で、作り手がどういうものに影響されているのか伺ってみたい作品です。超越的視点の置き方は冷笑的なものですが、それを客席の笑いに繋げる能力がありました。全体的に年齢に反して洗練されていました。ACTと似た洗練さ。照明も美しかったです。
ストーリーは進んでいくのだけれど、「どうしようもなさ」が随所に散りばめられています。そしてどうしようもない歴史がいつまでも繰り返されるらしい。うーん、この無意味!
筋からはみ出てしまうエピソードが多いのだけど「これがしたかったんだな」というのは分かる気がします。反抗精神の華。
 
 
Aブロック
 
劇団宴夢
開場中から面白かった。曲も。スタッフの声をかき消さんばかりの音量だったし、完全に客席を洗脳しにかかっていました。内容は、まるっきりアホでした。でも、お話よりも、役者の歪んだ表情とか、ひたむきな汗とか、そういうのが欲しいと思うときもあります。無意味なことを冷笑するよりも、無意味でも頑張ってる姿がかっこいいし楽しいのかも。マネージャーも含め一丸となって気持ちいいくらいホモソーシャルでした。こういうアニメでは、男子が挫けたときにビンタする役割を女子は担わされていて、そしてそれだけが役割なんだよな。終演後のアレが観れたのは収穫でした。
 
フライハイトプロジェクト
見た事のあるような類型的なシーンが連続していくので、ちょっとしたエピソードが心に残ります。おばあちゃんがアヤメを好きな理由とか。ママ泣かないでとか。なんだかんだジーンと来てしまうのが悔しい。本当は、近代家族ってもはや広い共感を得られるモデルではなくなってきているのかもしれないけれど。ベッドを食卓に見立てているシーンが好きでした。食卓って死の床なんだなって、ふと思いました。
 
元気の極み
「私!!」を34分やって、嫌味がないって、やっぱ天才なんだよな。メタいし哲学的なのに、衒いがない。中尾さんの愛嬌がなければ成立しない曲芸でしょう。宇宙のはじめが演劇のはじめとか、みなさん演劇好きですかとか、うーん、かっこいい。そういうのが嘘くさくならないのは、劇場へのリスペクトと観客へのホスピタリティがあるからでしょう。中尾さんが舞台に礼をして去るのは分かりやすいけど、演出の中村くんが舞台の準備をした後でさりげなく礼をしてから引っ込んだのを僕は見ていたぞ。そういうちょっとした仕草にキュンとくるし、そこも含めて演劇でしたね。リアリティって、こういうのだよ。演出の思う壺。
 
楽一楽座
アホに見えてなかなか巧妙な芝居でした。一見独立したコントの間を往復しながら、笑いへの思いが明らかにされていきます。演出に視覚を楽しませようという気概を感じます。この団体のために吊っているであろうダサすぎる照明が好き。もっと機材を無駄使いして欲しい。ボクの吐瀉物南無阿弥陀仏が頭から離れません、勘弁してくれ。ラストシーン、なんであんなに幻想的なんや、勘弁してくれ。